第1654例会 北アルプス(剱岳)

田尻 忍

北アルプス剱岳方面の例会は、平成11年(1999年)に窪田、吉村(克)、吉村(潤)、小川君の4名以来15年振りである。
このときの元気組はY峰Cフェース、立山三山、奥大日岳、仙人池と剱沢キャンプ場をベースとして色んな方面に出かけている、若いなー。
 15年振りの例会は静かに、立山三山、??岳を目標に行う。女性3人、男性3人で平均年齢は63歳である。
8月3日(日)
参加者6人と早月尾根を登る個人山行の石川さんを加え、総勢7名でJRを利用し長崎8:29発=博多=新大阪=富山17:04着と快適な列車の旅で富山に着く。夕食は富山らしい食材を使った定食に満足する。(移動行程時間8時間35分)
8月4日(月)
ホテルの朝食も摂らず、朝5時41分の富山地鉄に乗り立山駅へ。立山駅よりケーブルカー7分で美女平に、更にバス50分で弥陀ヶ原を経由して室堂着。
 8時15分、バスターミナル付近はガスで白い世界、早速雨具を着け今日の一歩を踏み出す。
予定では立山三山縦走であるが、この天気に登ってもガスで視界も無し、稜線で風に吹かれる意味も無しと、早々に変更を判断し、雷鳥沢経由、剱御前小舎、剱沢キャンプ場のルートとする。
雷鳥沢に下るうち少しガスも晴れ、視界もスッキリしてくる。ただ稜線はいまだ雲の中。雷鳥沢のキャンプ場には50張程のテントが咲いている。これを過ぎると、いよいよ剱御前小舎までの登りが始まる。
称名川の橋を渡り暫く行くと雪渓が現れ、先人がつけた足跡をなぞりユックリ登る。
雨粒を纏う花園。「チングルマ」「アカモノ」「ショウジョウバカマ」「ミヤマダイコンソウ」「ハクサンイチゲ」青空はないが、夏の北アルプスだ。
 今回は山岳会らしくテント泊としたので、参加者は各々18kgから11kgの荷物分担となる、平均63歳のメンバーは分に応じボッカし確実に登る。
2時間20分で剱御前小舎まで登り、昼食とする。ここから剱岳の雄姿が見えるが、僅かに頂上部にガスがかかっている。それでも今日の天気を考えると上出来である。
 40分で剱沢のキャンプ場まで下る。着くと早速テント場を物色するが、良い場所はすでに他のテントに占有され、「ダンナ好い物件が有りますよ」と誰も声を掛けてくれない。
それでも漸く2張張れる場所を確保し一安心。夏の剱沢テント場としては少なめで、80張くらいと言うところか。テントを2時前には張り終える。ここから全貌を現した剣岳を間近に見ながら、夕食の支度をし、夕暮れ時のユッタリした時間を過ごす。
今日は最良の天気とは言えないが、視界も充分良く、雨やガスの事を思うと充分に幸せである。
8月5日(火)
 夜中から朝方にかけテントはバタバタ、雨はザァザァと賑やかで、少し寝不足気味である。今日も相変わらず山稜には雲が低く垂れ込めスッキリしない。起床前、余りの雨音に停滞との思いもよぎったが、出発予定時間を遅らせ様子を見る。霧雨も止みガスも少し上がって来たので、気力も充実し6時30分に出発する。
 剣山荘までは3ヶ所程の雪渓を渡り、100円なりのトイレを借り一服剱へ登る。
一服剱の前に聳える前剱を見て、ここから引き返す人もいるそうな。我々は気合を入れて登りだす。前剱への登りは石がゴロ、ゴロ、ザレ場はザレ、ザレ、登りにくいこと、この上ない。下りは心して足を運ばなければと思う。
 前剱のピークからは剱本峰がグッと迫る、雪渓を纏う岩峰は映画「点の記」そのままである。
重く垂れ込めた雲の間からは、富山湾が見え、町中は晴れているようだ。
空中散歩と称される鋼鉄製の梯子を渉ると、本格的な岩場となり鎖が随所に出てくる。時折現れる可愛らしい高山植物、3歩歩くと名前を忘れると言いながら、「チシマギキョウ」「ハクサンフウロ」「ミヤマダイモンジソウ」と花々も楽しむ。
 平蔵のコルに出ると、オット、渋滞が始まっている。ツアーの一団である。ガイドらしき人が「カニのたてばい」を見上げながら、解説をしている。その間にも先行している仲間から落石の洗礼を受けている様だ。
40分ほど待たされる。剱岳のツアー登山や、岩登りの基本訓練をしたことが無いのではと思える人達についてはここでは省略しよう。怪我や転落に他の人を巻込まなければ自己責任だから。(金木君のオイは知らん人ば、こがん所でガイドは出来んバイ。のつぶやきが聞こえた様な!)
