防災視察登山 平成新山

井上

 登山禁止区域にある平成新山(1483m)に登ることができる!県内ナンバーワンの高さの山だ。
日頃見慣れてはいたが、滅多に登ることのできない山に登ることができる。ありがたい。
防災視察のための登山ではあるが、長崎山岳会の県内「長崎県500メートル以上の山」の80周年記念行事にも役立つことができる貴重な機会だ。
 10/28仁田峠駐車場に集まったのは、総勢約80名の各団体のメンバーである。
九州大学地震研究センター、国土交通省地域整備局、気象庁、警察、消防、島原市役所、雲仙市役所、自衛隊、新聞社、テレビ局、長崎県山岳連盟等々、多岐に及ぶ団体のメンバーである。
 参加者に着用を指示されていたヘルメットは、団体ごとに色や形が違い、団体の名称が書かれてあり、ああこんな団体が参加しているのかと興味深く観察することができた。
県岳連所属の3名のうち、真新しいモンベルのヘルメットをうれしそうにかぶっているのは、大村山岳会の大石良子さんである。
「昨日買ったばかりなんです」と笑顔で話す大石さんは、昨日と一昨日は三俣山のお鉢巡りとお鉢の底まで14キロのザックを担いで歩き、テント泊をしてきたと誇らしげに話していた。
14キロのザックと聞いて、まだその重さを担いだことのない私は、内心すごいと思った。もっとも、14キロの中にはビール数本が含まれていたと聞いて、さすが山ガールの鍛え方は違うなあと恐れ入った。
そんな私は、自分も昨日買ったばかりのヘルメットをかぶっていたが、そのことを言い出せないのであった。様にならないヘルメットのかぶり方をしている私を労るように、諫早山岳会の山口和喜さんは、年季の入ったヘルメットを渋くかぶっていた。
 開会セレモニーのあと、予定の9:00よりも5分早く出発となった。参加者は、めったに乗ることのない片道730円のロープウェイにまず乗り込み、妙見駅を目指す。
山肌の紅葉は始まっており、快晴の朝日に輝いている。ゴンドラに運ばれながら、平成新山への期待に皆の心は弾んでいる。
 妙見駅からの歩き始め、先頭集団10名ばかりのグループで我々3人は歩いた。ペースは速い。このペースでは、慣れない人は途中で息切れするのではないかと、3人で話した。
ポイントポイントで、地震研究センターの方から説明があったが、やはり息切れしている声であった。
国見岳への分岐を過ぎて鬼人谷へ下るとき、割と急な坂の下りに、私の後を歩いていた参加者が、「こわいなあ、油断できない」と声を出した。私は、「そうなのかあ、ままある坂なんだけど」と心の中で思いながら、前を歩く山口さんの横顔を見ると、案の定ニヤリと笑っていた。
 鬼人谷の紅葉茶屋、新道の分岐地点を新道方向へ歩き出したところで、「我々は5000年前の溶岩の上に今立っています」と、説明があった。「へーそうか」と私は聞き耳を立てた。
続けて、雲仙からの水が、島原市や千々石町への清らかな水の源になっているとも説明があり、島原半島に生まれ育った私は、ますます説明の声に聞き耳を立てていた。
 西の風穴では、その中に入る機会を得た。
普段は立ち入り禁止となっていて、夏でも4度のかつて氷室として使われた歴史のある場所である。今日はその中へ入った。
背負っているザックが支えるほどの出入り口をくぐり、置かれていた3段ほどの梯子を下ると、中は結構広い。8畳ほどの広さであろうか高さは4メートルほどか、その空間は上に行くほど狭くなっている。
岩の裂け目にできた自然の空間である、地震計などの計器が設置されていた。温度はさほど寒くは感じなかったが、1年を通じてほぼ一定の温度が保たれているのであろうか。
 鳩穴分かれからの急坂を上り数メートル行くと、左手に鍵の掛けられた平成新山登り口の柵が現れる。いよいよこの柵を開けて平成新山に分け入るのだ。
