個人山行 黒部峡谷(水平歩道・日電歩道)

 窪田 紀幸

記憶はいまだに鮮明だが放送されてからもう久しい「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」(第14回 「厳冬黒四ダム 断崖絶壁の輸送作戦」(黒四ダムの資材輸送作戦・間組(呼称はハザマ)2000年6月27日))から早9年、いつか行きたいなと思い続けて、今年(平成21年)の連休は会社の通例の休みを入れると滅多にない秋の5連休(9月19日〜23日)で、これは行かなきゃ損と言わんばかりの設定である。4月の剱を登り田尻さんの家での反省会の時には既に気分は黒部に飛んでいて、8月になり連休もそろそろ近くなってきて三田さんとともに計画を練り上げる。一般の連休ということは当然混雑も予想されたわけで、飛行機・宿は既に満席。のんびり鉄道の旅もいいかなと、足は往復JRで計画。宇奈月温泉に泊まりたかったが宿が空いていないので、できるだけ黒部に近い魚津に宿を決める。8月23日(日)に集まってインターネットで宿・黒部峡谷鉄道の予約、長崎駅まで切符の購入と一気に決めてしまい、出発の日を待つだけになる。

 ちなみに、水平歩道とは黒部川の水力開発を目的として1920(大正9)年に東洋アルミナム株式会社によって開かれた「欅平〜仙人谷」間約13qの歩道をいい、日電歩道は日本電力が水力発電所の建設に備えた調査を行うために開削したことからその名が付けられ、1925年に着工し1929年に開通した「仙人平(上部軌道の当初の終点)〜黒四ダム」間16.6qをいうそうだ。雪深い黒部峡谷は毎年の豪雪で登山道が荒れ、通れる時期も9月から10月までの約2カ月のみ(豪雪で通れない年もあるそう)、共に現在までずっと、関西電力で毎年の登山道整備が行われているそう。実際歩いて感謝の念が更に深まったのはいうまでもないが、本当に頭の下がる思いである。

 

▼9月19日(土)

現川から電車に揺られて早朝7:00頃にJR長崎駅に着くと、既に三田さんが「かもめ」の自由席の列に待っている。連休のためか乗客も多いようだ。早速「ビールでも飲みますか?」と誘ったが前日の飲み疲れで力なく「今はまだいい…」ということでアルコールなしで「かもめ6号」に乗り込み7:30定刻に長崎駅を出発。博多に着いた頃にはやっとエンジンもかかってきたみたいでビール片手に9:37「ひかり552号」に乗り換え、新大阪へ。ここで大阪・京都・名古屋観光の嫁さんと別れ、我々は新大阪12:46発の「サンダーバード21号」、北陸本線と乗り継ぎ16:34本日の終点「魚津」に到着。長崎から乗り継ぎで9時間、長い鉄道の旅であった。夜は魚津駅そばの居酒屋でジゲのもので舌鼓をと期待していたが、ホタルイカがシーズンオフと聞いてちょっとガッカリ。長崎とあまり変わらない料理であったが、思いがけぬ祭りの珍客もあったりして魚津の夜を満喫。

 

▼9月20日(日)

7:12富山地鉄で新魚津から宇奈月に出発、いよいよだ。天気は快晴、ボルテージがズンズンあがってくる。7:55宇奈月到着。想像していたより、ひなびた温泉街といった感じ。(ちょっと想像と違ったかなァ)トロッコ列車の切符売り場はごった返しており、早朝の便から「満席」御礼状態。事前にインターネットでチケット購入しておいてヨカッタよかった。改札口では長蛇の列、車両事前指定なのに改札が始まると我先に押すな押すなでトロッコ列車に駆け込んでいる。トロッコだけに客車はギュウギュウでかさばる大きな荷物は置く場所に困るほど。何とかスペースに押し込んで出発進行!約1時間の渓谷の旅を満喫する。


