個人山行 大雪山系 旭岳〜トムラウシ山縦走

大雪の花に会いに

倉嶋C ・石川

 高山植物の宝庫、北海道の屋根をいつかは歩きたい、でも夢で終わるだろうと思っていた。が今夏倉嶋さんとこのうえない幸せな花紀行をすることができた。
2人の気楽さから登山と観光8日間の旅を計画した。
 7月20日(月)曇時々晴
 予定通り九州号で出発したものの、一番気がかりの天気が思わしくない。
前半大雪山縦走、後半は観光と羊蹄山登山でしめることにしていたが、福岡空港到着までに計画変更を決定。
旭岳ビジターセンターに確認すると22日は70%の雨、24日は晴の予報なので縦走を2日遅らせ23日からにする。
スマホの威力は絶大で、さあこれから我世の春を楽しむはず(?)のお父さんもまきこみ、宿やバス、レンタカーなどの予約のキャンセルと変更をすませ機上の人となる。
新千歳から旭川へのJRで今夜の宿の予約も無事完了、アナログ人間は目を見張るばかり。
広い駅前広場のビアガーデン(もちろんサッポロ!)で無事の到着と予約変更完了、明日からの旅の幸運を期待して乾杯!
 7月21日(火)曇のち雨 旭山動物園、青い池と美瑛の観光を楽しむ。
 7月22日(水)雨
 午前中時々降る小雨の中、富良野でこれぞ北海道の景色を堪能。
旭川空港で車を返し、そこからいで湯号(バス)で登山口の旭岳温泉白樺荘に2時過ぎ到着。
あいにく土砂降りの雨。どうなることかと心配だが明日からのスマホの予報はまあまあだ。
早めに温泉に入り山の準備をし、観光から山へと気持を切り替える。
 7月23日(木)曇のち時々晴
 昨夜はかなり降っていたが雨は止んでいる。10分程歩いてロープウェイ乗場に着くと既に何人かの登山者がいる。
その中に山スカに花柄タイツの背の高い山ガール、近づくと「エッ!?」何とおにいさんだった。
6時始発のお客は思ったより少なく、ザックの大きさから縦走するのはツアーの8人を含め12、3人ぐらいだ。10分で1600mの姿見駅へ。
朝食のでかいおにぎりを食べ、6:30いよいよ縦走の第一歩を踏み出す。
 テントなど共同装備の大半を持ってくれてる相棒のザックはかなり重いはず。とりあえず白雲岳避難小屋までは弱音ははけないと気合を入れる。
歩き始めるとそこはもう高山植物の世界。
雨露にぬれたイワブクロ、キバナシャクナゲ、エゾノツガザクラなどが見られ足が止まるが15分程で姿見の池着。
旭岳が映るはずだが今日はすっぽりとガスの中。
ここを過ぎると花もなくなり火山礫ごろごろの急登の尾根道になり、左の地獄谷からは噴煙が上がっていて火山を意識しながらいつものペースで歩く。
風が冷たくなり雨具の上だけ着て、ひたすら登って行くと四角いニセ金庫岩が見え傾斜が緩み一等三角点のある広い旭岳頂上着(9:00)。
北海道最高峰(2290.9m)で360度の展望のはずだが望むべくもない。旭岳往復だけの軽装の人も結構いる。
 一息入れてメアカンキンバイ、チシマヒメイワタデ、チシマクモマグサなど見ながら裏旭キャンプ場へと歩きにくいざれた急斜面を下る。
途中から雪渓になりガスで前を行く人が見えなくなると、スプーンカットの踏跡はわかりにくく、地図を見たり後から来た人も一緒に道を探しているとガスが切れて下の方にテントが見えそこを目指す。
キャンプ場から間宮岳分岐へと登って行く。イワヒゲやエゾコザクラ、大好きなイワウメもたくさん見られ黄色のエゾタカネスミレもきれいだ。
この頃からうす陽がさして明るくなり山も見え隠れする。
分岐から広く平坦な尾根道になりピークのはっきりしない荒井岳、松田岳を過ぎて北海岳に向かう。
左下方の立入禁止の有毒温泉がある御鉢平は直径2qという大噴火口でかつてカルデラ湖だったそうだ。
クモマユキノシタ、ヨツバシオガマ、コマクサも現れ11:30頃北海岳(2149m)の広い頂上着。
 ここから右(南)に折れまだまだ遠い白雲岳(2230.1m)を見ながら、北海平と呼ばれる緩やかな起伏の広い稜線を辿り、次々と現れる花々に「オーッ!」と歓声をあげながら歩く。