 11時10分剱岳頂上着、石川さんが待っている。早月尾根からのルートだが、我々より早めに着き、更に渋滞で遅れるのをじっと待つてくれていた様だ。頂上での再会を喜び合い約束の記念写真を撮る。
 頂上で赤シャツのおじさんが、還暦の祝いに子供から贈られたと、Tシャツが少し自慢げだったが、山上さんの喜寿を聞いて、上には上と感心しきり。
石川さんと再会を喜んだ松田さんも、剱岳の登頂は、最高の天気でない事を差し引いても充分満足出来るものであったらしい。
 頂上からの下りは岩場を縫いながら「カニのよこばい」に着くが、予想の混雑、順番を待つしか無い。しかたなく20分程待ち、「よこばい」にかかる第1歩が、岩から身を離さなければ足場が見えず、慎重になるところ。
「よこばい」は5〜6mと短く、これを過ぎると新しくなったステンの梯子が現れる。これも掴んで下れば済むこと。下り専用となった平蔵のコルの鎖場を過ぎ、前剱へと登り返す。
前剱から一服剱のピークを越え剣山荘へ。山荘の手前で雨だれを堪えていた雲が泣き出し、少し濡れながら山荘へ駆け込む。
にわか雨が止むのを待ち、最後の登り返しの剱沢キャンプ場へ一登り、これが結構堪える。
剱澤小屋に泊まる石川さんと別れ、我々の御殿であるテントへ辿りつく。16時着。
8月6日(水)
 今日は富山まで帰る日、初日に変更した立山三山縦走をと考えたが、外は真っ白、おまけに霧雨、天気は少し回復しても、稜線を強風に吹かれながら歩くのは危険であり、視界は間違いなく無いはず。
剱御前小舎まで登り、大日岳へ延びる尾根方面の新室堂乗越より、雷鳥沢へ下るコースとする。
 この2日間での各々の体力と疲れ具合を考えスタートに時間差を設け出発する。
剱御前小舎で全員集合し、ゆっくり休憩の後、小舎からは尾根伝いに行き、新室堂乗越を目指す。
尾根伝い、斜面伝いは雲の中を歩くので白い世界であるが、時折お花畑が行く手に現れる。
 新室堂乗越に着く頃は、稜線のガスの下に出、室堂一帯を良く見渡せる。
倉嶋さんの鬼門である橋も無事通過し、雷鳥沢キャンプ場で身支度を整え最後の登りを一頑張り。
 室堂は夏休みの子供達や、日本人と同じ顔つきの外人さんで賑わっている。
朝が早かった分11時には室堂バスターミナルに着く。(行動時間5時間)
室堂からの帰りは往路と同じで、美女平〜立山駅〜富山と逆になぞり富山に2時30分に着く。
富山の夕食は、剱岳例会の無事を祝って、旨い富山の海の幸、地酒で大いに満足する。
8月7日(木)
今日は長崎に帰るのみ。現役組は家族と職場への土産の買い付けに余念がない。自分が現役の時を考えると、さもあらん。
JRの復路は富山8:18発=新大阪=博多=長崎16:50着 (移動行程時間8時間32分)
コースタイム
8/4 室堂8:15〜9:10雷鳥沢キャンプ場9:25〜11:40剱御前小舎12:20〜13:00剱沢キャンプ場    (行動時間4時間45分)
8/5 剱沢キャンプ場6:30〜7:10剣山荘7:20〜前剱8:50〜9:55カニのたてばい10:30〜11:10剱岳頂上11:45〜カニのよこばい12:10〜14:50剣山荘15:00〜16:00剱沢キャンプ場  (行動時間9時間30分)
8/6 剱沢キャンプ場6:00〜7:00剱御前小舎7:40〜新室堂乗越8:50〜9:30雷鳥沢キャンプ場9:50〜11:00室堂バスターミナル  (行動時間5時間)
参加者
CL田尻S、SL田尻H 山上、金木、倉嶋C、松田 計6名

剱岳 50年ぶり再会の記

山上 八郎

▼今年の初め頃例会で歩いていて、夏山は剱岳に行くらしいとの話を聞いて、委員会の折確認すると本当だった。
