個人山行 九重・坊ガツルでのテント泊

田尻 H

 例会として企画された坊ガツルであったが、天候不順やコロナ禍で中止なってしまった。
漸く個人山行として2年8ヶ月振りに坊ガツルのキャンプを実行に移す機会が出来た。
8月4日(水)
 長者原に2台の車より降り立ったのは6名、内4名はテント泊初体験である。
先ずは今後の事もあり各自の荷物計測を行う。
田尻S16.0s、井上15.5s、福田K15.0s、小笹11.0s、木場11.0s、田尻H9.0s、
これを以て今後のテント生活に於いて自分の体力、個人装備の軽量化、必要装備の検討等考える参考にして貰いたい。
長者原駐車場を10:55発、紺碧の空には夏雲が湧き夏の力強さがある。
登山口で登山届を出す。これも各自がリーダーする際、又は個人山行の時も欠くべからずの物である。
各自の背中にテント泊の重さと想いを担ぎ、雨ヶ池を経由して14:30に坊ガツルに着く。
ここでテントの張り方を実践するが、張り方そのものは直ぐ修得出来るが、ここの様な条件の良いテン場は逆に少なく、川べりや風の強い所等、条件をよく考える事が必要であるが、ここでは割愛し次回はその場に応じた説明になろう。
夕食は昔と比ぶべくもない軽量、時短に特化したフリーズドライのカレーである。それでも副食(ジャガリコのポテトサラダ、セロリといかくんの和え物など)を工夫すれば充実した夕食となる。
初めてのテント泊で夜は星空が綺麗だったと個人の感想があったが、私は夢の中。
8月5日(木)
 昨日荷物9s担いだテントキーパーを残し5人で大船山へ登る。幾度と登った山であり、ひたすら登り、休み、登りで段原に着く。
九重連山の展望が開け、坊ガツルが眼下に見え登りの疲れが吹っ飛ぶ。
この先の大船山避難小屋がアッと驚く変貌を遂げ鉄筋コンクリートで立派になっている。恐る恐る中に入ると木の香も香しいではないか。頑丈なガラスがはめ込まれており、明るさも充分であり素晴らしい。
頂上に着くと段原での展望に加えて、直下の御池と360度の眺望が有り、青空がこれでもかと晴れ渡り、山の醍醐味と楽しさを満喫する。
大船山を後にして北大船に登る。此の辺一帯は6月始めのミヤマキリシマの開花時は見事なピンクの絨毯となる。
大戸越(うとんごし)に下る斜面は雨に削られV字のガレ場と化し、歩きにくい事この上ない。これより平治岳に登る予定であったが、明るい内に長崎に帰る事を優先し坊ガツルに戻る。
テント撤収はテント張りの逆なのでスムーズにいく。一夜のテン場を与えてくれた坊ガツルを惜しみつつ後にする。
このテント泊を機会に泊りを重ね、自分のスタイルと団体行動の規律と楽しさを学んで貰いたい。
コースタイム:
8/4 長者原10:55〜(昼食)〜13:15雨ヶ池越13:25〜14:30坊ガツルテント場
8/5 テント場5:50〜7:50大船山8:10〜9:30大戸越9:50〜10:40坊ガツル12:00〜14:50長者原
参加者:
CL:田尻S、SL:田尻H、福田K、小笹T、井上、木場 計6名

坊ガツル“テント泊”

