第1702例会 北ア 霞沢岳西尾根

窪田

 今年の年末年始の休暇は12月28日月曜日が仕事納め、1月5日は仕事始めになっている。
おまけに帰省時の年始早々の用事と重なって長期の山行には日程が悪い。
元日までに長崎に戻れて登ったことのないルートはないものかと思案し情報収集した所、2泊3日で登れる「霞沢岳西尾根ルート」を発見。早ければ1泊2日で登れるという。
12月6日に下さんに松本出張ついでで下見をしてきてもらうこともでき、天気の心配だけすれば良いだけだった。
12月28日(月)
 年末の霞沢岳の天気は曇りの予報でまずまずの模様。毎度のことながら仕事納め早々に帰宅し、バタバタして19:25に長崎を出発。
沢渡からのタクシーを予約していなかったので電話で確認すると予約一杯で11:30になるとの返事。沢渡に客待ちがいるだろうと高をくくっていたが、いきなり目算が狂って青くなる。
下さんが機転を利かし下見で泊まった坂巻温泉に電話すると「停めても良い」との返事で一安心。チェーンをつけることもなく快適に高速道路を走る。
12月29日(火)
 9:12坂巻温泉に到着。タダかと思ったがなぁーんだ1泊500円とのこと。
釜トンネルは歩いていけば1時間の距離。タクシー代も浮くし懐に優しい。
10:30釜トンネル入口で登山届を出し歩きだす。
非常灯だけの真っ暗なトンネルを抜けると左手に焼岳が間近にそびえ久々の銀世界が広がっている。
11:31国土交通省松本砂防工事事務所脇のクマザサに覆われた電柱保線路(電線の真下)から西尾根末端に取り付く。
ここからバリエーションルートなだけあってクマザサに覆われたしばらく急登が続く。下さんの下見では尾根が狭くテントを張れる場所が限られているという。
時間が早いけれど1740m地点でテントを設営しようとしたが、たまたま通りかかった下山中の登山者からの情報では「4人用テントだったらまだ上でも張れますよ」とのことなので行ける所まで行くことにする。
クマザサはなくなってくるが足もとが凍りつき登りにくい木登りが続き、林の中なので眺めもなくただ黙々登る(ストレス度80%)。
1815mでテントが張れそうな広さの場所があり、時間も良いのでテント設営にかかる。雪が少なくスコップで掘るとすぐササや地面が出てくる。
 午前中の曇りもどこへやら青空が広がってきて、林の合間からは霞沢岳方面も望め明日が楽しみになる。
モンベル4人用テントは田尻会長の事前検証の結果、余分な荷物は外に置いて寝ることになったが、居心地はさほど悪くなく快適の部類であった。
(田尻会長のストレス度95%??)
12月30日(水)
 5時起き7時出発とする。林の中からは穂高のモルゲンロートが望め「木がなかならね〜」が皆の一致した意見であった。今日は荷物が無いのでペースが上がってどんどん高度を稼ぐ。
林の右手には白銀の乗鞍・白山が美しい。
 2450m 付近で林が切れ、尾根の左手には穂高、右手には乗鞍・白山、後方には焼岳のパノラマが広がりシャッターを切るペースが速くなる。
09:50核心部の2500m岩峰下部に着く。先行パーティーがロープを使って登っている。
左に巻こうかと思ったが、丈夫そうな固定ロープがあるのが見えるので、我々は固定ロープを使うことにする。
上で待っていた下山パーティー2人が懸垂下降した後、登り始める。雪が少なくてホールドもしっかりしていて思ったより難なく岩峰をやり過ごす。
岩峰を抜けると快適な尾根が広がりパノラマを楽しみながら霞沢岳山頂に到達する。
登山者は我々だけの静かな山頂。とても年末の山とは思えない快晴とも相まって、そこにはうわさ通りの360度の絶景が広がっていた。
 しばらく絶景を楽しんだ後、山頂を後にする。
下りはあっという間にテン場に到着(13:02)。時間も早いし「快適なベッドで…」と田尻会長の声も後押しして下山に決定。テントを撤収、登りの苦労が嘘のようにこれまたあっという間に1時間で西尾根取付きに到着(14:54)。
山中1泊の弾丸山行を終えた。夜は松本駅近くのビジネスホテル・スーパーホテル松本天然温泉に宿をとり、1日早くソバ屋で打ち上げた。
 名だたる名峰(穂高・焼岳・蝶ヶ岳etc)に囲まれ、ひっそりとたたずみ何となく玄人好みのする「霞沢岳」。
白銀のパノラマビューがぜひお勧めの立派な名峰でした。
(下さん曰く「下見のときは何で眺めのないこんなストレス度の高い山に行くの?」が一転、登って納得との感想を付け加えておきたい)
コースタイム
12/28(月)19:25長崎=高速道路経由松本へ
12/29(火)09:12坂巻温泉09:53〜10:30釜トンネル入口(中の湯側)〜11:04釜トンネル出口(上高地側)〜11:31西尾根取付き(1515m)〜12:45 1740m地点〜14:23テント設営地点(1815m)
12/30(水)07:15テント設営地点〜09:50 2500m岩峰下部〜10:45霞沢岳頂上(2646m)11:02〜11:40 2500m岩峰下部〜13:02テント設営地点13:57〜14:54西尾根取付き(1515m)〜15:45釜トンネル入口〜16:15坂巻温泉=松本ビジネスホテル
参加者:
 CL:窪田、SL三田T、 田尻S、下松八重  計4名