水平歩道

9:33欅平着。トロッコ列車から吐き出された観光客がウジャウジャでげんなりする。9:50欅平から阿曽原温泉に向けて登山道へ踏み出す。いきなり200mの急登で、欅平と人の声が遠ざかり先程までの喧騒が嘘のように静かになる。まだ初秋で夏の名残りの草花も咲いている。10:45水平歩道に入る。「水平」というのは判ってはいるが、実に見事に950m程度の高度で水平の道が作られている。(高度計を見ながら歩いたが10mの高低差もないぐらい!すばらしい!!)黒部峡谷のスケール・高度感と相まって、黒部の電力を開発するために携われた数多くの方の努力を考えると本当に頭の下がる思いと、人の能力の素晴らしさに感動する。とてもとても写真では表せない風景である。

 奥釣鐘山を左手にみて12:20志合谷を通過。吉村昭原作「高熱隧道」に出てくるホウ雪崩で宿舎が黒部川の対岸約600mも吹き飛ばされたかの地である。残念ながら宿舎跡は確認できなかったが、実際に来てみると、切り立った絶壁に囲まれ、宿舎が飛んで行った対岸は想像以上に遠く現実にあった話とはとても信じられない。こんな辺鄙な崖っぷちにコンクリート造りの宿舎を建てるのもとても人間業とは思えないが、雪崩の凄まじさにただ驚嘆するばかりである。(後日インターネットで調べると、宿舎は確認できるらしくとても残念。下りの方が確認しやすいよう。)

 人間のたくましさに感動し、歩道の工事に携わった方々の偉業と、亡くなられた方々の冥福を祈りつつ歩を進め、15:05阿曽原温泉小屋に到着する。小屋はオヤジさんも「テントが正解」と言うほどの1畳に2名の大賑わい。テン場も結構混んでいて、我々も場所取りして早々にテントを張る。阿曽原では不謹慎とは思いながらも高熱隧道のおかげで温泉が楽しめる。風呂が男女入替制で16:30までしばし時間があるためビールを買ってグビリとやる。

男性入浴時間になったので温泉へと下る。下松八重さんから頼まれていた30年以上前との比較をするため指定の場所から写真撮影をする。たぶん昔より浴槽が広くなっているよう。お湯(熱湯)は浴槽わきのトンネル(高熱隧道)からパイプで引いてあり、トンネルからは蒸気がドンドン吹き出し内部は奥に行くほどサウナ状態になっている。当時掘削時の岩盤温度は最高で165度に達したというから凄まじい限りである。男女入れ替え直後で時間もやや早いためか入浴客も少なくゆっくりと湯に浸ることができる。テントに戻って湯上りのビールとつまみ・晩飯(カレー)でおなかを満たす。いい気分で夜は更ける。

 

▼9月21日(月)

夜明け前起きだしテントを撤収し、ヘッドランプをつけて阿曽原温泉を出発する。小屋前では宿泊客がゾロゾロ出発の準備をしている最中。黒四ダムからの下りが多く、登りは少ない。夜が白むころ仙人谷ダムの高熱隧道に差し掛かる。コンクリート打ちの隧道にモワッとした暑い蒸気が立ち込めている。ちょっと中に入ってみたが急に温度が上がりサウナ状態になっている。「これがかの有名な高熱隧道か」と妙に感動する。当時隧道工事に携わった多数の方々・お亡くなりになった方々(150人以上が犠牲になられたらしい)には本当に頭の下がる思いである。そんなこんなで隧道を抜け、仙人谷ダムに差し掛かる。ここは戦前の電源開発のため昭和11年に着工し昭和15年に竣工したダムとのこと。高熱隧道といい、仙人谷ダムといい、建設機材も旧式な時代に人海戦術で作られたものだそうだから恐れ入る。黒四ダムに比べれば仙人谷ダムは桁違いに小さいが、仙人谷ダムは上部から谷底まで約50mの標高差があり、通路幅が3m程度と狭く、構造と手すりが素っ気ないのですぐ足元が覗けてしまい足がガクガクする。