 もう北アルプスや南アルプスは歩けないだろうと思っていたが、「剱岳」と聞くと、50年前20代の頃クライミングを楽しんだ記憶がよみがえり、行きたい気持ちが大きくなり、まずは自分が持っている古い装備の点検から始めることにした。
2月の初めに「山の家」に行き靴を注文し、山行にも出来るだけ参加して、山歩きの体力維持とトレーニングも行うが、年金生活者にとっては費用の負担も考えなければならず、節約を心がけて6ヶ月先の夏の剱岳登山を目指す。
 5月になって注文した靴が手元に届き、靴下の調整やその他、岩登り研修会等で足慣らしを行い、7月の鳴鼓岳から岩屋山までのボッカトレでは、18kgの負荷で昼までしか体力が続かずギブアップする所もあったが、何とか出発を迎えることが出来た。
数十年ぶりの北アルプスへの山行なので、初心者以上に手間のかかる者は、最初のJRのキップから宿の手配まで、すべてを只リーダーの言うままに車中の人となり富山着。駅前にて前夜祭のような、にぎやかな夕食を済ませる。
 この様にして30数年ぶりの北アルプス夏山は始まったのだが、もっとおどろく事が待っているのを知ったのは、山に入ってからであった。
8月4日(月)
 夏山の最盛期というのに電車、ケーブルカー、バス共に乗り継いで行くのに混雑というのを感じなかった。平日の月曜日という事を割り引いても乗り物はスムーズに動いていた。室堂に着いて見ると、修学旅行やツアーの観光客は貸し切りバスで室堂に直行していて、そのせいだった。
 室堂での天気は小雨。ガスは少ないが稜線をすべて隠しておりあまり良くない。
リーダーの判断で立山三山をやめて剱沢への直行とし、雨具を着けて歩き始める。
雷鳥沢キャンプ場から見上げる、雷鳥坂にきざまれたトレイルを登るかと思うと、身の引き締まる思いとファイトがわいて来る。
 しかし、いざ登り始めると、76才の老体はどうしようもなく、僅か18kgの大型ザックがやけに重く両肩にのしかかり最初の5分ですぐに息切れがする。
まあー高度のせいかな?そのうち慣れて来るさと思いながら歩くが、すぐに皆と離れてしまう。10分もするともう耐えられなくなる。
あぁーこの調子で3時間歩けるのか?しかし歩かなければチームとしての計画は成り立たない。同時に6ヶ月かけて準備して来た僕の剱岳への再会もなくなる。
ここはなんとしても頑張る他ないと心に決めて少しづつ遅れながらも歩くことにする。
もう高山植物、お花畑、天気はどうでも良い、別山乗越までいかに堪えて歩くか、それだけに気持ちを集中させる。こんな苦しい登りも初めてだ。
歩き始めて5分でゼーゼーハーハーと心肺機能がオーバーヒートし、その5分後には足が上がらなくなる。その上がらない足を引きずって、30分以上堪えてやっと休憩の合図がくる。
そのサイクルを3〜4回繰り返しやっと剱御前小舎に到着。風の当たらない所を見つけてやっと本当の休みが得られた様だ。行動食を食べ、後は剱沢に下るのみ。
 それにしても70才過ぎた頃から年々体力の衰えを実感していたが・・・無歩荷での歩行では、七高山や長崎港一周等のロングコースを歩くだけの力があったが、これ程までの体力低下があろうとは思いもしなかった。
まぁー、一晩ゆっくり寝れば高度にも慣れて、剱岳登頂の日は、負荷もなく楽しく登れるだろうと元気が出る。
8月5日(火)
 前夜は雨と風にテントは一晩中たたかれ、いつ寝たのかわからない有様だった。
テントから出てみると、昨日とあまり変らない天気のようだが、前日リーダーが剱澤小屋で仕入れて来た情報によると、いくらかの回復傾向にあるらしいとのこと。
予定より遅く6時30分出発に決まったので、剱岳を見上げると2,700米から上はガスだが、まあ落ち着いた天気の様だ。
寝不足で気分は冴えない。朝のぞうすいを食べ、ゆっくり身支度をととのえる。大きなザックに日帰り装備を乱暴に入れて出発準備は終り。
