個人山行 祖母山~傾山縦走

大塚

 去年行けなかった大山、4連休なんて無理な話がなぜか通り、初雪山挑戦の覚悟ができた井上さん、木場さんとアイゼンワークも兼ね井原山~雷山縦走と鍛錬していた矢先、世界を脅威に陥れたコロナ感染拡大防止のため第1887例会「大山」が中止となる。
「あ~せっかくとれた4連休なのに」と悲歎していたら救世主が現れた。大山リーダーの下さんです。
「三日間をフルに使った山行をしよう」と連絡を受け、吉村さんを誘い駅前の居酒屋で協議の結果「祖母山・傾山縦走」で決定。
「ん?祖母傾山?」第1606例会タイトル「初めてのサブリーダーで痛恨の例会となった傾山・祖母山縦走」が甦る。2013年4月のことである。
まぁ、HPで見てくだされ。(ちなみに私のデビューは2011年5月の県岳連登山大会、いつの間にか9年目に突入)
3月19日 (木) 吉村さんをピックアップし12:30に長崎を出る。
日田ICで下りるとナビが左へ誘う。吉村さん曰く「この前は右に行ったぞ」、通過点の杖立温泉をナビに入れる。すると右を案内する。
どうも米良ICから下りるようにもう一度高速に乗れと案内しているらしい。杖立温泉で「傾山(九折登山口)」と入れ直す。
岡城址を通り、道の駅竹田に寄る。半額のお弁当を二つゲット。朝から何も食べてない。
いや、山田SAで眠気覚ましにソフトクリームを食べていた。車内で1つを平らげ再スタート。
「俺をちゃんと目的地に連れて行ってくれよ」と吉村さんの言葉に逆らわないよう安全運転を心がける。
下さんから「仕事早退して今から出る。4時間かかるかも」と連絡がある。19:00頃着かぁ。
私たちはナビで18:00着。途中、大分県豊後大野市緒方町上畑の県道 緒方・高千穂線の道路上に防災ヘリポートの道路標示が3ヶ所あった。
大分県防災航空隊の防災ヘリコプター「とよかぜ」が救急・救助・火災防御活動などの災害即応体制や緊急出動に備えているそうだ。肩腱断裂手術を受けた済生会の屋上のヘリポートしか見たことのない私には「道路にヘリポート」は驚かされた。
予定通り登山口に着き、一番乗りで避難小屋の中にテントを張り、下さんの到着を待つ。
「やっほー」と下さんが来て、まずは酒宴、次に食事タイム。おふたりは愛妻弁当。私は半額の弁当にお裾分けを頂き、就寝。
3月20日(金) №3776号車をデポし、下松八重号で尾平に移動、1日500円の駐車場に停め、祖母山登山口で登山届を出す。
数分歩くと立派なトイレ、テントが張れる敷地があった。「ここもいいな」と川上渓谷のつり橋を渡り、宮原を目指す。
18㎏の荷物も全然平気、先頭を歩く下さんの歩調がよく、快調に分岐へ到着。
しばらく稜線歩きで、祖母九合目小屋に到着、しばし休憩。
ソーラーパネルや小屋の外観は変わっていたが、中に入ると懐かしいこたつ布団など7年前と同じ光景だった。ほとんど人には会わなかったが、祖母山頂に着くと10人ぐらいの先着がいた。
記念写真を撮り、山頂からは360°のパノラマを満喫していたら、「勉強会だ」と下さんが地図を片手にこれからのルートの説明をされる。
「あの天狗岩でテントを張るが、翌日の行程を考えるともう少し先まで進みたいな」天狗岩に着き、まず水調達。
往復37分要し一人2㍑+ペットボトル補充をすませ、今宵のテン場を探す。20kgの荷物はバランスを崩し、思うように歩かせてくれない。1時間耐え、「この辺にしよう」と荷物を下ろしテント設営。
調理の準備にかかろうとすると「いや、酒宴が先だ」と二日目の乾杯。豚肉と野菜の炒め物、長崎サラダ、道の駅でゲットした卵を出したら、「山で卵は初めてばい」と卵掛けご飯に舌鼓。
展望台から景色を見たいと立ち寄る。
3月21日(土) テント場からすぐに障子岳に到着 途中で水場発見するも枯れていた。
古祖母山を過ぎ、縦走路でまたもや水場発見、ちゃんと「水場」の標識もあり、金網フェンスを開け下りると潤っていた。
ここは7年前にも昼飯を食べたところ。確か「下に水場があるのよ」と教えてもらった。
当時はフェンスの影も形もなかった。下さん達は2月の深雪の中、「ここ尾平越で間違って反対方向に降りたんだな」と反省やら次の山行の水場テント場の調査に余念がない。さすが山男たちだ。
歩き出すとお一人様の女性がにこにこしてくる。な、なんとみんな顔見知りの去年5月の権現岩の研修に参加されたKさんではないか。
縦走が大好きとソロでがんがん登っていらっしゃるとのこと。吉村さんがずっと、「俺たちみたいにザック担いでいるもんは他にいない。最近は日帰りか山小屋泊ばかり・・・」と落胆されていたが、縦走者に出遭えた。