キバナシオガマ、ミヤマサワアザミ、ミヤマリンドウ、イソツツジ、エゾノマルバシモツケ、チングルマ、コマクサ、エゾノハクサンイチゲ、エゾオヤマノエンドウ、ウスユキトウヒレン(ユキバトウヒレン)、エゾヒメクワガタ・・・とにかくすごいお花畑で、さすがフラワーロードといわれるだけある。
一面のコマクサ畑にはあちこちに「採るな!」ではなく「コマクサはウスバキチョウの食草、大切にしよう」の立札。
調べてみると、日本では大雪山系にしか棲息しないマニアが「ウスバキ」と呼ぶ高山蝶で、幼虫はコマクサの茎を食べて大きくなる。何と優雅でぜいたくな!! しかし天然記念物とあらばまぁ許されようか。
ウスバキは根こそぎ食べるわけではなく、コマクサは過酷な環境で細い根を土中にしっかりのばし生育する多年草だ。
白樺荘で同室だった広島の単独の女性がつかず離れず追ってくる。彼女もこだわりの花好きのようだ。
やがて行く手に白雲岳から小泉岳に延びる稜線が近づき、花ノ沢源頭の雪渓を渡り緩やかに登り上がると白雲岳分岐。
しかし避難小屋はまだはるか彼方に見えるではないか!ここから白雲岳往復の予定だったが、雲が多く折しも白雲岳はガスの中、今の足では往復1時間近くかかりそう。2人とも殆ど同時に「白雲岳パス!」で納得。
 小屋に下って行く道も花、花、花!チシマノキンバイソウ、ウコンウツギ、初めて見るハクセンナズナ、イワギキョウ・・・アオノツガザクラとエゾノツガザクラの見事なコラボも素晴らしく、トカチフウロの咲く小さな沢を渡り小高い丘に建つ白雲岳避難小屋14:00着。
小屋の前のテーブルにお酒を用意している男性がいる。「アレッ!?」あの女装のおにいさんだ。何だ普通の服も持ってるじゃん!わざわざ1升瓶を担ぎ上げ、ただ酒をふるまうというのに居酒屋白雲岳(?)には余り客がいない。
後で話を聞くと、午前中に小屋に着き明日は3時起きで一気にトムラウシ温泉まで歩くとか、やはり普通の人ではなさそうだった。
避難小屋だがここには管理人がいて1人1000円を払い今宵の宿を確保する。この日の泊りは2階にトムラウシへ縦走する人や忠別岳避難小屋からきた人達10人余り、1階のツアーの人達と合わせて20人程。
小屋のすぐ下のテン場には3張ぐらいあったろうか。シーズンとはいえさすがこのコースは人が少なく、年配の単独おじさんが多いようだ。
初日の重荷が堪えたのか頭が重く2人とも余り食欲がなかったが、フリーズドライのご飯とビーフシチューで夕食をすませる。
少し元気になり小屋のまわりを散歩すると、チシマキンレイカ、エゾタカネツメクサ、ミヤマアズマギクなどが咲きほこっている。
花の種類も規模も予想をはるかにしのぐお花畑に大満足の一日に感謝し、明日の行程に思いを巡らせながら眠りに就いた。
         (石川 記)
7月24日(金)晴れ時々曇り
コース:  白雲岳避難小屋4:50⇒高根ヶ原⇒平ヶ岳⇒忠別岳⇒五色岳⇒化雲岳⇒ヒサゴ沼避難小屋14:00  9時間10分(休憩・撮影タイム含む)
翌日は予想通りの空模様だった。雲はあるものの青空が今日の行程を快適にしてくれると喜んだ。初日からすっかり私達のパーティーに加わる形となった広島の単独行の女性と一緒に小屋を出発する。
この女性とは結局最後まで一緒に歩くことになるんだが、彼女は元広島山稜会に所属していたが辞めて今は一人で各地を歩いているそうだ。
60半ばの年齢で活発に一人で花を求めて名だたる山を歩く姿には感心させられた。
小屋を出てすぐの所から見事なお花畑が広がり、この日もなかなか足が前に進まなかった。
花咲き乱れる高根ヶ原の平原を3人で歓声を上げながら歩いた。本当に大雪山系は花の種類が多かった。
登山者も少なく熊に出くわす恐怖は持ちながらも、その花々に見入り幸せな気分になった。百花繚乱この言葉は正しくこの山域にふさわしいと思った。
遥か彼方にトムラウシ山も望め気が遠くなりそうになるが、周りの景色が気分を快適にしてくれ楽しく歩くことが出来た。でも、平原は続くよ何処までもでなかなか忠別岳には近づこうとしない。
