クライミング〜比叡山にて〜

下松八重 宏太

 今年4月。独り暮らしを始めて間もない頃、父からGWに比叡山に行かないかと言われた。多忙な高校生活や大学受験で久しく山にも行っていなかった自分にとって、その誘いはとても嬉しかった。しかもその山が比叡山ともなると喜びも一入である。
自分は、幼少のころより父と母に連れられ、長崎・下関両山岳会の方々に見守られながら様々な山に登った。その中でも、比叡山は自分がクライミングの魅力に魅せられた場所である。
初めての比叡山は第一スラブ。まだ体も小さく、技術も乏しかった自分は半ばザイルに頼って登攀した覚えがある。目の前にそびえたつは巨大な岩壁、一度足を踏み入れれば後戻りは難しい。
さらに大人と体格の違う自分には大人が行ったようには行けない。そこを、ただ上で待つ人のもとへ、登る。ザイルの導きのままに、登る。短い手足でホールドを探し、一挙手一投足を岩壁にぶつけ、登る。
そこには自分が自分の力で成し遂げているという実感が満ち満ちていた。ただ登ることが楽しかった。
そして、登った先にはいつも待っていた。「この壁は俺が登ったんだ」という充足感に征服感。クライミング後の山の上から望む風景はどこであろうと絶景であった。
その度に、やはり縦走よりもクライミングが好きだとそう思う。しかし、このとき自分は比叡山に行くことが叶わなかった。結果、今回の山行まで自分は思いを燻らせることとなった。
 ついに、その日が来た。準備で登攀用具を握ると心が湧いた。
移動日の前日には吹野さんと再会し、次の日には伊達さんらと再会を果たした。特に、伊達さんとの再会は嬉しかった。
移動日、天気は曇りがちで良いとは言えなかった。菅原公民館に到着すると、二人組のパーティーが既に居た。話を聞くと、新ルートを開拓するのだという。
その夜は前夜祭が開かれた。今まで、“大人”だった人と一緒に飲んで話すのは気持ちがよかった。それから、天気に不安を覚えつつも床についた。
 翌朝、前日に引き続き天気はあまりぱっとしない。ただ、雨は降っておらず上空の雲は流れていた。
朝食と周囲の片づけ、掃除を済ませてからとりあえず行ってみようということになった。
ここで、大塚さんが足の不調を理由にクライミング班から縦走班に移動となった。一緒に登る人が減ったのは少し寂しかった。今度は、ぜひ。
準備を整えて取りつき口に行くと、既に多くの人がいて登攀を開始している人も見受けられた。
下で待っている人々と軽く談笑しながら順番を待つ。チーム分けは父と吹野さん、伊達さんと自分になった。
まずは伊達さんがリードで先へ。1ピッチ目を難なく登り、気分は存外落ち着いていた。
 次は自分がリード。思えばアルパインクライミングでリードをするのは初めてのようなものだったが、落ち着いて役目を果たすことが出来た。
3ピッチ目、ここからピンやハーケンが目に見えて少なくなった。伊達さんが途中の岩にシュリンゲをかけてランニングビレイを確保しつつ上へ進む。
自分もその後に続きながら、気分が高揚してゆくのを感じていた。自分の手足をしっかと支えてくれる岩壁。場所は不安定なはずなのに岩の上に立ってみると確かな安心感が得られた。
岩と一体になっている、とでも表現しようか。自分の体が、心が、岩壁を通して自分を確かめていた。
4ピッチ目目前、先を行っていたパーティーがいたのでしばらく待つことになった。当初はこの3ピッチ目と4ピッチ目を一気に登ってしまうつもりだったが、この為に分けた。
自分が3ピッチ目を登り終わると、4ピッチ目、所謂「亀の甲スラブ」を御歳67歳の方が登っていた。年の功に感服しつつもこれは負けられないなと闘志が湧いてきた。
4ピッチ目は自分がリード。まずはクラック(岩の割れ目)に手をかけ、やや身を振りつつ登ってゆく。ひと段落したところでランニングビレイをかける。ここからは小さめのホールドが続く。指先に力をこめて身体を引き上げ、左右に突き出た岩に両足を乗せ、少しトラバースしながら少しずつ進んでいった。
先にホールドがあることを信じて足をかけ、体を引き上げて、掴む。そこを抜ければ、後はそう難しいものではなかった。ただ一点の問題を除けば。
5〜6ピッチ目に差し掛かる頃、弱くはなかった風がさらに強くなった。
6ピッチ目はランニングビレイも無く、リードだった自分は岩に身を寄せて一時風が弱まるのを待つことにもなった。
寒かった。それでも、足取りに不安はなかった。頂上に着くと、そこからはやはり、絶景を望むことが出来た。
頂上で昼食をとり、下山。千畳敷で縦走組と合流して記念撮影。下山途中小さな祠を見つけたのでお参り。何やら音がする。どうやら祠の裏に何か動物がいるようであった。
 その夜。「庵」での夕食。我らが食当の美味しい鍋や、庵にあった猪鍋におでん、高知県から来られていた方々による鰹のタタキ、鰹節、関西出身だという方からのイカ焼きの差し入れなど沢山の皿と人に囲まれた囲炉裏。自然と焼酎が進み、会話も弾んだ。
などとやっているうちに気づけば翌朝であった。どうやら気づかぬうちに床入りしていたらしい。当然、体調が良いはずもなく…。
 帰りは日之影温泉に立ち寄ってお土産を購入。時間が早く、温泉には入れなかったので移動。
高千穂温泉で山の疲れと汚れを落とす。鳥栖駅にてちょうど電車が来ていた吹野さんと別れ、残った6人で昼食をとる。
昼食は伊達さんの案内で石焼カレーなるものを食した。なるほど、辛すぎず香り高い美味しいカレーであった。
その後、自分と父は皆と別れ再び鳥栖駅へ。ここで父と別れて今回の山行は終了。
JRで快速を使い2時間半ほどで帰宅した。お陰様で充実した3日間を過ごすことができました。
長崎山岳会の方々はもちろん、楽しく会食戴いた土佐アルパインクラブや庵鹿川の皆様に感謝致します。
有り難う御座いました。