第1641例会 大山

松田 朋子

 長崎では、桜の開花宣言が出されたばかりであった。もう、ちらほらと桜が咲いていた。もうすっかり春なのである。それなのに、あんな事態が待ち受けているとは・・・
3/20(木)私たち「窪田車」のメンバー4人、窪田さん・橋口さん・福田さん・松田はみんなそれぞれの仕事が終わってから、夜7時近くなって長崎を出発した。田尻車のメンバー4人田尻夫妻・石川さん・金木さんは、一足先にお昼に出発していた。
 今村PAで夕食を買い、取り急ぎ車の中で食べながら高速を走らせる。鳥栖あたりで通勤ラッシュの為混んでいたが、その後は順調だった。
三次東ジャンクションを降りて新しい道路松江道に乗る…はずが、「通行止め」で乗れず(何の原因かわからなかったが、嫌な予感はした)米子自動車道を通る事になった。
しかし!何という事でしょう。米子自動車道に入り、吹野邸に近づいてきたと思いきや、雪と吹雪がひどくなり、通行止めとなっているではないか!湯原で下道に降りそのまま車中泊するというハプニングがおきた。
橋口さんは大学院生の頃この近くで、研究をされており、この辺りの気候に詳しいようで、「この辺りは、3月半ばを過ぎるともう雪など降っていなかった。」また、窪田さんも、下松八重さんから「もう、チェーンはいらん時期だ」と聞いていたらしい。
というわけで、チェーン無しで来たのだ。時刻は、真夜中の2時を回っていた。
外は、吹雪いている。私は、何週間か前の関東甲信越地方が見舞われた記録的な大雪で、東名高速道で大勢の人達が車に閉じ込められたニュースを思い出していた。あの時は、他人ごとだったなあ。心の中ではお気の毒にと思ってはいたが、数週間後にまさか自分の身に同じ事が起こるとは!
大きな大人4人が車の中で仮眠するのだから、身動きがとれない。そして、寒い。トランクからシュラフを引っ張り出してくるまる。
3/21日(金)朝が来た。6時くらいに、皆ゴソゴソと起き出した。外は、相変わらずの雪。
近くの公衆トイレに、橋口さんと走った。寒かった。何だかお腹もかなりすいてきた。こんな時でも、お腹はすくのね。と思いながら非常食に持ってきていたメロンパンをかじった。
非常食が本当に非常食になった。あの時のニュースでは、渋滞のトラックの中にヤマザキパンのトラックがあり、運転手さんが気をきかせて積荷のヤマザキパンを配ったという美談に感動していたが、まさに今私が食べているのもヤマザキパンではないか。ああ、まさか同じ事がわが身にも降りかかるとは。
橋口さん、福田さんも各人非常食をつまんでいる。ただ、リーダーの窪田さんだけが、「お腹がすかん。お腹いっぱいな感じがする。」と、何も食べようとしない。
後で聞いた話によると、リーダーでもあるし、責任感と気の張りで食欲どころではなかったようだ。ごめんなさい。窪田さん、のんきに「お腹すいたなー」なんて、袋のメロンパンをガサガサさせたりして。
 足止めされている所が、不幸中の幸い「湯原温泉」街なので、もしこのまま車を動かせなくても温泉に入って旅館に泊まればいい。それもまた楽し、となるべくプラス思考に転換させる。
しかし、目的地を目の前にして何とももどかしい。朝10時から、湯原温泉ふれあいセンターのお風呂がオープンするのを待って温泉に入りに行く。
そして、熱めのお湯に入ると人心地ついた。まだ、雪は止まない。高速道路の通行止めも解除されない。それどころか、だんだん吹雪いてひどくなってきた。
休憩室で、しばらく様子を見ることにして、4人でただなすすべもなく呆然と座っていた。リーダーの窪田さんが、「一般道が通れるようになったら、長崎に引き返そうや。そしたら、あと土・日がゆっくり家で過ごせる。」という趣旨の事を言った。「えーーー!嫌だ、嫌だ!私は、這ってでも米子に行って、大山の裾だけでもいいから踏んでみたいです。くぼたさーん!」と心の中で声にならない叫び声をあげた。
それが、顔に出ていたらしく、あの時の残念そうな表情が忘れられないと、後で福田さんに笑われた。顔に出やすいタイプで恥ずかしい。
 お昼12時近くになった。田尻さん、吹野さんから電話がかかってきた。窪田さんの声のトーンが上がった。「えっ、そーですかっ」何か良いお知らせらしいと、耳をそばだてる。
どうやら、私達を迎えにチェーンをつけた救助隊が来てくれるらしい。ありがたい。そんな方法があったなんて。
吹野さんの人徳で北壁の会の松岡さんを動員して、吹野さんと松岡さんの2台の車でこちらへ向かって下さるそうだ。地獄に仏とはこの事だ。やっぱり、神様っているんだ。と調子の良い事を思う。
かくして、救助隊に救出された私達4人は、窪田さんの車をそのまま湯原温泉駐車場に置いて吹野さん宅へ無事着いたのだった。もう時刻は、夕方になろうとしていた。
 予定は、変更となり、金曜・土曜と2日とも大山の登山口にある米子工業高校、略してコメコウの山小屋に泊まった。(本来ならば、金曜は山頂小屋に泊まる予定だった。)