 剱澤小屋横から4ヶ所の雪渓をトラバースして剣山荘で休み、いよいよ今日の登りが始まる。
主稜線に登り上がったところ富山湾が見える。下界は上天気らしい。
一服剱でゆっくり休み、その後は武蔵のコルまで休む所はない。多くのアップダウンをくり返し、前剱を乗越すと、あとは小ピークをいくつか越えて平蔵のコルだ。
これから最後の登りが始まるが、カニのたてばいで前方のパーティ20人程が順番待ちしている。雪渓のシュルンドで長い事待たされようやく登り始める。
岩場を経て頂上までの登りが一番きつく感じられたが無事頂上へ。剱岳神社は新しい建物になっていた。
早月尾根から単独で登って来ていた石川さんと再会し、握手を交わし、全員で登頂を喜び合い、写真タイムになる。
 もう登りが無いと思うだけで、気分は爽快だけどガスがあり頂上からの展望は利かないのが残念だ。しかし皆の協力があって、身体はヨレヨレになったが76才にして剱岳との50年ぶりの再会が出来て、本当に嬉しく心から万歳を叫ぶ気分になった山行だった。

北アルプス(剱岳)

金木 和義

 
剱岳、憧れの山である。立山連峰の中心的存在。
 そもそも発端は、来年は北アルプスに登りたいと申し出ると、田尻会長と博子さんが「よし、例会としてどこか考えましょう。」という事で決まったのが剱岳である。
はるか昔、北アルプスに登ったのは昭和58年の夏、長崎大水害の翌年だった。32年ぶりとなる。
あの時は、双六小屋、水晶小屋、野口五郎小屋と小屋泊まりであったが、天気には恵まれず、特に水晶小屋から野口五郎小屋には雨の中を歩き、翌日やっと晴れて、長〜いブナ立尾根を下りて高瀬ダムに出た。
この登りをやって来る人もいるんだなと思っていると、やはりやって来る人がいた。当時の水晶小屋は狭く薄汚く、ものすごい混みようには閉口した。随分懐かしい思い出だ。
ちなみに歌手の野口五郎さんはこの山から名付けたそうである。
 さて、今回の憧れの剱岳「仰ぎ見る立山連峰・・・」と富山県民の歌に歌われている主峰。
メンバーはCL田尻忍、SL田尻博子、山上、倉嶋、松田さんと私、石川(純)さんは早月尾根から1人剱岳にて合流の予定。
▼8月3日(日)朝、かもめ8号にて博多へ。新幹線さくら546号にて新大阪へ、サンダーバード23号にて富山へ。駅前のビジネスホテルへ1泊。
▼4日(月)は早かったので朝食は食べられなくて残念。富山地鉄で立山駅へ。途中の川の水が大変きれい、さすが立山からの水だ。
田んぼは稲穂になっていて、九州よりもずっと早い。これよりケーブルカーで美女平へ、名前だけは知っていた。
途中の急傾斜のトンネル、何がすごいか、工事の事だ。
トンネルを掘り、生コンを打ってレールを敷く、これはすべて人力。元土木屋としては大変な苦労が見て取れる。
平日なのに観光客が多くて混んでいた。美女平から約1時間で室堂平へ。天気が悪い。山の方は雲がかかり小雨だ。
 計画では立山三山(雄山、大汝山、富士の折立)を縦走の予定だったが、霧で何も見えないし風は強いので登ってもしょうがない、何時でも登れるとの事で中止。雷鳥平へ降りる事となった。
整備された道を歩き、みくりが池を右に、左に地獄池、鉄分を多く含んでいるので茶色に見える。雷鳥荘から真下に雷鳥沢キャンプ場。青、赤、黄の三原色のテントがたくさん張ってある。
急な下りの石畳は非常に滑りやすい。どうにかしてもらいたい。ここで休憩。トイレ使用料は100円だ。
さてここから本格的な登り。見上げると尾根はどこも霧で見えぬ。浄土沢の橋を渡り雷鳥沢の雪渓へ。今年は雪が多かったので残雪が多い。
なにせ急登だ、きつい。すれ違う人から「何キロですか」「テントが入っているのですか」と励まされ、「はい、はい」と答えるだけ。やっと登ったところが別山乗越、剱御前小舎。
