第1576例会 北アルプス冷池集中登山A隊

〜鹿島槍ヶ岳東尾根〜

下松八重 清幸

 この度の春山例会は鹿島槍東尾根に決定し、月報で案内したところ、総勢8名になった。
 ネット等の情報によれば、岩場で待ち時間があるかもしれないと言うこと、8人のパーティーだった場合、他のパーティーを待たせる可能性がある事など、色々考えて、A隊(鹿島槍東尾根)とB隊(爺ヶ岳東尾根)の2隊に分かれることで計画した。A隊は、田尻、伊達、吉村、下松八重のベテラン(ロートル?)組、B隊は、三田、窪田、川添、大塚の中堅・新人組だ。
▼4月28日早朝(4:00)
 A隊は、浦上水源池横のファミリーマートに集合、4:30に今村PAでB隊と合流、車窓から挨拶だけして出発した。途中、基山で伊達さんと合流し、渋滞に巻き込まれることもなく、夕方17:00ごろ大町に着いた。
 町のスーパーで今夜と明日の朝の食料を各自購入し、予定通り18:00に鹿島の宮坂さん宅に到着した。食料調達時間を含め、所要時間13時間。
 宮坂さん宅では、御夫婦が待っておられ、快く迎えて頂きました。庭には福寿草が咲いていて、倉庫の裏等、あまり日が当たらない所には未だ雪も残っていました。
 夜は宴会になり、昔(35年くらい前)長崎山岳会が世話になった頃の話をしたり、既に他界されている当時お世話になった、先代の宮坂さんご夫婦の写真を見せて頂いたりして、大変盛り上がりました。
▼4月29日4:30起床、昨夜の影響でボーっとしている。
 お湯を戴き、カップラーメンとおにぎりを食べる。玄関の前で宮坂さんご夫婦と記念撮影をして5:40に出発した。大谷原には車が沢山駐車していたが、運良く場所の良い所に駐車できた。身支度をして出発、「注意!この先路肩崩落、落石の恐れがあるので気をつけて通行願います」と書いてある案内板と右手の赤布に注意しながら進み、30分ほどでそこに着いた。
ここから、いよいよ登りに入る。最初から急登だったが、しばらくするとやや傾斜が緩くなった。
 1時間ほど歩いて休憩、1400m付近、大きな檜の木が有った。吉村さんに両手を広げてもらってビデオを撮ったが、直径3mは有りそう、樹齢数百年では?
 10分ほど休んで出発、途中一回休んで10:25一の沢の頭に着いた。天気は上々、目標の鹿島槍までのルートがよく分かる。東には天狗尾根、西には赤岩尾根の向こうに、B隊が目指す爺ケ岳が見える。時間もあるし、ゆっくり休んで、10:50吉村さんがトップで出発。一の沢の頭からちょっと下って登りに差し掛かったところで、ロープを出すことになった。尾根の雪がナイフエッジ状に残って、しかも柔らかいのでとても不安定だ。
 13:00に二の沢の頭に到着。事前の想定では今日はロープを使う予定は無かったのに、結局3回ロープを使った。
 二の沢の頭には、テン場の跡が5か所くらいあった。鹿島槍がよく見える位置の割と広めの場所を使わせてもらうことにし、自分たち用に整地した。スコップと鋸の調子も良く、1時間弱で整地終了だ。まだ日は高いが、15:00過ぎに「カンパ〜イ」どこからともなくつまみが出てくる。至福のひと時…(*^_^*)
 今日のメインディッシュは「春雨スープ」乾燥椎茸を水から炊いて、沸騰したら肉団子とスライスした玉ねぎを入れる。鶏がらスープと薄口醤油で味をつけ、春雨を入れ、煮立ったらパセリを入れて出来上がり。副菜は昆布、桜えび、ほうれん草の和え物。旨かった!!
▼4月30日 3:00起床
 ちょっと雑炊を食べて、5:10出発。最初に20〜30m下るが、そこから急な雪の斜面が続く。早朝にしては雪質が柔らかく、慎重にキックステップで登っていく。途中1回休憩し、6:50第一岩峰の取付きに着いた。ロープを出し、下松八重、田尻、伊達、吉村の順で登攀開始、難なくクリアーできた。
 更に急な雪の斜面が続く。左側は100mくらい下が谷底だ。雪は柔らかいので神経を使う。
 8:35第二岩峰の取付きに到着、1〜2人用テン場になりそうな広さがあった。
 上を眺めながら、どこをどう行こうか?と考える。
 ここも、第一岩峰と同じ順で行くことにして、吉村さんのビレーで、アイゼンを着けたまま下松八重が登攀開始。第一岩峰に比べれば、難しそうだが、荷物を担いだまま出発した。