高熱隋道

対岸へ渡ってしばらく歩くと右手に仙人山ガンドウ尾根からのキツイ傾斜が壁となって現れ、滝がそこかしことなだれ下っている。短いトンネルを抜けるとS字峡に差し掛かり、正面に東谷吊橋と灰色のオニギリの形をした黒四地下発電所の二つの電線引出口がみえる。「おお、これがかの有名な黒四地下発電所か」とこれまた感動する。東谷吊橋は高度感あふれる吊橋、おっかなびっくり通過。


黒四発電所と東谷吊橋

山中の黒四地下発電所

十字峡

下流からの黒四ダム

日電歩道はS字峡から十字峡まではやや高巻いた崖を歩くが、水平歩道に比べると谷底から歩道までの高度は低い。水平にうがたれた崖っぷちを黙々歩くと十字峡に到着。またここでも「おお、これがかの有名な十字峡か」と感動。思ったより小じんまりとしているが確かに十字型になっているのを確認できる。

十字峡から上流は谷底からの高度がグンと低くなって、ついには渓流に出会うところもある。この日も日差しが強いピーカンの天気で風もないため昼になると暑い。だらだら歩くとちょうど昼ごろ内蔵助谷出合に到着。丸山東壁を眺めて軽食を取る。

内蔵助谷出合からはもう一息だ。1時間ほど歩くと遠くに黒四ダムの黒い堤体と放水の霧が立ち上っているのが見える。黒四ダムからずいぶん下流で対岸に渡り休止。小屋番のオジサンから「今日の下りは140人ぐらいだねえ」と聞いたが、とてもそんなにすれ違ったとは思えない静かな山行だった。

ここからグッと200m程ほど急登すれば黒部ダムのバス停に出る。黒四ダムに着くとそこはもう観光客の人・人・人。我々二人も荷物を置き、ついさっきまでの静かな山旅から気持ちを切り替え、観光客の波間に吸い込まれるように消えていった。

 


《黒部峡谷について思うこと》

普通、登山道というと、丸太を埋めてあったり石段をこさえてあったり手入れはされているが、元は獣道や尾根道だったりして、自然や風景に溶け込んで人工的な雰囲気はあまりしないものである。

一方、黒部峡谷に沿って作られた水平歩道・日電歩道は、人間界から隔絶された急峻な黒部の崖を強引に切り刻んで作られ、歩道全部に亘って人工的なニオイがプンプンしているありきたりの登山道とは一線を画す別世界であると感じた。

もしも峰々を頂上から俯瞰する山歩きが主体ならば、黙々と危険と隣り合わせの崖っぷちや谷底を歩くだけの水平歩道・日電歩道はやや単調で恐らくガッカリされるに違いない。しかし、黒部峡谷の厳しさ・美しさ、人間のたくましさ、登山道のそこかしこに秘められた感動ドラマを追体験するためには一度は行ってみるべき価値がある。

 

小生もかねてからの悲願を成就し、満ち足りた山行になった。今一度、「プロジェクトX」、「高熱隧道」、「黒部の太陽」を見返し余韻に浸りたい。

皆さんも是非行かれる前にはこれらの作品に触れておかれることをお勧めする。

 

コースタイム

9/19(移動日)長崎駅7:30→博多→新大阪→富山→16:34魚津(宿泊)

9/20魚津7:12(富山地鉄)7:55宇奈月8:17(トロッコ列車)9:33欅平駅
欅平登山口9:5010:45水平歩道→12:20志合谷→15:05阿曽原温泉(テント泊)

9/21阿曽原温泉4:455:39高熱隧道→5:50仙人谷ダム→6:20S字峡(黒四地下発電所)→半月峡→8:02十字峡→9:09白竜峡→9:50黒部別山谷出合→11:20鳴沢小沢→12:10内蔵助谷出合→13:19黒四ダム(下部)14:10黒部ダム駅《しばし観光》15:35(関電トロリーバス)15:45扇沢−(路線バス)→信濃大町(宿泊)

9/22信濃大町→名古屋へ