個人山行 2013マッターホルン

吉村 克伸

 7/25(木)3時50分マッターホルンへの第一歩が始まる。
 いきなりロープを握っての登りである。そして早いこと。早いこと。このスピードで頂上まで体力がもつだろうか?不安になる。
まだ体が温まってないし朝がまだ早いので、そのうち慣れてくるだろうと楽観的に考えて登る。早い早い。
 ガイドの後方を必死についていく。
私は3番目の出発だったので後にはライトがたくさん続いている。休みなしに登る。
 ソルベイ小屋をすぎても登る。「死にものぐるいで登ってこい」と日本語が聞こえる。私も“死にものぐるい”でガイドについていく。アイゼンを付けるためやっと休む。
「ドリンク、ドリンク」と言っている。ガイドはハダカになって着がえる。私はヤッケを着る。また登りだす。
ブログにのっている太いロープが出てくる。これをつかみ必死に登る。腕がつかれてくる。ロープが終り、雪の上を歩くようになる。
息をととのえるため立ち止まるとザイルで引っ張られ「クライミング、クライミング」と声が飛ぶ。二年前のトーマスと確信する。ゆっくり歩けばきつくないのだが、ザイルで引っ張るのできつい。
この時が一番きつく最後の力をふりしぼってやっと頂上(4478m)に着く。
 あのトーマスだったのでよろこびも半分になる。写真をとり下山する。
ロープの所はザイルでスイスイと下る。アイゼンを外す。ここから長い下りが始まる。
どんな所でも岩場に背を向けて下る。危ないと思って反対になって下ろうとすると、手足ザイルを使って岩に背を向けて下らせられる。
「ミギ、ヒダリ」と方向を指示され「ハンド、ハンド」と言って手を使い、岩に背を向けて下る。
ソルベイ小屋ではここにすわれとすわらせられ、手まで置く位置を指示される。韓国人パーティがいたが、ガイドなしだった。
 やっと小屋に着く。往復約7時間。ヒザはガクガク。登山証明書をもらい下山する。
トーマスには頭に来たので7/27(土)アルパインセンターにどなりこんで帰ってくる。
 終り


マッターホルンに寄せて

=再びトーマスが=

田尻 忍

 私の目標だったマッターホルン登頂を吉村君が成し遂げてくれ感無量である。
 私のマッターホルンの挑戦は平成20年に試みるが、ヘルンリ綾のソルベイ小屋(4000m)に着いた時点で上部に雪が舞い出し断念する。
 2回目は平成23年夏、7人でツエルマットに着く。他5名はハイキングが主な目的だが、私と吉村君はマッターホルン登頂が目的である。しかしツエルマットより見上げるマッターホルンは、7月末にしては、べったりと雪が付いている。
 日本よりガイドの仮予約を入れていたアルパインセンターに寄り状況を確認すると、例年より気温が低く降雪のため、マッターホルンはクローズとの事。やむなく他の山に変更しポルックス(4091m)に登るためガイドを予約する。
 このガイドこそ運命のトーマスである。平成23年の報告でも書いた様に、ポルックスの岩場はグレードとして春の剣岳くらいである。その岩場の登りでトーマスがどういう訳か無闇にザイルを引っ張り(ガイドはガイドとしての言い分が有ると思うが)バランスを崩しそうで危ないこと、この上ない、まったく腹がたった。この時は私が被害者である。
 この時、「再来年(平成25年)一人でも来ますけん」と吉村君が予言していたが、その実行が今回のマッターホルンである。ガイド登山が2年振りで有り、ガイドが紅毛碧眼の人種であれば、吉村君もあのトーマスとは気が付かず、途中の振る舞いでトーマスと確信とある。まったくもって運命(最悪)のトーマスである。
 吉村君のマッターホルン登頂に感服するのは、登ることもさる事ながら、海外旅行は2回目であり、更に一人であり、更に更に乏しい英語の語彙(私も同じ)をものともせず、英単語短冊の工夫と、長崎弁でスイスまで行き、無事に戻って来た事だ。
 それにしてもマッターホルン登頂を計画されている皆さん、トーマスにはご用心。