 しかし15mほど登ったところで、悩むことになった。先ずは、まっすぐ登ろうと考えたけど、荷物を担いだままだと、オーバーハングぎみになって乗り越えられそうにない。仕方なく右に行ったが、そっちはホールドが少なく、その右側はすっぽり切れている。切れた岩の角に右足のアイゼンの歯をひっかけ必死に登ろうとしたけど駄目だ。手の力がだんだん弱くなり、このままではいけないと思い、ひっかけた右足を思いっきり引き寄せ、すぐ前にあったハーケンにスリングを通し、セルフビレーを取った。ホッとする。
 この状態になれば、ハーケンが抜けない限り落ちることはない。全体重をスリングに預け、下で見ている3人と相談しながらルートファインディング、行こうとしていた右側は「下さ~ンそっちは駄目さ〜!」とアドバイスがある。自分でもそう思った。でも、元に戻って真っ直ぐ登るにしても、どうかな〜?と思う。そんなこんな15分くらい経っただろうか?ここは、アイゼンを外してリュックも降ろして、空身で登るしかないと決心した。下の3人も同意だった。
 セルフビレーのスリングを伸ばし、何とか安定する位置を確保する。そこで、先ずアイゼンを外し、より安定できる状態を作ってリュックを降ろし、空身になった。そこからは下が見えないので、リュックはそのままにして、最初はパスした所を直登した。空身なら簡単なものだ。そこからは下の3人と話ができるので、順番を確認し先ずは伊達さんに上がってきてもらった。
 伊達さんが到着、第一声は「ここは真っ直ぐ行くしかなかさ、右は荷物なしでもダメじゃん?」(~_~;) (~_~;) m(__)m と言う感じ。
 この難所を突破する手順を伊達さんと相談「今伊達さんが居る位置に一旦荷物を降ろし、空身で登った後荷揚げする。」に決定。
 ここは、全員のイメージを共有する必要があるので、相談した結果を復唱し、下に残っている田尻さん吉村さんにそれを伝える。
 とりあえず、伊達さんのリュックもそこに置き、小生の所まで上がってきてもらった。
 荷揚げするにしても、引っ張り上げるのに、上に二人いた方が良いと考えたからだ。
 次に田尻さんに上がってきてもらって、本人のリュックをそのまま荷揚げした後、上がってそのまま先に行ってもらった。伊達さんと小生が立っている場所は狭くて、荷物を置いて3人立てるスペースがないし、ここから上はロープが要らないからだ。次は吉村さんが上がってきて、本人の荷物を一旦そこに置き、伊達さんと小生そして吉村さんの荷物を揚げ、最後に本人が上がってきて、田尻さん同様、そのままに先に行ってもらった。
 ロープを回収するにしても不安定な場所なので、アンザイレンで我々も登っていった。20mくらい登ったところに安定した場所があったが、もう田尻さんも吉村さんも居なかった。
 ここまで、標高差わずか50〜60mを約3時間もかかってしまった。
 ロープを片付けていると雨が降ってきた。核心部で降らなかったことに感謝する。急いで片付け、カッパを着て出発したが、暫くすると止んでしまった。岩峰は過ぎたけどまだまだ斜面は急なのでカッパを着たまま先に進む。
 それからは連続した登りで、兎に角一歩一歩進む。第二岩峰の終了地点から1時間20分で北峰(2842m)に着いた。後立山連峰や立山連峰が良く見え、これまでの足跡に思いをはせながら、ビデオを撮った。
 ここから先は、もう大丈夫、32年前の5月風雪のため2泊停滞した吊尾根で記念撮影をし、南峰(2889m)に登り休憩、アイゼンを外して布引山(2683m)に向かう。後は、B隊が待つ冷池まで下りだ。途中、諫早山岳会の遭難碑に手を合わせ、暫くすると冷池小屋とテン場が見えてきた。
 どうやら、B隊が我々のテン場も整地してくれているようだ。「ヤッホ~」と声をかけると「ヤッホ~」と帰ってくる。元気百倍さっさと下って、16:35冷池テン場に到着し、B隊がウエルカムティーで迎えてくれた。有難う!全員で握手を交わし、無事鹿島槍東尾根を完登できたことに祝福する。テント設営後、全員B隊のテントに入り「乾杯!」至福のひと時を過ごす…(*^_^*)
5月1日はB隊リーダーの三田さん報告の通りです。