島原市の職員が持参していた柵の鍵を開けようとする。開かない。繰り返すが開かない。「えっ、開かない!」まあ、開かなければ、柵を乗り越えても入れはするだろうが。
後列にいる雲仙市の職員が呼ばれた。代わって雲仙市の職員が、別に持参していた鍵を使う。こんどは開く。近くにいた数人が、「ホウ」とため息をはいた。
一人ずつ柵の門をくぐる。くぐって入る人数を職員が数えていく。人の踏み跡のある道だ。防災視察登山は、28回目を数える。それによって踏み跡ができたのか。低木がしばらく続く、普通の山道。
 しかし、その一帯を通り抜けると景色が一変する。岩場だ。ごつごつのとがった岩で埋め尽くされている。岩だらけの、無秩序に自然が並べた岩場である。
大きいものは1立方メートルを超える岩がいくつもある。大小のとがった岩が組み合わされて山の斜面を覆っているのだ。素晴らしい自然の力強さを感じさせる。
山岳会のメンバー全員に登らせたいと思う、素晴らしいふるさとの山だ。尖った岩を靴で踏みながらバランスを崩さないように注意した。岩と岩の隙間に落ち込む危険性があるのだ。
道なき道と岩をたどって歩き自分のルートを作っていく。
ひとしきり登って、広々とした場所に出て、休息、昼食となった。
地震研究センターの方が温度を測定していた。岩と岩の間に棒のようなものを差し入れて、コードでつないだデジタルの温度計は59度を指し示す。ここではまだこのくらいとの話だった。
田尻忍さんが準備してくださった、平成新山のプレートを持って、県岳連3人で記録写真を撮った。
岩のくぼみに、植物がとりついているのを見つけた。何の植物か知識はないが、ヒカゲツツジに似ているように感じた。生命力のすごさを感じた。
休息の後、一行は頂上を目指す。登る前方に頂上は見えていて、そう遠くはない。
 頂上付近の溶岩ドームでは、蒸気が上がっていた。
時には強く、時には軽く、息づいているように蒸気が吐き出されている。
硫黄の匂いは感じないが、蒸気の近くの岩は、高熱で10秒ほども立っていられない感じだ。
デジタル温度計は91度を表示していた。
普賢岳は1990年11月17日198年ぶりに噴火し、1996年に噴火収束宣言が出された。それから23年がたっている。
気象庁の職員によると火山活動は落ち着いてきているものの、地震の警戒レベルは最も低い警戒レベル1になっているとのことであった。
山頂の溶岩ドームを右に見ながら遠巻きに一帯の岩場を一周する。
周辺に残る溶岩の隆起してできた立体物はまるで生き物を思わせる不思議な形の構造物だ。自然が作った芸術作品だ。
立ち止まって凄いと感動の唸りをあげていた。
遠くには眉山、有明海、湯島が見えていた。
 下山の途中、ドクターヘリが迎えに来るとの知らせがあった。登山の途中で一人の参加者が足を痛め動けなくなったそうである。昼食休憩をとった広い場所の近くに待機することになった。
県内のヘリは出払っていたそうで、何でも宮崎県のヘリが来るとのことである。レスキューの協力体制がとられていることを感じた。
爆音とすさまじい風を伴い、我々の頭上にヘリが飛来した。
隊員が一人ヘリからロープとともにゆっくりゆっくり降りてくる。岩場に到着すると、負傷者と隊員はヘリへと釣り上げられていく。高度感のある生の救助の現場を体験、身近に見たのだ。
 下山は再開された。霧氷沢の出口へと向かう。
様々の貴重な体験をした感動に、下山の岩場を一歩一歩踏みしめていた。
ヒカゲツツジに迎えられ霧氷沢の柵の門をくぐり、流れ解散で本日の平成新山防災視察登山が終了した。ありがたい体験であった。
コースタイム:
仁田峠8:56~9:30妙見岳9:40~12:40平成新山13:50~15:00普賢岳15:10~15:55仁田峠
距離6.1㎞、約7時間、累積標高:上り676m、下り690m
県岳連参加者3名:
山口和喜(諫早山岳会)、大石良子(大村山岳会)、井上俊英(長崎山岳会)