第1606例会 傾・祖母縦走

初めてのサブリーダーで痛恨の例会となった傾・祖母縦走

大塚 佐恵子

 「祖母・傾縦走をしないと一人前じゃない」とチャンスを待っていたら博子さんよりお声がかかり「じゃあサブリーダーお任せね」と、とんとん拍子で実現に近づく。2010年の例会をもとにリーダー宅でルート、スケジュールを練る。
 食当も兼任。「メニューは決まった?計画書を出さなきゃあ」と連絡をもらい、2週間後に迫っていることに焦る。
 今回は縦走なので、アルファ米とドライフードが主。まずはネットで山ご飯を調べ献立をたてる。食材はネットで注文。
 出発の20日は天気予報通り大雨、リーダーの采配で駐車場でのテント泊を急遽、小学校跡を利用した「やまびこ塾」という山小屋泊へ変更。おかげで共同装備の分担、食料の分担、荷造りも容易にでき、早々に就寝。
▼翌朝、すべてが順調に進む。私が滑落するまでは。
登山届けを出して九折の駐車場を出発。林道の延長を歩いていくと、わりと急な坂道になり、鉄製の橋を渡ってさらに進むと九折越へ向かう道との分岐が現れる。

 今回は三ツ坊主のコースなので、やり過ごし、真直ぐ進む。1m程の岩をトラバースする。一人一人慎重に越える。私の番、両手でホールドを確認し、右手を次のホールドへ送ろうと離した時、17kgのザックの重力に逆らえず、体が宙に舞い仰向けに落ち2回転し、5mほど下の木の根っこにお尻をぶつけ止まる。
「大丈夫かぁ〜」「立てるかぁ」「荷物を下ろせ」と上から心配する声がしたかと思うと、すぐそこに助けに来てくれていた。
 どうにか元の道まで上がり、痛めた所の応急処置、ザックの中身を点検、分担してもらい、歩いてみる。「やっぱり無理ね。引き返そう」とリーダーの判断。「このまま駐車場まで戻るのか。吹野さんは米子からの参加、せっかく雨も止んだというのに。私のせいで中断?」と自責の念で歩む。
 先ほどの分岐点まで戻った所で、リーダーの「歩ける?」という問いに「はいっ」とから元気の返事。三ツ坊主はあきらめ九折越からのコースに修正済みだったリーダーの判断。
必死でついていくも、ザックはやはり体に堪える。また、荷物を分担してもらい、やっと九折越小屋へ到着。昼食を摂り、傾山までピストンするパーティ、水くみパーティと別れ、私はしばらく体を休ませてもらう。
その様子にリーダーが「明日は石川さんと九折の駐車場まで下山し、明後日合流しよう」と提案。
 明日は12時間の行程、途中でリタイアはできない。一緒に下りてくれる石川さんのご厚意に感謝し下山を決意。食事の準備に取りかかった所、傾山一行が帰ってきた。
「今日しか見れない春の霧氷とアケボノツツジのコラボにすごく感動した」と狂喜ぶりに私もここまで来てよかったと思う。急に冷えこみ雪が含まれない氷だけの霧氷。倉嶋さんはリベンジが果たせたと大喜び。朋ちゃんも初体験に興奮。
 夕食はアルファ米とポトフ。熊谷さんと一緒に剥いた人参、じゃがいも、たまねぎがよく溶け込み、最後に大量に入れたドライフードのキャベツが甘いのには想定外だったが、みんな美味しいと食べてくれた。ありがたや。でも山小屋ごはんにこんな重たい食材はNG。途中で持ってくれた川口さん、ごめんなさい。食当の反省点です。
▼翌朝、怪我の状態は前日より回復に向かっていた。リーダーにみんなと同行させてもらうよう懇願。苦渋の判断だったと思う。OKをもらったからには、どんなことがあっても歩きとおさねば…。
 午前5時スタート、ヘッドランプに照らされた霜柱のたつ登山道を行く。山から昇る太陽を背に歩みを止めず進む。

 1時間おきに5分の小休止。景色はあまり代わり映えもせず、黙々と歩いて行く。いつのまにか、笠松山分岐を通過。
縦走路から少しそれた岩の上に上がると、展望台がある。川口さん、倉嶋さん、吹野さんが登る。祖母山の姿が見える。まだまだ遥かに遠い。九重の山々も見える。今日は天気がいい。絶好の山行日和。また登りが続き、本谷山頂上に到着。
 登りは尾てい骨に響いて辛い。やがて大展望が開けてきた。「あれが障子岳」「古祖母」などなど教えてもらいながら、祖母までの山々を一望しながら歩く。結構up downが激しい。

やっと尾平のブナ広場に到着。ここでちょっと早目の昼食。ここは唯一携帯圏内。未読のメールや着信履歴を確認する。
 ブナ広場を出ると尾平越からのコースと合流。分岐を過ぎると古祖母への登りが始まる。
古祖母への登りはホントに辛かった。体が悲鳴をあげる。なんでこんなにきついのだろう。5月のアルプスよりもしんどい。みんな平気な顔して登っている。だが、無言。気合だけで歩く。あんなに遠かった祖母山も近くに見え、やっと古祖母頂上に立つ。