下の方に剱沢キャンプ場が見える。たくさんのテントが張ってある。風を避けて小舎の側で休憩。
下りの道の両側はきれいなお花畑。ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、イワカガミ、タテヤマリンドウなど本当に美しい、心が洗われる。
途中で会った大学生は大阪から。昔と違って今の大学生はきれいな顔をしている。立山三山に登るのだろうか。
 剱沢キャンプ場は80張りはあるだろうとの事。1人用のテントもある。
目の前には有名な剱岳の岩場がある。昔、山上さんや田尻会長が訓練した岩場だそうだ。
立ち塞がるようなすごい岩場。何人も亡くなった人がいるのだろう。テントは真砂沢に張ったそうだ。
到着して倉嶋さんが体調を崩す。高山病と自己判断、少しマッサージをして、無料の診療所が出来ているので見てもらうと、単なる疲れとの事。良かった。
夕食を済ませると後は寝るだけ。最近は早く寝れば早く起きるので困ったものだ。夜中、雨は降るし風がテントをバタバタたたくのでどうなるかと。
▼朝、時間通りに起きるも天気が悪い。兎に角、雨もやんだので、出発時間を遅らせ、6時半に剱岳に向かって出発。
雪渓を横切り剣山荘にてトイレを借りる。100円。これから急登が始まる。
荷物はサブザックだから重くはない。2ヶ所の鎖場をへて一服剱だ。どうだろう、ここからの前剱(2,813m)。
剱岳には登らせないぞと、立ちはだかってるように見える。これを見ただけで引き返す人もいるそうである。気持ちはよくわかる。
勾配が急で登山者が点としか見えない。下界は雲の合間に富山平野、富山湾、能登半島が見える。
武蔵のコルを過ぎ、さて登りだ。急なので落石しないように。登りと下りのコースが別々だ。途中振り返ると、一服剱がずっと下に見える。
やっとの事で前剱の頂上に着いた。遠くの後立山が見えるが稜線は隠れているのでどこの山かはっきりしない。記念写真を撮って出発。
いくつかの鎖場を通過。平蔵のコルへ。第一の難関カニのたてばい、垂直の岩場を鎖1本を頼りに登る訳だが、なかなか進まない。
ツアー客らしく2度の落石の声。落石するような石があるのか。40分も待たされた。「速く登れ」と叫びたくなる。落ちれば骨折ではすまされない、即死だ。
鎖をワンステップずつ取り付く訳だが、山上さんが言うように、三点支持を訓練しないと、足がすくんでしまい他の人に迷惑だ。
ここを過ぎると頂上はすぐだった。
石川さんが2時間も吹き曝しの中を待っていてくれた。憧れの山剱岳(2,999m)。
生憎、霧で何も見えないが、遠い長崎からやって来た。2度と登る事はないだろう。大感激である。
祠の前で写真を撮って下山。
 すぐに第2の難関カニのよこばい。先を行く朋ちゃんを見ていて良かった。
右足を大きく張り出して体を岩や鎖から大きく離さないと足元が見えない。大変危険な場所だ。このような所にツアーで来るのは迷惑千万な話だ。
他の登山者に迷惑である。アルミの垂直の梯子を降りて平蔵のコルへ。ここから登ったコースを戻る。剣山荘を目前に雨が酷くなった。
急いで雨宿りをさせてもらう。雨が止みそうなので外に出るとびっくりした。真砂沢の谷にきれいな七色の虹が出ている。こんな美しい虹が、それが目線より下に。「眼下の虹」だ。
虹は仰ぎ見るものだと思っていたが、高山は違う。それも右から左へ移動している。虹は移動するのか?そして静かに消えていった。
わずか5分間ぐらいのドラマである。決して平地では見れない自然が織り成す光景であった。
そして雪渓を横断して、剱澤小屋に泊まる石川さんと別れ剱沢キャンプ場へ。
早めに夕食を取り、寝るわけだが、夜中に気付いた事。
