個人山行 2週間続けての比叡山登攀

伊達

 恒例の山岳会の比叡山登攀が1か月延びた関係で、東京の勤務医Tさんとの登攀が2週続けての登攀となった。Tさんとは長い付き合いで舞鶴共済病院消化器医局に来てからでもう35年余りになる。
最初は氷ノ山や白山スキー登山。彼の体力・技術力に舌を巻いた。流石、金沢大学医学部山岳会(十全山岳会)は凄いと思った。
暫くのブランクを経て、彼が東京の病院に勤務してから付き合いが再開して「赤岳東稜」や「笛吹川遡行(甲武信岳)」に登った。以来、相互の交流が続いている。
 数年前からの懸案であった比叡山登山は8月頃の彼の連絡で実現した。日程も4日で色々なルートが楽しめそうで期待が広がった。
 11月8日(金)、9:00福岡空港にTさんを出迎え、日之影へ向かう。高速の九州中央道の一部開通で高千穂への道が少し近まった。天気も上々、11時、高千穂で最後の買出し。 
菅原公民館には12時半に着いた。荷物を下ろし、即TAカンテに、向かう。
 13:00過ぎ取り付き。道中の会話で彼のクライミング状況を把握、十分トップを任せられると判断して登攀開始。
 1ピッチ目、難なく上り、直ぐにビレー解除の声。「初見参なのになかなかやるじゃん!」と思ったが、なかなか「登って来い。」のコールが無い。
4分後、やっとコール。聞けば「いつもガイドについてセカンドで登っているので、ビレーのセットに手間取った。」との返答。“そんなものか”と思う。「いつもセカンド登っている身にはトップは緊張感が違うよ!」と言う。“さもありなん”と思うが“遥々東京から来たのにセカンドじゃねえ”と登攀継続。
 2ピッチ目は私のトップ。山岳会の時とは視野がまるで違った。“矢張り岩も回数だなあ”との思いを新たにした。
彼の3ピッチ目も危なげなし。4ピッチ目は快適なカンテ。隣の「失われた草付きルート」を眺めながら“次は全ルート登ろう”と思いつつ登る。
5ピッチ目も安定感のある登りで、16:00登攀終了。
最後の壁は一応、安全確保。お互いの健闘を称え合い、握手。いつもながら“帰途の岩場歩きは危ないなあ”と思う。
Tさんにもその点を確認して、コル迄慎重に歩く。
急斜面を下り、千畳敷。振り仰ぎながら明日の第1スラブの左側正面壁を眺める。
神社に寄って完登お礼のお参りの後、1スラの取付き点まで行って1ピッチ目を観る。
菅原公民館に帰り、先ずは完登祝いの乾杯。ビールの味も格別で、夕食準備もルンルン。
公民館は貸し切り状態で炊事場に椅子を運び肉中心の鍋にワイン。例によって飲み過ぎたが、今日のクライミングの振り返りと明日の1スラのルート図の予習も済ませ、21時過ぎには寝る。
 11月9日(土)6:00起床。昨日の残りの鍋にα米の朝食も早々に済ませ、7:20第一スラブに向かう。駐
車場には先客1台で聞くとニードルを登るとのこと。
1スラ取付きには一番乗りでまだ駐車場にも車は来ない。
7:40、Tさんのトップで登攀開始。スムーズにロープが伸びる。ロープ一杯でビレー解除。
どうやら立木の奥の壁の取付きまで行ったようだ。先週は私がトップだったルート、草付きの泥が岩にのっていていやらしいが難なく登る。
2ピッチ目、私がトップでルートも短くあっと言う間に終了。
 3ピッチ目からは1スラの核心部。彼には岩の乗り越の部分は左より右へと言っていたがドンドン左へ登り、とうとう見えなくなった。
ロープは断続的に伸びて左の回り込みで姿が見えてきた。「右、右」のコールも空しく響く。
左から右へ回り込んで何とかビレー点に着いたようだ。ロープは残り僅かで、ちょっと冷や汗ものだった。セカンドで登ってみるとやはり左ルートは難しい。
途中、残置のカムもあってルート選択に難儀した。結局ビレー点は亀の甲羅スラブより下の大岩に取っていた。案の定ロープが足らなかったのだ。
私はそのまま亀の甲羅スラブ直下のビレー点まで登り、更にTさんを再度確保することにした。
亀の甲羅スラブ直下で給水休憩。昨日も暑かったが今日も大汗。一部冷や汗?先週とはうって変わってルートは貸し切り。時間的余裕も出てきて記念撮影。順調に高度を稼げている。
  4ピッチ目は亀の甲羅スラブ。いつ登ってもこの取付きはいやらしい。バンドへの乗り込みが不安定なのだ。