【追記】
小生は昭和54年に長崎山岳会に入会しましたが、当時、事あるごとに諸先輩から鹿島槍東尾根と宮坂さん宅の話を聞かされていました。以来、一度は行ってみたかった東尾根と泊まってみたかった宮坂さん宅の両方を、いっぺんに達成できました。ひとえに宮坂さん御夫婦のお陰様と感謝しています。8人も押しかけたのに、快く迎えて頂き本当に有難うございました。

コースタイム

4/28(土)4:00長崎出発〜17:00大町到着
4/29(日) 4:30起床 5:40宮坂邸発〜5:50大谷原6:10〜6:40東尾根取付き6:50〜7:50 1400m地点8:00〜9:10 1700m地点9:20〜10:25一の沢の頭
4/30(月) 3:00起5:10発〜6:50第一岩峰〜8:35第二岩峰取付き〜11:50第二岩峰終了点〜13:11北峰13:30〜13:45吊尾根〜14:25南峰14:45〜15:30布引岳15:40〜16:35冷池テン場
5/ 1(火) B隊記録による
参加者:A隊(鹿島槍ヶ岳東尾根)
CL下松八重、田尻、伊達、吉村 合計4名

〜36年ぶりの宿題〜

田尻 忍

 鹿島槍ヶ岳東尾根は、私にとって36年ぶりの念願であり、仕上げなければならない宿題であった。
 昭和40年代から50年代の初めにかけ、山岳会は積雪期の鹿島槍ヶ岳の各ルートを積極的に踏査しており、冬の天狗尾根から爺ヶ岳東尾根への縦走や、春の鹿島槍北壁蝶型左稜などをこなしていた。それらの一環として、20代から30代の我々が主力となって挑んだのが、36年前の昭和52年正月の鹿島槍ヶ岳東尾根である。
 36年ぶりの宿題としたのは、昭和52年正月東尾根以来、私自身が積雪期の山を休止せざるを得なかった事であり、北峰までの登攀が未完である事。さらにこの時の山行を印象深くしているのは、2パーティー、12人の遭難に遭遇したことである。同じテン場には3〜4張のテントが有った様に記憶している。
 我々もベースキャンプを設け、鹿島槍ヶ岳北峰往復を計画していたが、アタック当日天候が悪く、風と雪が強く行動日に値しなかった。ただこの先の様子見と若手の訓練を兼ね、ベースを出発したが途中で引き返す。事故はその先で起きた様だ。翌日第一岩峰近くまで行くが、吹雪く中では何も見出せ無かった。そして私の冬山は終わり東尾根未踏が宿題として私の心の中に熾き火の如く残った。
 平成24年春、36年前と同じく鹿島部落の宮坂宅にお世話になり、昔話に花を咲かせる。
 ここで少し宮坂家と我が山岳会との縁について、時間の向こうに薄れる前に書き残しておく事も意義あることかもしれない。
 **昭和35年暮から36年正月にかけ、我らが先輩である石川、山上両氏と更に大先輩の野口氏の3人が、鹿島槍ヶ岳に入るべく最終バスで大町から源汲まで行き、夕闇迫る中、鹿島部落の鹿島山荘まで歩いていると、後から歩いてきた地元の人に声を掛けられた。鹿島部落に行くなら自分の家に泊まっても良いとのこと。この人こそ先代の当主である宮坂千秋氏であった。
 これが縁で冬・春の鹿島槍ヶ岳に登る際には、都度宮坂家にお世話になり、又猟師であった千秋氏からは、鹿島槍ヶ岳での天気の移ろいや、各尾根各谷の積雪状態、稜線の雪庇の張出し具合など、ガイドブックや本に無い知識・情報をたくさん教えてもらい、幾つかの危機を避けることが出来、遭難の大事に至らなかったと聞いている。**
 宮坂家で充分英気を養った我々は、爺ヶ岳東尾根に登るB隊と別れ、大谷原に車を置くとネットの情報通りに東尾根へ取り付く。
 積雪期とは言え雪は少なく、稜線目指して一汗掻く。36年前も稜線上にテントを張った覚えはあるが場所は特定できない。何せガスと吹雪の様に記憶が曖昧模糊としている。
 あの山行以来本格的な山登りから遠のき、定年(60歳)まで待って再開した山であるが、後輩の邪魔にならない様、春山、冬山と気持ちと身体を慣らし、やっと36年ぶりに仲間の助けで北峰に立つ事が出来、宿題を果たすことが出来た。
 仲間と宮坂さんに感謝。