平成27年冬(年末) 霞沢岳での思い

田尻 S

今度の冬山ほど、昔(45年ほど前)と比べて、隔世の感を強くしたことはない。
以下の感想は下山後、頭の中で散らばった思いをまとめてみた。
1、加齢と体力
言わずと知れた事、加齢と共に低下するのは体力。それを認めとしようしないのが気力。ただこの気力が曲者で昔の体力の幻想を捨てきらず、年寄の頑固さの裏返しでもあり、真にはた迷惑である、最悪の場合遭難を引き起こしたりする。
ならば自分はどうか、体力の幻想は捨て得るか、昔の経験をチームの中で良い方向に生かし得るか甚だ疑問である。色んな意味で体力も経験もさび付いている、それでも雪山への思いは断ち難く、メンバーに迷惑をかけない事を念じて参加した。
今回は幸運に恵まれ頂上に立てたが、いつ迄体が冬山への思いを許してくれるのか。
各々の人生に寿命と健康寿命があるように、登山寿命があるのではないか、そんな気がしてならない。
今一つ、馬鹿にならないのが体の柔軟性である。アイゼンやスパッツを着ける時、体が回らず往生するのだ。装着が遅れれば他のメンバーに迷惑をかけるし、天候が悪ければ尚の事焦ってしまう。
日々のストレッチで改善されるそうだが、そのストレッチも何度三日坊主で終わってしまったことか、その報いが今度の冬山である。
更に歳を取ると血の巡りが悪くなるのか手足が冷えて困ってしまう。テント場での作業でもミトンをはめての作業となったり効率が悪い。皆がその分カバーしてくれるが当人は面目ない。
2、暖冬の山
近年地球温暖化と言われて久しいが、今年の冬山は暖冬の当たり年か我々が入山した時は冬山らしからぬ様相であった。
霞沢岳西尾根は雪がなければ登れないルートであり、あまり一般的ではない。スキー場では雪不足で泣きが入るくらい雪が無い今季、この西尾根ルートも例外ではない。
尾根の取り付きより熊笹が出ており、その熊笹を掴んでヨイショと高度を稼ぐ。ただ先行パーテイの踏みあとがあり、ラッセルを覚悟していたのでこの踏みあとは有難い。
それでも森林限界を過ぎて稜線に出ると、それなりの積雪と風もあり冬山である。ただ眉毛にツララが着くことはなかった。
3、弾丸登山
昨年末の冬山でひとしお隔世の感を強くしたのは、日程の短縮である。
その昔北アルプスで冬山、雪山と言えば一週間か10日の日程を考え、先ごろでも5日〜6日を目安としていたが、今回は色んな条件が重なり、長崎を出て車中1泊、山中1泊、松本1泊、帰りまで3泊4日である、正しく弾丸の如くの登山であった。
条件其の一は好天に恵まれた事である。この天気はいかんともし難く、5年6年通っても天候が悪ければ頂上に立つこと叶わない、それが今回は一冬で頂上に立てたのである。
バリエーションルートと言え、アプローチがよくルートも長大では無い山を選んだリーダーの読みはドンピシャリであった。
条件其の二は交通手段の発達であろうか、昔は言うまでも無く、汽車とバスであったが、車社会になって久しく、我々もその恩恵を受け一気に山麓まで入ることが出来る様になった。
色々思い巡らしてきたが、この足はこの膝はこの腰は、いつ迄働いてくれるのだろうか、体にオイオイと登山年齢を聞きたくなる。