 途中、何度もかわいいアケボノツツジに励まされた。展望台が所々にあるが、立って景色を眺める余裕すらない。
 障子岳頂上が金網の向こうにあった。360度の大展望にやっと笑顔。2回目の昼食を摂り、次を目指す。下っては登るの繰り返し。「祖母山へ」の標識がある岩の展望台で休憩、なんだここが祖母山かと一人大きな勘違いも気づかれず出発。ミヤマ公園に降りる。天狗の分れで黒金尾根からの道と合流。“天狗岩”が本当に天狗の顔のように見えた。
 「あと100m。はしごで高度をかせげるから」と熊谷さんの言葉に奮い立つ。いよいよ祖母頂上へのハシゴ場にさしかかる。ハシゴを登り、岩場を登る。俄然ファイトが湧いてくる。

やっとやっと全員祖母の頂上に立ち、握手を交わす。「あ〜遠かったねぇ」「みんなよく頑張った」とリーダーの満面の笑み。
 「良かった縦走できて。こんなに、辛くきつい登山はなかった。途中心が折れそうになったけど、決して足は止めなかった。同行を許してくれたリーダー。一緒に下山を決意してくれた石川さん。嫌な顔もせず何も言わず荷物を持って見守ってくれた川口孝さん、西さん、熊谷さん、吹野さん、倉嶋さん、朋ちゃん、本当にありがとうございました」
 あとはぬかるんだ道を祖母九合目山小屋を目指し下山。先客6名のパーティと単独行のおじさんと山小屋をシェアする。リーダーが部屋割を交渉。
十分なスペースをもらい、荷物を置く。休みもとらず水くみに行く人、食事の準備をする人とテキパキと事が運ぶ。寝食を共にし同じ目的を遂行するとこんなに素晴らしい絆が生まれるんだと山岳会の素晴らしさを再確認した。三日目は景色に感動しながらただ下る下るの山行。痛恨の例会だったけど最高の例会でもあった。


松田 朋子

 今回は、「傾山〜祖母山縦走」という九州の岳人なら一度は行きたいあこがれのルートに挑戦してきた。
▼4/20(土)、川口孝さんの車組の石川さん・大塚さん・私は、大村湾PAで、14:50田尻さん・西さん・熊谷さんと、さらに山田SAで15:40倉嶋さん・吹野さんと合流し、大分米良ICから降り上畑を目指す。
途中夕食の為レストランに寄り、だご汁やとり天など食べ、明日からの3日間の為に腹ごしらえをする。
傾山〜祖母山縦走というのは、かなりの覚悟がいるらしい事が、前情報として入っていたので「たくさん食べて、体力を養っておこう」と思っていた。その日のお天気は、あいにく雨。夜にテントを張るのは厳しいなぁと不安に思っていたところ、田尻さんがネットで「やまびこ塾」という小学校の廃校になった施設を探して下さっていた。
屋根のある所で、寝られるだけでもありがたい。19:30くらいに到着した。面白い事に、誰もいない真っ暗な小学校に到着し、取次ぎの人に電話すると「どこか、開いた所から入って下さい。」との事。暗い中、ガタガタとあちこちドアや窓を揺らし、やっと開いた所を見つけて潜り込んだ。
ホラー映画に出てきそうな小さな山の分校といった風情であるが、皆でワイワイと騒ぎながら、明日からの縦走に期待感いっぱいでいると怖くなんかない。
 屋根の雨音をBGMに、シュラフにくるまった。
▼翌朝4/21(日)は雨も止み、3:30起床し朝食を取り、車を2台下山口の尾平まで移動させて、6:15九折登山口から登り出す。
 観音滝を見ながら三つ坊主コースを行くが、途中で変更し、上畑コースから九折越小屋を目指す。11:30九折越小屋までは意外と早く着き、昼食を取る。残って諸々の準備をしてくれる人たちと、傾山頂上に登る組に分かれて行動した。

私は、登ったことのない傾山に行くことにし、西さん・倉嶋さん・吹野さんと12:15に出発した。何と、傾山は霧氷の世界!一面まっ白!
 5月も近い九州の山で、まさか雪景色が見られるなんて思わなかった。しかも、ミツバツツジなど、春の花は咲いているのだ。そのピンクのお花の上に霧氷が!緑の松にも霧氷が!何てビューティフルなんでしょう!!と、皆さん感動に耐えない様子だった。
登った人にしか見られない景色がある。こんな景色が見られるから、山登りっていいんだよなあ・・・

