個人山行 山で出会った人々

田尻 忍

その人と会ったのは3年振りであった。
今夏、後立山縦走も3日目で、八峰キレットを越え種池にテントを張り、早い夕食を食べようとしていると、テント縦走にしては遅めの時間に、テントを張り出す人と目が合った。髭面のいかにも山屋然とした中年男性である。
 何気なく見ていると、向こうも何気なく見返し、果てな?どこかで見た覚えがあるぞと、お互い記憶を探る顔つき。そうだ、3年前の剣岳〜薬師岳縦走の折、スゴ乗越しのテント場で会ったKさんである。こちらが気がつく頃にKさんも気がつき奇遇を喜ぶ。
 3年前スゴのテント場では、深い意味もなく情報交換などしていると、なるねん男子(成年男子)なるねん女子(成年女子)等と岳連用語?が飛び出す。よくよく話を聞くと神奈川県山岳連盟に所属する団体の人であった。
 その後涸沢の合宿に参加すると言うKさんと別れて以来、奇如くも同じ様なテント場で会うとは。Kさんは私より1年年長の68歳と言う。今年も会の合宿がある涸沢で合流すべく、後立山を縦走中との事。今日は五竜のテント場を発ち、キレット〜鹿島槍ヶ岳〜冷池の小屋〜爺ヶ岳を越え、種池のテント場まで足を伸ばしたとの事。我々の2日行程。驚くべき健脚である。
 個人的にはネパールのトレッキングの際付いたガイドから、神奈川県岳連のヒマラヤ登山隊にKさんがいたのを聞いていたので、話が大いに盛り上がる。
 九州の山に限らず中央の山に入ると、多くの登山者と出会い、その殆どが挨拶と軽い話で終わるが、中には忘れがたい人々にも遭遇する。Kさんと共にここ5年の間に2人程強く印象に残っている。
 1人は5年前に、同じく後立山を縦走中に出会った74歳のH氏である。H氏は単独縦走であったが唐松、五竜、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳を越えると言う。私も同じルートであり同じ九州人との事で頼りにされる。不帰と八峰キレットの通過にアドバイザーとして同行を頼まれる。無事難所を通過し、冷池のテント場で別れる時は、心のこもった別れの言葉であった。
 今一つは、春の富士山でのこと。山頂部にテント泊の予定であったが、風が物凄くテントを何度も飛ばされそうになり、テントを諦める。夕闇迫る中、五合目目指して降り始めるが、八合目まで来ると残光も其の輝きを失い、八合目の小屋前で思案していると、避難小屋の出入り口が目に入る。
中に入ると先客Yさんが居た。小屋内の吹き溜まり雪を除雪して、スペースを空けてくれる。ビールを勧めるが、胃を切除しており、アルコールは飲めず、食事も回数多く分けて食べるとの事。
翌日Yさんと一緒に下山し、五合目で別れるつもりであったが、私が荷物を置いている富士宮市まで送ってくれると言う。Yさんは東京在住との事で、遠回りを承知で送ってくれる。
その理由を聞くと、山では色んな人にお世話なっており、自分に出来ることであれば当然との返事。住所も電話も交わすことなく別れる。感謝の気持ちで一杯であった。
 人の出会いには一期一会あり、再会、別れと様々だが、山においても日常でも、人との出会いが、残りの人生を豊かにするものと考える67歳である。