第1946例会 西岳(多良山系)
田尻 S
6月6日(日)
今日の例会は第四代山口貞雄会長を偲んで多良山系の西岳へ登る。
多良山系を久しぶりに佐賀県側の中山キャンプ場を出発地とし計画する。ただ昨年の夏の水害で、キャンプ場への道路に一部崩壊があり30分程歩かなければならず、通行止め手前で駐車し遊歩道を登る。
中山キャンプ場から役の行者像下の五差路まで順調に登る。さらに金泉寺に着き昼食とする。
昼食の後西岳へと向かい20分程で頂上に着く。
頂上には苔むした岩が積まれ崩れている。誰も気に留めない石の塊。
これは60年程前、山口元会長を偲んで自然石でケルンに似せて岩を積んだ物だ。今はその遺構の意味を知るものはいない。
昭和25年に四代会長を引き継いだときの会員が48名だったが、昭和33年には205人の会員数を数える長崎における最大山岳会となった。
この年は槇有恒を隊長とするマナスル日本山岳隊が登頂に成功し、空前絶後の登山ブームが到来したのも幸いしたかも知れない。しかしそれだけでない山口元会長の人を引き付ける魅力は並ではなかったと最古参の山上氏が語っている。
山上氏によると山口元会長は200名とならんとする会員の顔と名前をほぼ全て記憶していたとの事、それと会員の誰にでも分け隔てなく声を掛け、新人の山上氏へも丁寧な言葉で話し掛けくれたと懐かしく語っている。
昭和33年。56歳の働き盛りの山口元会長は闘病の甲斐なく他界された。葬儀では参列した会員、岳友が雪山賛歌で告別したと聞いている。
山口会長は佐賀県鹿島市の野古見出身で、若い頃から多良は裏庭みたいなもの、何十回となく登られ、山岳会に入られても多良山系の例会は多かったそうだ。
そんな山口会長を偲んで西岳の頂上では、その苔むした石積みを60数年振りに積みなおし、参加者が各々の胸の内で冥福を祈った。
西岳よりな急な下りを両手を使い登山道まで下る。
さらに笹ヶ岳を経由して中山越まで下り、中山越からはS字カーブを繰返す林道を適当にショートカットしながらキャンプ場まで戻る。
コースタイム:
通行止地点9:25〜10:05中山キャンプ場10:10〜11:10多良川源流11:20〜11:35役行者11:40〜11:45金泉寺12:20〜12:40西岳13:10〜13:35笹ヶ岳13:45〜14:10中山越14:15〜14:20林道(林道とショートカットを繰返)15:30中山キャンプ場〜15:55
通行止地点
参加者:
CL:田尻S、三田T、山上、西川A、石川S、西川I、中島H、東、金木、川口T、倉嶋C、平田T、平田S、
小笹T、福田K、井上、木場、田尻H 計18名