それは遠くにあるトイレの帰り、同じようなテントの為、自分のテントが分かりづらい事。
入口にペットボトルがあったからそれを目安に帰って来たが、テントに何も印がなかったら分かりづらい。
布をぶら下げるなり、又、霧の中だとヘッドランプを張り綱にぶら下げていないと迷子になってしまう。
下手をすると夜が明けるのを待たねばならなくなる。大変心配になった。
▼下山の日、立山三山の峰は雲で何も見えず風も強い、三山は中止して真っ直ぐに室堂平に向かう。
強風の中、喘ぎながら別山乗越へ。ここで一休みして、帰路は奥大日岳への尾根を新室堂乗越へ。
大分降りて来た。霧も晴れ、雷鳥沢キャンプ場が見える。
乗越から右に行けば奥大日岳、左に行けば雷鳥沢キャンプ場へ。ここもお花畑がきれい。
キャンプ場からは最後の登り、覚悟はしていたが本当にきつい。室堂平はバスで来た観光客でいっぱいだ。
外国人も多い。山は雲で見えないが、立山の雄大さはすばらしい。
唯一残念なのは雷鳥に会えなかった事だ。又そのうち、どこかで会えるだろう。
 富山の町に帰って来た。山は15℃、下界は35℃。差は20度。大変蒸し暑い。
夜、倉嶋さんの行き付けの居酒屋で打ち上げだ。剱岳に登れただけで万々歳だ。

あこがれて、北アルプス!(剱岳)

松田 朋子

「つるぎ?剱岳ってあの剱?」例会で北アルプスの剱岳に登るらしいと聞いてドキンとした。
「私があの剱に登れるの?」という嬉しさ半分、恐さ半分の気持ちが沸いてきた。その気持ちは、やがて固い決意となってきた。
「私があの剱岳に登るのだ!」不思議な事に、怖いから止めておこうという後ろ向きな選択肢はなかった。
それから、ヘルメットを始めとして必要な道具を用意していくにつれ、気持ちが高まってきた。
周囲にも、「私、剱に登るの!」とカミングアウトしていった。
すると、登山の事をあまり知らない人も「剱岳って聞いたことある。物凄く危険な山でしょ。大丈夫なの?無事に戻って来てね。命は大事にしなくちゃだめよ。」と、皆さん異口同音に心配してくれる。
ありがたいと思いながら、ちょっぴり得意げな気持ちもある。
 そうこうするうちに、出発の日が近づいてきた。カニのタテバイ・ヨコバイなる難所が不安だが、その場になるまで心配は、ひとまず置いておこうと思った。
だから、映画「剱岳、点の記」はDVDが手元にあったが、見ないことにした。見たら恐くなって怖気づくからだ。あと、心配なのはお天気だ。
8月3日(日)
 長崎は、大雨だが富山の方は、晴れマークだ。しかし、油断は禁物。道中の列車は、これからの期待とおしゃべりで楽しく過ぎていった。
まる一日かけて富山へ到着。昨年も来ているので、何だか懐かしい。ホテルも同じアルファワンである。皆で軽く夜ご飯を食べて、明日に備える。
8月4日(月)
 早朝、富山地鉄→立山ケーブルカー→高原バスを乗り継いで室堂へ。まさかの小雨とガスの中、雷鳥沢キャンプ場を通って、剱御前小舎から剱沢キャンプ場へ向かうルートで行く。
雷鳥沢キャンプ場を過ぎると、剱御前小舎までずっと登りが続く。ひたすら、もくもくと歩く。
室堂で計ったザックの重さは15キロであった。ザックの紐が肩に食い込む。ひたすら登る。登る。
登りながら、映画「春を背負って」のお父さん(小林薫)が言っていたセリフ「普通に、自分の速度でただ歩いて行けばいいんだよ。」というセリフが頭の中でリフレインする。
そうだ、普通に自分の速度で歩いていけばいいのね。と胸の中で呟きながら歩いて行くと、何とか剱御前小舎についた。
バーンと目の前に、剱岳が見える。ガスはかかっていたが、十分見えた。あとは、剱沢キャンプ場まで降りるだけだ。まもなく昼過ぎに、キャンプ場に着く。
