第1838例会 花見ハイキング
金木
3月30日(土)
恒例の花見ハイキングとなりました。
今回のコースは浦上駅から山王神社、長崎医科大学付属病院、長崎医科大学正門門柱、穴弘法寺、金比羅山神社、片渕近隣公園まで。
今回は平和学習としてガイドをしていた頃の一部分ではあったが、案内しながら歩く事にしました。
浦上駅は、長崎の鉄道が明治31年にここから長与まで開通しました。当時長崎駅はここでした。
明治38年(日露戦争の時)第二次埋め立てが行われ尾上町という広大な土地になり、鉄道が延長し今の長崎駅となり、ここが浦上駅となりました。
次は山王神社の一の鳥居。
この鳥居は原爆の爆風が偶然にも平行に吹いた為に倒れなかったのです。
原爆は秒速280m、熱線が3000度~4000度という溶鉱炉と同じ。そして放射線が降り注ぎました。
次は有名な二の鳥居(一本足鳥居)。
この鳥居は遠くから見上げただけでは原爆の威力はわかりません。真下で見なければわかりません。
一の鳥居と違って風向きが少し違ったので、左側の柱、笠木、貫が吹き飛ばされました。
また、寄進者の名がコンクリートの柱にありますが熱線ですり減って消えています。だからここまで登って来て真下で見なければ意味がないのです。
次は浦上街道。ここは26名の殉教者も通り西坂の丘で処刑されました(後の二十六聖人)。
歴史ある街道です。山王神社の入り口には三の鳥居柱を利用した坂本町慰霊碑。
そして被爆楠の木、丸焼けになりましたが二ヶ月後に芽を吹き出し、長崎市民は大変勇気付けられたそうです。
次は原爆詩人の福田須磨子の住居跡と医科大学付属病院。
医師・看護師230名、入院患者200名が亡くなっています。
そして医科大学正面門柱は爆風により10度傾き、前へ9cmずれ、後が16cm浮いています。重さは分からないが爆風の威力が感じられます。
次が坂本小学校。
この南面で永井博士が治療したそうです。原爆の事はまだたくさんありますが、次回に回す事とします。
小学校前の階段を登った所が穴弘法寺、真言宗の寺。
坊守さんが出て来て子供達に菓子等を配ってくださいました。七福神が祀ってあったので弁財天の事で一講釈。
裏道の急な階段を登った所が金比羅山の高射砲陣地があった所。今は雑木でよく見えない。
そして金比羅神社へ。このコースは初めての人も多いと思いますので、一度登ってみてはいかがですか。
ここから西山に下り片渕近隣公園へ。
公園には田尻夫妻、三田Kさん達が場所取りをしてくれました。
又、新入会員の諫早の井上さんがわざわざ立ち寄っていただきありがとうございました。
満花の桜、風もなく天気も最高の宴となりました。
コースタイム:
9:15浦上駅集合、9:30出発~9:50片足鳥居~9:56山王神社被爆クスノキ~10:12長崎大学旧正門~穴弘法10:30~金比羅神社11:28~12:15片淵近隣公園
参加者:
CL:三田T、SL:金木、山上、 東T、田尻S、田尻H、倉嶋C、倉嶋T、 中島Y、中島H、栗崎、西川A、西川I、 大塚、福田、中村E、石田、内山、赤岩、 小笹T、大町、山本、喜屋武、三田K 計 24名
会員外 6名