伊達 栄

 今年のゴールデンウィークは9連休。「どこかに遠征せねば」と思っていたところ、下さんと三田さんから春山遠征計画の連絡。“鹿島槍東尾根A隊”と“爺ケ岳東尾根B隊”の2隊が入山予定とのこと。一も二もなく鹿島槍東尾根A隊参加を表明。それから鹿島槍東尾根の資料を検索。全体に急登の連続で岩場も2,3箇所ナイフリッジも数か所あり、体力勝負だと思った。このところクライミングばかりで菜の花マラソン以降トレーニングをしてないことに多少の不安を感じてはいたが、生来の楽天家なので「何とかなるさ」と言い聞かせた。
 当初、名古屋まで飛行機で行き、高速バスで信濃大町に入ることを考えたが、下さんから「高速基山までの夜行バスの方が一緒に行けるよ」とのうれしいアドバイス。調べてみると「在った、あった」。鹿児島発23時46分、基山着5時29分である。長崎隊が4時出発だから丁度ドンピシャである。
 連休前半は名神も混雑がなく快適に走れた。豊科で高速を降り、信濃大町へ。今日の泊りは田尻さんが若かりし頃からの知り合いの宮坂家である。大町で夕食の買出しの後、宮坂家には17時頃着く。夫婦で歓待してくれて少し呑み過ぎた。