 ここからも、バーンと剱岳が迫力満点で見える。目の前にそびえ立つといった感じだ。
あそこの頂上に、明日は登るのだと思うとワクワクするのと同時に身が引き締まる。
 テントを2張り張って、中に荷物を入れ込み顔だけテントの入り口から出して目の前の剱岳を眺める。
何という、ぜいたくな時間!せっせと担いできた食料で夕食を済ませ、早々に就寝する。
何だか、お天気があやしい。夜中になると、雨風が強まってきて暴風雨のような荒れた天気となっている。
山岳会おニューのテントが風でバッタバッタとあおられ、中で寝ている私たちの顔にも幕が当たる。
明日の天気は絶望的だわと、悲しい気分で夜を明かす。しかし、何と朝になると雨も止み、多少ガスってはいたが、出かけられるまでお天気も回復してきたのだ。
ああ、やっぱり神様っているのだなと、天に感謝する。
 6時半、さあ出発である。
テントに、荷物は置いているので必要最低限しか入っていないザックも軽々と、この日のために用意した赤いヘルメットをかぶり、いざ出陣!剣山荘を経て、一服剱→前剱と進む。
一時も、気が抜けないようなテクニカルな難所が次々と出てくる。
平蔵のコルあたりは特に、緊張しながら進む。ところで、平蔵って誰?
 さあ、平蔵もクリアすると、やって来ました。カニのタテバイ。
驚いたことに、ツアー客の皆さんが渋滞を引き起こしている。ワーワーと騒いでいる。悲鳴が聞こえたから「人が落ちたのか!!」と、ビックリしていると石を落したらしい。
それも、その悲鳴が何回も聞こえる。もう、危ないなあ…。40分以上待たされた。
やっと順番が回ってきた。真下から見上げると、やはりかなりな断崖絶壁である。落ち着け、と自分に言い聞かせて登り始める。
落ち着いて登ると、ちゃんと足がかりと手がかりはあるのだ。クサリだってある。慌ててはいけない。しかし、もしも落ちたら本当に命がないと思うと、手に汗握る。
心臓がドキドキ・バクバクしながら登った。ちゃんと登れた。ほっとした。(正直に言うと、私は下りのカニのヨコバイの方が怖かった。)
もう少し登ると、いよいよ頂上だ。感無量である。
早月尾根から登ってきた石川さんが待っていた。
渋谷のハチ公前や三越のライオン前ならいざ知らず、剱の頂上で待ち合わせなんて、めったにあることではないですよね。
 頂上に立った時は、感激もひとしおである。平安時代に修験者が残した形跡も見たし、観測隊が立てた三角点も触った。
今は、こんなに誰もが登れるが、その昔は本当に難攻不落の山だったのだなあと感慨にひたる。
 下りのカニのヨコバイで、再び冷や汗をかき、私としては前剱の下りがまた怖かった。
しかし、無事に下山でき剣山荘のあたりで雨が降ってきた。翌日やその後の富山あたりのお天気を見ると、多少ガスっていてもこの日がまさにアタックチャンスの日だったのだ。
本当に神様、ありがとうございます。
 北アルプスに生息する雷鳥に会えるかと楽しみにしていたが、雷鳥には会えなかった。
しかし、剱沢小屋にビールを買いに行くと、北アルプスの案内人、多賀谷さんがいるではないか。
雷鳥に会う確率よりも、多賀谷さんに会う確率の方が高いのかしら?雷鳥には会えなかったが多賀谷さんには会えた。
でも一緒に写真を撮って下さいと言えなかった…。撮ってもらえば良かったな…。だって、ヘルメットを被っていたから、恥ずかしかったという乙女心です。
8月6日は、室堂に下り、富山駅まで戻る日である。
剱岳に登った昨日よりもお天気は悪くなり、残しておいた雄山などは登らず、大日岳へ延びる尾根方面の新室堂乗越より、雷鳥沢へ下るコースをとった。
途中のチングルマのお花畑は実にきれいであった。
 夕方にはホテルまで戻り、夜は長崎山岳会御用達の「五條」という富山の海の幸の美味しい居酒屋で乾杯した。