平成24年の冬は日本列島を“ひ”の字に蛇行した偏西風の影響で例年にない寒さになり、全国的な寒波と雪国の積雪は半端ではなかった。
例年のように北アルプスの天気が悪いことを想定して代替案を準備しておくが、出発日が近づくにつれ天気予報がしきりに気にかかる。
12/27の週間天気では年末・年始が今年一番の寒波が襲来し日本海側は大荒れの予報。
12/28仕事納めの日、朝から週間天気を確かめ変わりがないことをチェック。三田リーダーとメール交換し、悔しいが二の矢「南アルプス・塩見岳」に山域を変更することに決定する。20:00
拙宅に集合、緊急ミーティングにて塩見岳で合意を得る。
▼12/29高速を順調に飛ばしてチェーンを付けることなく8時過ぎに松川ICを出る。ここまでは順調。
松川市内に出たとたん、積雪でチェーンを付ける。塩川小屋までの道中は山道を登っていくが、除雪未了でアイスバーンと化しておりタイヤチェーンが滑って登らない。
坂道で車を押すやら歩くやら不測の事態もあり、結局は予定の駐車スペースまで辿り着けない。
2キロ手前の道路わきのスペースに駐車し、歩くことにした。ここから塩川小屋までは約4キロ、途中の道もガケ崩れで夏場は通行不能になっている。
崩れた斜面を横断して1時間ほどトボトボ歩き、11:50廃屋のような塩川小屋のたもとに到着。登山届を出すついでに他の登山届をチェックすると、単独行とグループの2パーティのみで、かなり静かな山行の予感。
塩川小屋(1328m)から三伏峠(2600m)までは標高差約1300m。このまま一気に行く予定だったが田尻さんが不調で、塩川小屋脇の崩れかけた冬季小屋(?) 内のボロい畳の上にテントを張って一泊することにした。この夜は毎度の宴会。
▼12/30塩川小屋を4:00起床5:50出発。昨日の快晴とは打って変わって曇天。標高1300mの南アルプスにしては積雪が多い。
尾根の取付きからは急勾配の登りが続くだけの夏道をただひたすら歩く。昨年の北ア・涸沢岳西尾根の登りを2倍にした感じ。
登山道は林の中、地面も凍ってアイゼンなしでは滑って歩きにくく、おまけに登るにつれ雪も降り出して周りの景色は見えない。ただのボッカトレである。
2300mを超える頃になると傾斜もやや緩くなってくるが三伏峠までなかなか着かない。元々、寡黙な男達だが、今回はいつもに増して皆無口である。
12:40三伏峠小屋がやっと見える。1mはありそうな予想以上の積雪。吹雪での寒さと疲労もあり先に行くのは止めることにする。
冬季小屋は他パーティのテントで一杯のため、林の中のテン場跡に我々のテントを張る。
何時ものように雪を溶かしてお湯と水を作り晩御飯の準備。長崎にいる下さんからの情報によると、夜半から天気は回復するとのことだったが、ラッセル覚悟であと2日は必要なため残念ではあるが下山することにした。
となればザックからつまみの類が出るわ出るわで大宴会となった。(吉村さんが担ぎあげた500m?缶5本には魂消た!)
吹雪はいつの間にか季節外れの冷たい雨に変わっていた。
▼12/31朝起きるとテントの中はバリバリに凍り、外張のファスナーも凍りついて開かないのでガスバーナーでファスナーを溶かす。雪も雨も降ってはいないが空は曇天。どのみち下山するだけなのでテントを撤収する。
小屋裏から塩見の方を眺めると所々青空が見えるが肝心の塩見は見えない。我々の念が通じたのか撮影会をしていると徐々に雲が切れ、塩見岳(3046.9m)が顔を出す。三伏峠から約400mの高度差なのに頂上がやけに高く見える。どっしりとした素晴らしい山だった。
三伏峠からの帰路はあまり休むことなくドンドン下って4.5時間程で車のデポ地点に到着。途中すれ違った登山者は単独行の2名のみ。静かな静かな山行だった。
今宵は松川の民宿に宿をとり互いに労をねぎらい、温かい布団の中で平成25年新年を迎えた。
▼今回は出発当日に止む無く山域を切り替え、南アルプスならば雪も多くなく塩見岳往復は確実と考えていたのだが、例年以上と思われる積雪で登頂を断念せざるをえず残念だった。
ただ、年末年始の北アルプスは大荒れで、いくつもの遭難が起こったことを考えると南アルプスに切り替えたことは正解だったと思う。宿題になってしまったので、いつか再チャレンジしなければならない。
コースタイム
12/28 20:10窪田邸発
12/29 6:25恵那峡SA(朝食)
8:02松川IC通過
10:10登山開始(駐車場発)
11:50塩川小屋登山ポスト
10分程度歩いて引き返す。
12/30 5:50塩川小屋発
12:40三伏峠小屋着(幕営)
12/31 7:30三伏峠小屋発
10:56塩川小屋登山ポスト
12:04駐車場着
1人当たり経費 27,800円
(宿泊代+飲代の8,900円込)
参加者:CL三田T、SL窪田、田尻S、吉村 計4名
12月28日(金)冬山への出発当日、気になる気象情報は年末から第一級の寒波が襲来することを告げており、山域を北アルプス南岳西尾根から南アルプス塩見岳へ変更することとなった。