やっと忠別岳の姿が現れると頂上までの歩きがしんどかった。辺りはいつヒグマが出てもおかしくないところで、早くいかねばの心境で足は自然と前へ出ていた。
忠別岳を後に先へ急ぐ。途中、左前方下に忠別岳避難小屋が見えた。
広島の女性の計画ではこの日はここに泊まる予定だったようだが、私達がヒサゴ沼避難小屋まで行くと言うと彼女も一緒についてきた。
ヒサゴ沼避難所に一緒に行くのはいいが、その後の予定のトムラウシ温泉を予約していないという事で困っていた。でも、明日下山しないと次の日は雨の予報だったので、宿は何とかなるでしょうと翌日の下山を薦めた。
忠別岳を出て五色岳で沼ノ原方面からの単独の男性に写真を撮ってもらい、話をしていると同じヒサゴ沼避難小屋に泊まることが分かった。
五色岳からは快適な木道歩きとなり、化雲岳も姿を現した。
単独の彼は化雲岳はパスしてそのままヒサゴ沼へ。私達は最後の力を振り絞り化雲岳へ。この上りもきつかった。
化雲岳を後にして降って行くと最後の雪渓が現れた。ここも踏み跡がはっきりせず、ガスっていたり天気が悪かったら迷う所だ。気を付けてゆっくり降った。
雪渓を終えると小さな沢みたいな登山道になり、道は荒れて木道は至る所で崩壊していた。
ここからの歩きも長くまだかなまだかなと思って歩いているとヒサゴ沼が目の前に現れた。
沼の回りを辿って行くと今日の宿泊地ヒサゴ沼避難小屋が見えて来た。
ヒサゴ沼避難小屋は小さな小屋で1階に10人位、2階もそれくらいしか泊まれず私達はここで持参したテントに寝ることにした。
テントは快適で、この日の雨も心配なさそうだった。せっかく担いできたんだから使わなきゃ!さっそくテントを設営しようとしたら周りの男性が手伝ってくれた。
慣れてるので手伝いは要らなかったがご厚意に甘えて手伝ってもらった。
近くの水場で水を汲み、ガスで飲み水を作る。この日は最後の夜なので、贅沢にガスを消費して、お湯で顔を洗ったり身体を拭いたりした。
回りのテント泊の登山者と暫し談笑し、夕飯を食べてテントの中のシュラフに潜り込んだ。
(倉嶋C 記)
7月25日(土)曇り時々晴れ
コース:  ヒサゴ沼避難小屋5:00⇒化雲岳分岐⇒日本庭園⇒ロックガーデン⇒北沼分岐⇒トムラウシ山⇒トムラウシ公園⇒前トム平⇒コマドリ沢出合⇒カムイ天上⇒温泉コース分岐⇒駐車場16:30 11時間30分(休憩含む)
快適なテントで翌日を迎えると、曇り空ながらまずまずの天気。朝日が昇る前のヒサゴ沼は赤く幻想的な雰囲気で外国の地を思わせた。
朝日が昇り対岸の山上をモルゲンロートで赤く染めていた。この日の歩きが全行程で一番長く、気合を入れる。
朝食を済ませ、テントをたたんでザックに入れるが、夜露で濡れ重さを増していた。結局、初日の重量とあまり変わらず17キロ余りをこの日も担ぐことになる。大丈夫かいな。
小屋に泊まった広島のA木さんは、一足早く出発していた。途中で追いつくことになるが・・・。
テント場を後にヒサゴ沼に沿って雪渓歩きが待っていた。早朝だったが雪渓は凍ってはいなかった。
先に出発したツアー登山者達は、この雪渓の手前で10本爪アイゼンを付けていた。
私達も一応持っては来ていたが、10本爪じゃなく軽アイゼンだった。でも、アイゼンを付けるほどでもないと思いそのまま歩いた。
雪渓歩きが不慣れな人はアイゼンは付けた方が良いと思う。
雪渓が終わると大きな石の岩稜帯になった。大きな荷物を背負っての歩行は大変。バランス感覚が問われる。
ペンキの目印もはっきりせず、適当な石の上に乗って歩を進める。しかし、この先のルートはこんなものじゃなかった。
岩稜帯を抜けると化雲岳の分岐に出た。ここから化雲岳の少し出っ張った山頂が見えた。
少し行くと木道になる。ここは快適に歩くことが出来、回りの景色も素晴らしい。
暫くして、日本庭園と名付けられた場所に到着。
ここは、残雪が残る沼の回りにお花畑が広がり、思わず声が出るくらい素晴らしい所だった。
ここを抜けると、ロックガーデンのお出まし。岩も最初の岩よりもっと大きく距離も長い。これでもかと延々続く。ザックは重いし嫌になる。でも、頑張った。