降りる頃には、雪も溶け出してべちゃべちゃになる。小屋の近くでは、野生のシカがピョンピョンと飛び跳ねて行く姿も見えた。
 15:15小屋に戻ると、水汲みも済ませて下さっていていた。
この頃、私の手に変化が。グローブのように、むくんで膨らんできたのだ。その手をみていると、気持ちが悪くなり、「これが、うわさの高山病か。何だか、息苦しくなってきた。頭も痛いような気がする。心臓も痛い気がする。」と弱気になってきた。
「まあ、高山病なら山を降りたら治るだろう」と気を取り直す。後は、夕食の準備・食事と早々に済ませる。夕食は、大塚さん特製のポトフや大根おろしなど美味しかった。まだ、外は明るいが明日の朝は早いので、皆さんシュラフにくるまりおやすみなさい。その晩は、とても寒く、冷えて冷えて眠れなかった。
▼4/22(月)朝3:30起床。朝食を、素早く済ませてから5時に真っ暗な中を出発する。
いよいよ、真骨頂、祖母山までの縦走である。その日が一番長く歩く。出発してからも、かなりの時間、風が冷たく暗い。真剣に一生懸命、前の人について行く。
ずっとずっと歩いた気がする。9:16ようやく、ブナ広場のところで少し長めの休憩。ここで、お昼ごはんとリーダーの田尻さんに言われたが「?お昼ごはんは、まだ早いかな?食べずにいようかな?」と思っていたら、朝食が早かったためこの辺りで食べた方が体力維持の為にもよいようだった。
食べ物を取り出すのに手間取り出遅れていたら、石川さんがブランデーケーキを下さったので、何とかその場をしのげた。さあ、また出発。

ここからが長かった。延々と歩く。「アケボノツツジ」が次から次へと現れる。「アケボノツツジ」って何て可愛い花なのだろう。聞きしにまさる可愛らしさである。今回の縦走の大きな目的のひとつ「アケボノツツジ」を見ること。私は、「アケボノツツジ」を見るのは初めてだった。下界にはない花だなあ・・・と、しみじみと感心しながら眺める。あっちにも、こっちにもと「アケボノツツジ」が現れるたびに、歓声があがる。
 尾平越から古祖母、そして障子岳、かなり長―く歩いた。そうとう長かった。
「まだか?まだか?」という気持ちであったが、長く歩けるのは楽しくもあった。急登もあった。梯子もあった。梯子は、もう慣れてきつつある自分が嬉しい。
きつい思いをして登ると、そこに待っているのは素晴らしい眺望である。障子岳からは、阿蘇も鹿児島も見える。地図の中に立っているような感覚にとらわれる。
16:15祖母山頂上についた時の感激は忘れられない。景色も素晴らしかった。今まで、自分達が歩いてきた軌跡を振り返り「あんなに、歩いてきたなんて信じられない。約12時間も歩いたんだ。」と、しみじみ来て良かったと喜びを噛みしめた。皆で称え合い、喜び合い、山小屋へ向かう。
 祖母の山小屋は、先客のグループがいたが、十分スペースは取れた。登山靴を脱ぎ、むくんだ脚を休めて、水汲みをし、夕食にとりかかる。何てホッとする事だろう。
薪ストーブのおかげで暖かいし、何より今日一日歩き通せた満足感で夕食の時間が楽しい。夕食が済むと、暖かい部屋で毛布も借りてシュラフに包まる。幸せを噛みしめる。さあ、いよいよ明日は下山だ。
 朝は、4:30に起きてパスタとパンの朝食を済ませると、朝日が昇った。最高に美しかった。この4日間、これまでの私の人生で見てきた光景の中で最高がいっぱいである。幸せにひたりながら、6:15いよいよ祖母の山小屋を後にする。ひたすら、下りである。
 下る途中の風景も、雑木林の中や沢を眺めながら山歩きを満喫する。それでも、下りはわずか3時間程度で、地上に降りてきた。昨日までの、長い歩きに比べたら何だか物足りなく感じてしまった。また、3時間くらい歩くのを物足りなく思える自分にも驚いた。
 帰りは、11:00竹田でお風呂に入り(4日ぶりのお風呂は気持ちが良かった)、お風呂の近くの店で昼食を食べ、小国の道の駅に寄りながら、日田を通り高速道に乗って帰途についた。
 今回の山旅では、「こんなに長く歩くことができた。本当に楽しいし、嬉しかった。これも、健康な身体と、こころよく送り出してくれた家族と、お休みを取らせてくれた職場と、そして何よりも一緒に行って下さる山の仲間の皆さんのおかげだなあ。」と、しみじみ思った。
そしてすっかり、もう山無しではいられない私になってしまったのでした。リーダーの田尻さんはじめ、ご一緒させて頂いた皆さん、ありがとうございました。
 (腫れていた手は、日常の生活に戻ると翌日にはすっかり元通りになりました。重い荷物で、長時間肩から脇の辺りを締め付けているので、血流が悪くなって浮腫になるのだと教えてもらいました。元に戻ったので安心。)

参加者:CL田尻H、SL大塚、石川S、川口T、西、倉嶋C、吹野、熊谷、松田 計9名