日本雪山ルート集によると、例年は塩見岳登山口である塩川小屋に至る登山ゲートまで車は入るとのことであったが、この冬は積雪が多いとあって、中央自動車道の松川ICを降りてからチェーンを着けてしばらく走るも、鹿塩温泉を過ぎたあたりからチェーンが効かず車がなかなか進まなくなった。
仕方なく、田尻さん、吉村さん、窪田君に車を降りてもらい、車を押してもらいながら何とか進もうとしたが、とうとう上がらなくなったので、最後の集落の空き地に車を置いて歩く羽目になった。
こんなときは、四駆やスタッドレスタイヤが欲しい。順調に行けば10時には登山口から歩き始める予定だったが、そんなこんなで11時50分からのスタートとなり出鼻をくじかれた格好となった。
結局、今回の山行は30日に三伏峠(標高2600m)まで登ったものの、31日に引き返すこととなったが、この期間の気象状況について振り返ってみたい。
29日、登山口周辺の天気は晴れ、30日の出発時点は小雨で標高を上げるにつれて雪に変わり、三伏峠到着時点で吹雪、夜半雨に変わり、31日未明から雪、午前6時時点で曇りとなった。
この天候のためにトレースは消えてしまい、加えて下さんからの携帯電話で31日は稜線上では風速20メートル以上との情報もあり、三伏峠からトレースがあった場合でも10時間かかる塩見岳往復は困難と判断し下山に至った。
一方、年末年始にかけて中央の山では明神岳、西穂高岳、大天井岳、剱岳、富士山等で遭難が相次いでいる。
警察庁によると、年末年始6日間(12/29〜1/3)に山岳遭難が31件発生、48人が遭難し、このうち死者・行方不明者は13人に上り、これは、件数、人数ともに統計が残る2002年度以降で最も多いとのことである。
現時点でアップされた情報は少ないが、我々が予定していた北アルプスの状況はどうだったのだろうか。
天気図を見ると、クリスマス寒波が去った12月27日から28日にかけて等圧線が緩み、冬山登山には適した気圧配置となっている。実際、この期間に槍平まで入山していたパーティは中崎尾根から槍ヶ岳登頂を果たしている。
しかし、30日からは二つ玉低気圧が日本列島を通過し、この日は槍平でも雨が降り、その後、西高東低の気圧配置が強まったため、年末年始に槍ヶ岳までたどりついたパーティはないようである。
また、12月29日に新穂高から涸沢岳を目指したパーティは、30日は吹雪のため西尾根2800m地点で撤退、翌31日も吹雪のため下山、年が明けて1月2日に入山したパーティは槍平までも行けず、滝谷避難小屋から引き返している。
したがって、我々が計画していた日程の南岳西尾根は、かなり厳しい状況にあったと予想される。
その後、ようやく冬型が緩んで好天となった1月4日〜5日にかけて涸沢岳往復を果たしたパーティが出てきている。
こうしてみると、今回、山域を変更したことは正解であったが、やはり北アルプスは魅力である。来季の年末年始は9連休であり、現地で待機してヒマラヤ登山みたいに天候を見ながらアタックの日を決定するのもありかもしれない。
それは突然襲ってきた。南アルプス塩見岳に登るべく、塩川登山口で休憩の後、ザックを担ぎ上げた瞬間、心臓が細動を始め胸が苦しくなる。痛みは無い。
少し細動が落ち着いたので歩き出すが、足は鉛を着けた様に重たく、肩のあたりが異常に痛い。暫く我慢して歩くがとても続けられそうにない。三田リーダーに体調不良を申し出る。
リーダーの判断で塩川冬期小屋に引き返し泊まりとする。明日の行動は朝の体調を見てとする。
翌朝の体調は、窪田食当の工夫した野菜スープのお蔭か普通に戻っている。突然の変調がこれからの登りで気にかかる。
南沢出合あたりから三伏峠への尾根道登りとなるが、心臓の鼓動と相談しながらユックリと登る。
登りが苦しいとか足が前に出ないと言う事はないが、ピッチは上がらない。後からサポートしてくれる様に附いてくれる吉村君の存在が心強い。
ようようの態で三伏峠に着く。時間は12時40分頃、未だ行動できる時間帯である。
行動予定としては、本谷山より少し先の適地にテントを張る予定であったが、私の体調を考慮しリーダーは三伏峠にテントを設営する事を選ぶ。
この判断はリーダーにとって悩ましいものであったと思える。予定通り本谷山まで前進しテントを張れば、塩見岳への登頂は実現に近いものになったであろう。
しかし三伏峠よりの塩見岳往復は、トレース、天候などの条件が揃っても、10時間を越えるアルバイトを強いられる行程だ。
私が60歳の定年後7年間、曲がりなりにも北アルプスの冬山、春山を続けられたのは山の仲間のお蔭であるのは紛れもない事実である。
しかしここに来てこのままで良いのかと疑問がよぎる。私の存在と体調が今後の積雪期山行に影響を与えるのか、自問せざるを得ない。
気力はともかく体力は確実に低下しており、体力維持のため始めたランニングもままならない。同世代で個人差はあるものの、そろそろ私自身、ハードな山行きは店じまいだろうか?
体力、気力、時間(年齢)に合った山行きも、其れはそれで楽しいものであり、新緑や紅葉や清流を、そして霧が湧く夏の稜線歩きを、可憐な花々もユックリ愛でたい。
しかし未だ登りたい山、行きたいルートがあるのだ。山への思いと自分の置かれている立場を考え、仲間に負担にならない様、もう少し時間を貰おう。