金峰三山 山岳マラソン参戦記

三田 T

 ちょうど1年前の橘湾岸スーパーマラニック(103km)では、完走はしたが雲仙への登りのロードではほとんど歩きの状況であり、何人にも抜かれてしまった。
練習では距離はこなしたものの平道ばかりで、アップダウンをこなしてなかったことが要因。
 今年はどの大会に出ようか思案したが、前から気になっていた熊本で開催される「熊本市杯金峰三山山岳マラソン」にエントリーした。
この大会は、昨今のトレランブームが始まる以前から開催されており、熊本クレイジートライアスロンクラブ主催の24回を数え、参加費も5000円とリーズナブルな大会である。
種目は42km、34km、16km、ウォーク部門がある。せっかくなので最長の42kmに参加、42kmの部には約200名がエントリーしていたが、長崎からの参加は私1人だけだった。
 今回はなるべく上り坂をゆっくりでもいいから走り続けることを目標に、8月末の夕やけマラソン終了後から本格的なトレーニングを始めた。
 平日は自宅〜蛍茶屋往復又は鍋冠山往復(累積標高210〜250m)、
休日は自宅〜甑岩〜大田尾〜網場〜新日見トンネル〜蛍茶屋〜自宅(累積標高624m)、
自宅〜稲佐山往復(累積標高569m)、
自宅〜妙相寺〜烽火山〜片淵〜金比羅山〜自宅(累積標高698m)、
かきどまり運動公園〜稲佐山〜梁川〜水辺の森公園〜城栄町〜警察学校〜岩屋山〜かきどまり運動公園(累積標高814m)、
東公園〜戸石〜矢上〜矢上普賢岳〜東公園(累積標高646m)
など、山道を含めアップダウンのランニングを取り入れ、走らない日は足攣り防止対策としてスクワット500回をこなすことにした。
 本番の11/3(金)、スタート地点のフードパル熊本には、足にテーピングをするなどいかにもという格好のランナーや、なんとワラーチ(サンダルのようなもの)で走るランナーもいてびっくりした。
もちろん、仮装ランナーはいない。私は普段のマラソンと同じくランパンとTシャツ、42キロのうち山道は2〜3割程度ということでシューズもトレラン用ではなくマラソンシューズで臨んだ。
42キロコースは小萩山(412m)、三ノ岳(681m)、二ノ岳(685m)、金峰山(665m)の四座を巡る累積標高約1800mのコースであり、制限時間は一般のフルマラソンと変わらない7時間と厳しい設定となっている。

それぞれの山頂への登りは普通の登山道となっており、急登ではさすがに歩くしかない。
また、エイドは10か所程度あり、水、ポカリ、コーラ、果物、酢飯、キュウリ、フルーツポンチ、シュークリーム、饅頭など必要充分である。
昨年の橘湾のレースでもらった完走Tシャツを着ていたら、エイドのおばちゃんから「橘湾のレース走ったと?私も3回走ったとよ。」と声をかけられる。ボランティアのおばちゃんもただ者ではないのである。
 最もきつかったのは、金峰山への急登、通称「さるすべり」と、登りきった後のゴールまでのアスファルトの下り15km。さるすべりでは岩をつかみながら登る全身運動。
ゴールまでの延々とした下りでは靴に爪先が当たり、靴紐を締めなおすも親指の爪は真っ黒になってしまった。
足が攣りそうになったこともあったが、それでも山道の急登以外の登り坂では歩くことなくほぼ走り切ることができ、何とか踏ん張って5時間30分でゴール。
トレーニングの成果もあり、自分なりには満足する走りができた。しかし、トップの人はこのコースを3時間30分でゴールしており、とんでもない人間がいてビックリである。
 2日後の11/5(日)、長崎で三浦雄一郎氏の講演会があった。
85歳にして普段から足に5キロの重りを付け、20キロのザックを背負って体を鍛え、来年は世界第6位の高峰であるチョー・オユー(8201m)にアタックするそうである。
何歳になってもチャレンジすることの大事さを説いておられた。我々はまだまだひよっこである。
レース後で気持ちは完全燃焼状態だったけど、また元気をもらった。
さて、次はどんな山、どんなレースに挑もうか…。