ロックガーデンを過ぎるとトムラウシ山が姿を現した。なかなか手ごわそうな岩山だ。
トムラウシに向かって歩いていると、北沼分岐に差し掛かった。ここは2009年7月にツアー登山者8名が低体温症で遭難死した場所だ。
回りを見回しても木も何もなく岩場があるだけ。北沼から増水して流れ出た水が登山道を川にしたという。
現場を見て、ここだったのかと納得した。こんな所で悪天候になったら、逃げ場がないことがわかる。戻るにしても距離がある。先へ進むにも大変な道だ。何名かは下山して助かったが奇跡だろう。
やっぱり北海道の山は天候に恵まれれば最高だが、一つ間違えば遭難は有り得るなとつくづく思った。
大きな岩の岩稜帯が頂上まで続き最後の山トムラウシ山の山頂に立った。
山頂からは、遥か彼方に旭岳が望めた。きつかったぁ。前後を入れ替わりながら歩いたツアー登山者の方達とも喜び合った。
広島のA木さんとも途中で合流して一緒に山頂を後にした。
山頂から少し下った所にキャンプ地がありそこで昼食を食べた。
ツアーの登山者もここで休憩を取っていてこれから先も追いついたり、離れたりと殆ど一緒の行動となった。これが結果的に良かったと後で思い知らされる。
休憩が終わり先へ進むが、嫌らしい雪渓があったり、上りの方がまだましだった下りの大きな石の岩稜帯歩きが嫌と言うほどあったり、樹林帯に入るまでは気を抜けないコースだった。
特に、岩稜帯では目印のペンキも少なくガスってるとコースを外れる危険性があるので十分注意したい。
残雪が残る急なコマドリ沢を降って行くとコマドリ沢出合に出る。ここで、またしても先を歩いていたツアーの登山者と一緒になる。
そのままでも飲める小さな沢の水を教えてもらい、美味しい水をごくごくと飲み干し疲れた身体を休めた。
この先は、沢沿いのコースで歩けないため、尾根までの急登が待っていた。
ツアー登山者と一緒に出発するが、尾根に上がって暫く歩くと彼らは先に行ってしまい見えなくなった。
この時から私の小さな足は悲鳴を上げ始める。足の底が痛くて痛くてなかなかペースを上げることが出来ない。
それでもまだまだ距離もあるし、時間が掛かってるのでリーダーとして何とか我慢して急いで歩いた。歩いても歩いてもまだまだたどり着けないジレンマに弱気になってしまう。
「ちっちゃん、頑張れって言って!」と娘に心の中で叫んでいる私がいた。ザックの荷物を放り投げて歩きたかった。
やっとカムイ天上に着いたとき、先を歩いていたツアー登山者が休憩していた。ぐったり疲れている私達を見て心配してくれた。でも、自分の足で歩くしかないのだ。
この時、このツアーのガイドさんが私達のことを気にかけてくれ、駐車場に自分たちの車があるから登山者を送って行って戻るまで待っててくれたら乗せますよと言ってくれた。
でも、車が行って戻ってくるまで1時間位かかるそうだった。分岐から下山口まで歩くと1時間30分はかかる。この時すでに3時ちょっと前、時間のことやヒグマのリスクを考えると乗せてもらおうと決めた。
そうして、駐車場分岐まで離されながらも歩いて行った。駐車場分岐まで来ると彼らが待っていてくれた。
ここが下山口への分岐ですがどうしますか?と再度聞かれ、待つから乗せてくださいと頼んだ。
駐車場に着くと、今回の長くて苦しかったコースを無事に歩き通したことに胸が熱くなり、思わず涙がこぼれた。
山を歩いて泣いたのは、初めての槍ヶ岳と奥穂から西穂への縦走を歩いて感極まった時だけだっただけに、この縦走が私にとってまた成長させてくれたと喜んだ。
駐車場でガイドさんに僕らの荷物を置いてくのであなた達3人乗れますよと、ガイドさん一人が荷物番をすることですぐに乗せて貰えることになった。
なんてラッキーな有難いことだろうと二人のガイドさん、ツアー登山者の方達に感謝した。
この北海道の山行では得るものもたくさんあり、少しだけ自信が付いた自分がいた。
長くて苦しかった分、喜びも満足感も今までにないほど満たされた。
(倉嶋C 記)