しかし彼女のザックは11kg。テント泊縦走はでかいザックを担いでが定番。ザックもテントも超軽量だそう。目からウロコ。
本谷山を過ぎ、笠松山、「笠松山のピークは行かないはずだが」と不審そうな下さん。次に前笠松山が現れ、「ここだった」確かにピークは通過しないで巻く。
8時間半歩き、九折越小屋に到着。昨日の頑張りで1h短縮。まだ、14:30
翌日の天気が芳しくなく、本日中に傾山にピストンしようということになり、九折越小屋に荷物を置き、寝床を確保。サブザックで傾山に向う。
小屋の近くは落葉が多く、膝までの落ち葉の中をワサワサと歩く。
杉ヶ越分岐まで遠かったが、そこからは岩、岩、岩で楽しいばかり。7年前には訪れていなかった。
こんな光景だとはつゆともしらず、「へぇ~小屋から見えてただろう。ギザギザが」と茶化されるが、絶景に感動しながら足取り軽く山頂着。一同超絶景にしばし癒され撮影タイム。
「また来よう、気に入った」と下さん、杉ヶ越峠には思い入れがある吉村さん。
大崩から祖母縦走を成し遂げた時のエピソードがあるようで、私もいつか大崩祖母縦走をしようと思う。
吉村さんのマッターホルン登頂にも倣いたいと野望はつきない。
小屋に帰る前に今夜と明日の水調達。水場まで結構下りる。
先着がいて女性がちょろちょろ流れる水を時間をかけて汲んでいるようだった。「こっちが早いから来い」と吉村さんに呼ばれる。「え~下は澱んでいるのに」とモジモジしていたら、「早くこんか」と怒鳴られる。
前回もほとんど水が流れていず、下の場所で汲まれたそうで、ちゃんと経験に基づく行動であったと反省する。
あの女性は挨拶もせず、愛想が悪い、水汲みで疲れていたのではと話していたら、宿泊客は私たち3人と女性と連れの男性の5人。あとで分かったが、ろうあ者だった。
男性は施設の職員で祖母傾山は10回目になるそうだ。職場の仲間でよく山に登られているそうで、今回は他のメンバーは都合がつかず2人になったとのこと。
酒宴を共にする。吉村さん、縦走者と会えて機嫌がいい。
3月22日(日) 今日は下山するだけ。記念写真を撮り小屋に別れを告げる。
残置ロープのある岩を降りる時、お叱りを受けた。ルートファインディングをして行けると思い、降りようとすると「そっちから降りれるか?」「降りてみて」と言われ、右側が切り立った崖になっているのに気づく。
降りたとしても崖に落ちてしまうリスクがある。「安全かつ楽しい登山」の目的の指導者研修を受けたのに。大反省。やはり二人に比べるとまだまだ未熟者、愚か者であった。3時間もかからず傾山登山口に到着。
久しぶりにマイカーと再会。
下さんの車を駐車している祖母登山口に向かう。その前に民宿を偵察。
布団も10人分はあるかな。台所、コンロはないがポットはある。十分泊まれる。
またご主人が前日の夕方からだったら、下山口に車をデポしに連れて行ってくれるとのこと。予約は役所で受け付けているそうだ。
駐車場でまたもやKさんに遭遇。喜んで下さんが傾山登山口まで送って行かれた。
コミュニティバスが出ているが、停留所で下りて1時間歩かなければいけないそうで「会わないかなぁ」と早起きして下山、待っていたそうだ。
「この二人は喧嘩ばかりしているから仲良く帰ってね」と下さんにはなむけの言葉を頂き、駐車場で解散、吉村さんと2人で無事長崎に戻る。
今回は「出会い」に恵まれた山行だった。
大山が中止になり、下さんの計らいで吉村さんと私、3人の出会い、Kさんとの遭遇、九折越小屋でのおふたりとの出会いがあり、いろんな学びがあった。
また、「いい出会い」にめぐり合えるように自分を磨いていきたいと思う。
コースタイム:
3/19 12:30長崎~上畑(2名)18:00
     15:00 福岡~上畑(1名)19:00 傾山登山口手前(駐車場)泊
3/20 尾平6:15~9:10宮原~11:12祖母山12:06~13:00天狗岩(水調達)13:40~13:56烏帽子岩14:     11~14:37障子岳手前テント泊
3/21 テント場5:50~5:58障子岳~7:10古祖母山~8:46尾平越~10:17丸山~11:51本谷山~13:05
    笠松山~14:13九折越小屋14:38~15:51傾山16:12~水場~17:03九折越小屋
3/22 九折越小屋6:24~傾山登山口9:10~尾平登山口10:20~長崎15:30
参加者:
CL:下松八重K、吉村、大塚 計3名