水作り
吹野邸から山小屋へ移動すると、すぐに夜になった。
  夕食は、博子さん担当のちらし寿司と汁物にポテトサラダである。皆そろって、ほっとして楽しい夕餉である。皆さん、お酒も進む。明日からは、とても良い天気だそうだ。
長い一日であった。安心したのと、車中泊の疲れでこれまでにない程ぐっすりと眠った。
3/22日(土)この日は、本当に良いお天気で青空の元に、山にはたっぷりとした雪が積もっていた。
その太陽の光と、青空と、山の白い雪のコントラストが実に美しい。こんな、素晴らしい景色がこの世にあろうかと思われる程だ。
皆、口々に素晴らしい、素晴らしいと連呼しながら大山の頂上に登ることができた。
 大山は初めてであるが、本当に美しい姿の山だ。遠くから眺めても美しいし、登っている途中から見える日本海も美しい。

弥山頂上
アイゼンもバッチリであった。ピッケルも初体験だし、「わかん」を履いて雪の上をズボッと歩くのも楽しい。膝の上までふんわりと積もった雪をかきわけて進みながら、皆はしゃいでいた。
元谷小屋上部斜面で、雪上訓練が始まりこれも楽しい勉強であった。

剣ヶ峰への尾根
 熱心に訓練したので、時間があっという間に経ち、下山したのは5時くらいだった。
登山口の温泉に入り、さっぱりと気持ちよく温まると、小屋で吹野さん担当のポトフの夕食が美味しかった。
 北壁の会の岡さんと、松岡さんも参加されての楽しい宴会が始まった。北壁の会のお二人は、それはそれは身軽にお料理もテキパキとなさる。舞茸を炒めたメニューは絶品であった。
 また、舞茸を焼いて熱燗につけた「舞茸酒」も皆さんうまいと評判であった。翌朝のポットで沸かす本格派のコーヒーも素敵だったな。
 北壁の会の岡さんと松岡さん、本当にありがとうございました。
3/23日(日)この日は、もう朝6時に起床し、パン・サラダでサンドウィッチと淹れたてのコーヒーで朝食を済ませ、長崎に帰るばかりである。
8時に大山の登山口の駐車場(南光河原駐車場)を出発、また松岡さんの車に乗せてもらい、途中湯原に置いてある窪田車に乗り換え一路長崎へ。
 12時頃には宮島SAで昼食を摂り、お土産を買い、長崎に5時頃に着いて無事に解散した。
 今回は、思わぬハプニングに見舞われたが、ただすんなんりといく山行より、中身の濃い山行になって、かえって良かったと思っているのは私だけだろうか?実に面白い、思い出に残る初大山であった。
コースタイム(3/22(土)のみ記載)
夏山登山口7:25〜9:09五合目〜9:36六合目避難小屋9:45〜10:55弥山山頂・頂上小屋11:45〜12:15六合目避難小屋12:35〜13:10元谷小屋上部斜面で雪上訓練)15:00〜15:35大神山神社
参加者
CL窪田、SL吹野、田尻S、田尻H、石川S、金木、橋口、松田、福田、計9名

大山山行に参加して

福田 理香

 山岳会に入会して一年に満たない私は雪のある山(“雪山”とはおこがましくて言えない山行)はツアーで3回しか行ったことがなく、今回は12〜3kgの荷物を背負って(10kg以上の荷物を担いで歩いた経験なし)登り、弥山山頂小屋に泊まるということで、“荷物の重さ”と“寒さ”とに耐えられるか、と一抹の不安を抱え参加した。
 遅出グループは、道中3月末というのに雪に見舞われ湯原で車中泊を余儀なくされ(このことは、きっと松田さんが詳しく報告してくれるでしょう!)、結果的に日帰り山行になったので、大きな荷物を担ぐ必要がなくなり、ひそかに“ガッツポーズ”(皆さんゴメンナサイm(_ _)m)。
 前日の吹雪から一転、最高のお天気で、宍道湖・中海、そして日本海もくっきり、弥山山頂にも立つことができ、終わりよければすべてよし!の思い出深い山行になった。ありがとうございました!
 今回の山行で一番身に染みたことは、上げ膳据え膳ではなく“いわゆる山小屋”はテント泊よりも“さぶい!”ということである。
ダウン上下、シューズを着こみ、もらったカイロを張りまくり、シュラフカバーもつけたが寒くて十分寝ることができず、夜が明けるのが待ちどうしかった。「弥山山頂小屋泊だったらどうなっていただろう!?」と考えるとおそろしい。
帰崎してすぐにシュラフを購入。来年の大山山行の準備はバッチリ!・・・です。