ジリジリと立上ってピンにヌンチャクとスリング長めに掛けやれやれ、次いで4m程トラバース。上部のピンにヌンチャクを掛けるがロープの鋭角な流れが気になるところ。ここからが亀の甲羅スラブ。
冷静に見れば左右にスタンスもホールドもある。この視野の広さも2週連続登攀のご利益か?今まで、高度感とトップの緊張で視野が狭くなっていたのだろう。
ゆっくりスラブ登りを満喫してビレーポイントに到着。
5ピッチ目はルート図に忠実に右奥へトラバース気味に進む短いルート。ここは順調に進み、ビレー解除。しかし、登ってみると支点は古いハーケンばかりでほとんど気休め。
6ピッチ目は樹林帯に沿ったスラブを登り、スーパールートと交差。 
 この2ピッチは難度がほとんど変わらないのでピンの新しさから云っても、絶対にスーパールートの方が良かった。快適さもスーパールートの方だ。(先週は5、6ピッチ50mのスーパールートを一気に登った。)
7ピッチ目、スラブを越えて藪に突入するルート。
8ピッチ目は快適な最終スラブ。特に問題なく登って登攀終了。13:00少し前だった。
約5時間の楽しい登攀であった。
 第一スラブはここ数年、山岳会で毎年登っている。しかし、2週続けて登ってみるとビレーポイント、ルートの難易度、ホールドの位置等がしっかり会得できた感じだ。
初登のTさんとの登攀を控えて、山岳会のメンバーとの登攀でも気合の入ったのが好影響だったようだ。彼もトップの登攀に緊張もしたようだが公民館に帰ってからの反省会?でも達成感が凄く、満足と言っていた。
 11月10日(日)、Tさんの足の痛みのため、折角の1スラの2度目の挑戦は中止となり、矢筈岳、丹助岳ハイキングになった。
山岳会の時も出た話だが。長時間履いても痛くならないクライミングシューズ選びは本当に難しい。
先週のメンバーも足が痛いと言っていたし、1スラで会ったクライマーはビレイポイントで靴の踵が脱げていたし、長時間待ちの時では裸足だった。
スポーツクライミングで当たり前の足の痛みは、アルペンでは通用しないと思う。
私の今履いている靴は、販売店のアドバイスを無視したので、長時間履いても痛くない。山では靴は大事であることに変わりはない。
 矢筈岳は初めて、槇峰に戻りR218から林道を入る。
駐車場からは尾根を辿る、結構立派な登山道がついている。
西峰の登りは完全な岩場だがロープや足掛かりの金物が打ってあり危険はないが注意は要する。
ゼーゼー言いながら登り上がると展望台。なかなの景色である。
急斜面を下って更に進むと東峰は木立の中。比叡山のルートが見えないかと期待したが2峰3峰は見えるが肝心の1峰は見えなかった。帰りは巻き道を通って駐車場。
 林道を下って5分ほどで丹助岳の登山口。登山道と林道を歩き最短距離を山頂へ。
景色は最高で阿蘇、祖母・傾の山々が奇麗だった。
帰りは尾根の岩場を越え林道を戻って終了。
 今日の宿は鹿川「庵」ハイキングは午前中だけで14:00前には着いた。三澤さんは留守で、荷物を運び入れ暫く付近を散歩。鉾岳が奇麗だった。
風呂用の薪割の後15:00から奈須商店で生ビールと豆腐の定番。豆腐がまずかったが、生ビールはあっと言う間に空っぽ。腰の不自由な店主に代わり自分でお代り。
「庵」に戻ると恐れ多いことに三澤さんが風呂を沸かしてくれていた。感謝・感激。三澤さんと飲みたかったが、町内の寄り合いで出掛け帰りは飲み会で遅いという。結局、「庵」は日曜の夜なので宿泊は我々だけ。今日も鍋でビールとワインで満足して炉端で寝る。
 11月11日(月)、「庵」の宿泊名簿を書く。今日は1が5つ並ぶ日であったかと気付く。
Tさん得意の洋食の朝食。庵のコーヒーがことのほか旨かった。
帰りに寄付の積りで「宮崎の岩場」の本を買う、定価2500円のところ2000円だった。三澤さんのサイン入り。尚、Tさんのガイドは「鹿川通信」に寄稿する程の「庵」の常連だった。やはり登山界は狭い!
 帰りは下鹿川から青雲橋に出て、高千穂神社に参拝。13:00には福岡空港に着いた。
鳥栖には14:00着。長いようで短かった“比叡山と庵の旅”は終わった。
 今回報告は、この登攀をほぼ1ピッチ毎に振り返って自家薬籠中の物にしたかったので長くなってしまったがご容赦願いたい!
蛇足ではあるが、私のマルチピッチの実力も分かった。どうやら難度で「Ⅴ?」までのようだった。もう少し上手くなるとルートが広がるのだが、70歳を超えると上手くはならないよなあ~。