▼4月29日(日)宮坂家を5時40分出発。大谷原登山口まで10分、準備して出発する。林道の赤岩尾根ルートの途中から東尾根に取り付く。大冷沢の堰堤と赤いテープが目印となる。いきなりの急登で肩の荷物20s余りが肩に食い込むが、カタクリの群落が気持ちを和ませてくれた。1時間も登るともう雪が現れた。今年の豪雪は宮坂さんの言うとおりだった。踏み跡もあり、樹林帯をゆっくり登る。天気は上々、対面の爺ケ岳北面が雪で光っている。気温もぐんぐん上がり半袖になる。10時半には一の沢の頭(2004m)に着いた。北を見ると天狗尾根からはひっきりなしに岩雪崩の音が聞こえて気持ちが悪い。一の沢の頭を越えると痩せ尾根が続き、北の荒沢、南の冷沢ともザックリと切れており所々ザイルを出しながら越える。雪は腐っており時々踏み抜いてバランスを崩すが危険はまったく感じない。13時には二の沢頭に着く。少しあっけない感じ。時間的には早いがそこから先は急斜面でテント場になりそうなところが無いのだ。4、5張のテントを張った跡があり一番広そうな跡を整備し、鋸とスコップで風除けも作る。B隊の姿を爺ケ岳の尾根を探すが残念ながら見えない16時頃になって携帯で連絡があり2400m地点までがんばったようだ。やっぱり若さかな?
▼4月30日(月)3時起床5時出発。一旦降りてリッジを越え、急登を喘ぎながら登る。愈々第一岩峰である。ザイルをつけ下さんが先頭で登る。藪と雪の斜面を架け替えながら続く、雪が多いせいか危険はまったく感じない。50mザイルをいっぱいに延ばして越える。更に急斜面をフリーで登る。田尻さんは日頃のトレーニングのせいか息も切らさずどんどん進む。我輩はゼーゼー云いながら置いて行かれて悔しさと情けなさを感じながらついて行く。第二岩峰手前の急登はトラバース。斜度は35度以上はありそうだが雪は腐っていて危険は感じ無いが、落ちれば三ノ沢まで遮るものは無い斜面なので慎重に歩を運ぶ。岩峰直下のコルには2人用のテントが辛うじて張れるスペースがあった。愈々核心部の第二岩峰にかかった。下さんがトップでチャレンジ、順調に伸びていたザイルがハング気味の岩の下で止まった。右側のスラブを強引に登ろうとして四苦八苦している。記録では溝状のハングがルートとなっていたし、スラブは我輩の実力では越えられそうにも無い。慌ててハングの下まで急行、2人で状況確認。やはり右のスラブは無理。ハングを空身で登りザックは引き上げるしかないと結論付け、下さん、我輩の順でハングを越える。ハングの上で田尻さん、吉村さんを確保しハングの下まで1人ずつ来させザックを3人分引き上げる。ハングの上には3人分しかスペースが無いため、田尻さんにはハング上でザックを担がせ更に上の雪田まで登らせる。吉村さんも同様に登らせ、次に下さんが登る。我輩は最後尾で全員を確保の後、下さんの確保で雪田まで登る。何とも苦しい尺取虫登攀になってしまった。後で考えればよくも一本のハーケンで3人とザック三つを確保したものだと思った。ザックはもっと軽くすべきだったかもしれないが縦走ではむつかしい。登山者が殆んど居なかったから出来たものの、多ければブーイングが起こっていたかもしれない。結局2時間以上もかけて第二岩峰を越えたのだった。
 岩峰を越えれば後は雪の尾根を忠実に辿れば北峰である。ここでも我輩の体力不足で後れを取ってしまった。岩峰を越えてから一時的な強風と吹雪の影響で食べれず、ハンガーノック気味だったのも原因だったようだ。北峰で記念撮影、13時30分だった。後は危険な箇所は無く、布引岳を越えて冷池山荘まで歩くだけだ。しかし、ピッチは余りあがらず南峰は14時過ぎ、冷池山荘到着は16時35分であった。11時間の行動でバテて悔しいやら情けないやらで落ち込んでしまった。ここでB隊と合流。彼らがテント場の設営をしていてくれたのは有難かった。暮れなずむ剣・立山の連峰を見ながら呑むビールは最高だった。A隊・B隊合同の懇親会は鹿島槍・爺ケ岳の行動の報告会になった。B隊は爺ケ岳から鹿島槍まで登っていて余裕の行動だったようだ。各隊に分かれて夕食。明日も3時起床の5時出発の予定だ。後は下るだけだが、20時には寝た。
▼5月1日(火)昨夜は鹿島槍の東側からガスが上がり心配したが、夜中トイレに起きたら満天の星だった。今日もいい天気のようだ。予定通り3時起き。朝食を済ませテントをたたみ、パッキングを終えたら、ご来光である。妙高方面から日の出、急いでシャッターを切ったが出来はイマイチ。鹿島槍に朝日が当たりしばし見とれる。
 しばらくすると剣にも朝日が当たりだし、皆撮影に夢中である。こんな景色に会えるから雪山は止められない。
 5時A隊・B隊一緒に出発。冷池乗越でもしばしの撮影タイム。ここからは剣・立山方面は見納めであり、赤岩尾根に踏み出す。朝日に輝く鹿島槍を左に見ながら急斜面のトラバース。赤岩尾根も雪がたっぷり残っていてアイゼンがよく効いた。西沢の最初の出合いは余りに急すぎて降れそうもなく、高千穂平への道を降りる。次の出合いは視界もよく雪崩のデブリが残っていたが「降りれそうや」と意見が一致。西沢を下る。気温が上がり始め雪がザクザクになる。一歩30cm以上下れる感じ。調子に乗ってドンドン下る。何人かはシリセード雪まみれになっている。途中2度ほど休憩したが、あっという間に西俣出合いに着いた。まだ3時間半しか経っていない。下りが続いたので軽くなっている筈のザックも重く感じた。下りでも体力の無さを暴露してしまった。車に戻ったのは9時半を過ぎた頃で4時間半で冷池山荘から降りたことになる。
 お世話になった宮坂家に寄って挨拶をすると「まあ、お茶いっぱい」となって、本場の野沢菜漬けをご馳走になった。大町で山岳博物館に寄った。周りは桜が満開、桜祭りで大賑わいだった。今年二度目の花見である。
 帰りは皆用事があるらしく、昼食を食べると一路高速で帰途についた。私だけは兄の家に寄るので高速筑紫野で車を降りた。筑紫バス停の到着は午前1時半だった。皆は相変わらずタフである。長崎到着は3時半を過ぎていた筈である。皆のお陰で楽しい山行を実現できて感謝、感謝である。
 鹿児島に帰るや、白馬や爺が岳の遭難のニュースが飛び込んで来た。何とも悲惨な事故だった。遭難者が医療関係者だったこともあり職場では質問が相次いだが、本当の原因は判らない。
 我々は天気に恵まれて、快適な山行だった。我輩の反省点としてはクライミングにうつつを抜かし、体力トレーニングを怠ったツケをしっかり払った山行だった。東尾根の難度は4級ほどで特に危険な箇所は無かった。基本さえ習得していれば安全に行けるコースであると思った。

鹿島槍ヶ岳東尾根

平成24年2012年5月(58才) 吉村克伸

 昭和51年 1976年正月(21才)  第一岩峰を登る。第二岩峰にたくさん人がいて大きく見えた。第一岩峰を首がらみアップザイレンで下る。撤退。
 昭和52年 1977年正月(22才)
第2岩峰で遭難がある。二の沢の頭までいってツェルトをかぶって休む。田尻さんがタバコを吸った。またも撤退。
 そして平成24年 2012年5月(58才)、36年前にみた第二岩峰を越え、東尾根を登りきる。北峰、南峰のアンブでは昭和55年1980年(26才)5月 後立山縦走の時大雪に会いテントがつぶれそうになった場所で記念写真。
 次は小窓〜剣岳だ。  終り