福田 K

 2020年1895例会、2021年1942例会GW(14名参加予定)と2回もコロナで中止となる中、ようやく8月4日〜5日個人山行として計画され、勿論すぐに申し込んだ。
当初参加予定の江口さん2回目のコロナワクチン接種で発熱、急遽不参加で残念。6名となり、テント割りも変更となった。
 中止になった大崩山(山小屋泊)山行で、送られてきた登山計画書、装備表、個人装備表を参考に、重量等準備はたやすかった。
又、田尻CLから送られてきた個人装備についてのレジメも非常に役にたった。
防寒服はどうするのか、ローぺってなんだ等々、新人にはわからないことばかり。懇切丁寧なご指導のおかげで、意外と今回のテント泊の準備はたやすかった。
 長者原登山口で、登山届けをポストに提出。
共同装備の個人分担分は、コッヘルと水タンク860gと少なかった。個人装備重量は約14s 合計約15s。60Lのザックは昔のザックで不備が多く、途中いろいろと心配していただいた。「このザックは今度は交換ね。」肩に食い込み、腕がず〜っと、ちぎれそうだった。
 モンベルステラリッジ2(1〜2人用)1,230gの木場さん自慢のマイテント、いろいろなアドバイスを貰い最近購入されフライシートは緑色。入り口、前室は縦方向、実に、軽量スマートなすぐれものだ。
ステラリッジ1は、1人用でちょっと狭いらしい。1人でも2人用がいいそうだ。岳友のアドバイスは絶大だ。
私、小笹さん、井上さんの3人は、モンベルステラリッジ4(3〜4人用)2,170g(山岳会所有)、フライシートは青色の新品テントで、実にかっこよかったものの中に入ってみると3人じゃちょっとせまい。
モンベルステラリッジ3(2〜3人用)2,000g(山岳会所有)じゃなかったのかな〜?と思った。
きっと、MS2は1人、MS3は2人、MS4は3人、MS6は5人なのだ!
それぞれのテント設営は、ご指導いただいて、スムーズだったと思う。
 中はやはり3人でいっぱいだった。両端と真ん中、「えっつ、えっ」、小笹さんとの目配せで、私が真ん中。人間の習性として片方は壁の方が落ち着くものだと、確かにそうだと痛感した。
「くじで決めるものだ!」と主張したかったが、言えなかったし通用しなかった。井上さんには敬意を表したい、小笹さんも山岳会の先輩だ。落ち着くところに落ち着いた。それぞれ銀マット、エアマットを敷いた。
外にそれぞれの食事スペースを確保し、先ほど皆で準備したサラダ、セロリとイカ君、ちくわが皆に配布された。
テント設営が終わってから法華院温泉に入浴、極楽を味わいビールを購入。我慢していたそのビールで、皆で至福の乾杯〜!!
アルファ米とフリーズドライのカレー、いける、いけると皆絶賛!皆が持ちよったつまみと、小笹さんの焼酎でいい気分!となった。T尻CLから「明日の朝は、4,5にします。」とのこと。あっ!4時起床5時出発かと思っていたら、山の神様から「5、6でいいわ!」とすんなり決定。ありがたかった。
 さあ、テントの中だ。頭は3人共奥、足は入り口。頭と足はそれぞれ交互でしょ!と主張しても、通用しなかった。これも却下された。眠れず、うとうとしていると、ベンチレーターの丸い穴から星が見えた。
静かに起きて外に。ヘッドライトを消して東西南北、満天の星空と天の川を見ることができた。ひとりで感動し、三俣の山容が、豪快にくっきり黒く見えた。
 いびきで眠れなかったが、そのおかげで美しい星空を見ることができた。翌朝その旨小笹さんに、こそっと、言うと「あんたもいびきをかきよったばい」とのこと。そんなもんかと納得し寝不足は解消した!?テント泊は1秒熟睡が鉄則だ。
 仕方がないので、起き上がり寝袋も早めに収納。チャックの音がザー、とするのでこちらからあけると田尻お母様、「まだ寝てる人がいるので小声でね!はいお湯」とテルモスを渡された。
私たちが沸かさないといけないのにと思いながら申し訳なかった。学生時代の母を思い出した。
朝食は山菜おこわとあさげ、たくわん、木場場さんも井上さんも、「うまい!完食!」と満足げ。
夜明けの“三俣の栄光”を拝みながらT尻CLから三俣南峰の直登はどうか?との問いかけがあったが、井上上さんが大船山、平治岳の希望で皆賛成し、大船山に決まった。
 5:50分出発。段原で休憩の後、歩き出してすぐに新しい避難小屋をCLが発見、「ここにはなかったよね。」新築のコンクリート打ちっぱなしの立派な小屋だった。
 大船山1786mの頂上には7:50分到着。坊ガツルは真下、私たちのテントも見える。頂上からは人影も見えたが下からは、逆光で見えなかったそうだ。
360度大展望、東に四国石鎚山?由布岳、鶴見岳、南に祖母・傾らしき山、阿蘇の
山々、勿論、久住山、白口岳、中岳、北に涌蓋山、福智山方面、右に行って中国大山?とにかく素晴らしき大パノラマであった。北大船山を経て平治岳へ向かうも、足は既にがたがたになり始めており、内心しんどいなと思っていたら、大戸越に到着。
平治岳を前にして“今日は、平治岳は時間的にも中止とします”との判断。小笹さんとにこりと目が合い、お互い残念な振りをして、ふむふむと相槌した。
 休憩の後、坊ガツルに無事到着。すぐに田尻SLさんから「山上さんが今、槍ヶ岳から無事下山されたみたい」とのこと、すごくよかったと、拍手がわいた。
天日に干して乾燥したテントの撤収にかかるが、ペグが1本足りないと、大騒ぎ。そのうちなんとなく見つかり一件落着。
 長者原に無事到着、女性軍がソフトクリームを所望!皆で三俣を眺めながらぺろり。星生温泉に入り、しっかりと筋肉をほぐして気持ちよ〜く、帰路に着いた。
 山登りのプラスアルファの楽しみ、自然に親しむ、展望、写真、健康維持、温泉、花、味覚等あるが、私は、展望が一番だ。温泉健康維持、味覚、自然に親しむ、の順番だ。
 ご指導ありがとうございました。次回は江口さんともご一緒し、『雲上のテント泊』テントから朝焼けの槍ヶ岳を見上げたいなと思います。
追伸・帰って翌日疲れて休みながら、小笹さんへお礼の電話。「今移動中、今から雲仙温泉に行くと!」とのこと。へ〜元気ですね、疲れてないの?さすが元柔道部、感心した。