第1565例会 涸沢岳西尾根

三田 徹

冬の涸沢岳西尾根のルートは、今回で5年連続のチャレンジ。前回までは荒天等による撤退や山域変更で不完全燃焼が続いていた。計画も5回目、ルートの特徴も頭に入っていることから共同装備の赤旗竿等不要なものを省略し軽量化を図る。
冬の北アルプスはそうそう簡単には登らせてくれるわけではないが、今回こそはと、12月4日にボッカトレをこなし、山行に臨んだ。
▼12月28日(水)窪田邸を20:05発。積雪による高速道路の規制情報を収集しながら順調に車を転がし、東海北陸道経由で12月29日(木)6:21 ひるがの高原SA着。
ここで朝食とするが、SAが開くのが7:00ということで、SA到着前に雪が降り出して積ってきたこともあり、朝食までの時間を利用してチェーンを装着する。丁度、チェーン規制もかかったばかりだった。
朝食を終え、飛騨清見ICから中部縦貫道を経由し、雪の降る中、新穂高温泉の駐車場には9:56到着。30日と31日の天気はまずまずとの情報からこれ以上の降雪はないと判断し、ワカンを車に置いていくこととした。
 登山届を登山指導センターに提出し、身支度を整え10:53に歩き始める。少々汗をかくくらいの速さで歩いたこともあり、昨年より20分早く2時間40分で白出沢のトイレ小屋横の幕営地に到着。
テント設営後、時間が早いこともあり、まずはアルコールで喉を潤した後、今日の夕食である野菜スープに舌鼓を打つ。田尻さんは翌日以降に備えノンアルコールである。18:30就寝。外は雪が降っており、寒くてなかなか寝付けない。
▼12月30日(金)4:00起床。曇りのち晴れ。
テントを撤収し、ゴミをトイレ小屋にデポして6:20発。昨年は悪天のためここから空身で偵察したが、本年は荷を担いでの急登である。
途中途中で目印の赤布があったが、いくつかは前回、我々が西尾根の取り付きにデポした「NAC」と書いた赤布で、役に立っていることに嬉しくなる。
標高2100m地点からは木登りピッチ及び障害物競争の様相を呈してくる。しんどいが一歩一歩確実に登り、11:43に標高2400m地点の幕営地に到着する。予想していた所要時間が5時間だったので、ほぼ予定どおりである。
そう広くない幕営地にはすでにテントが数張り設営してあったが、2日間お世話になるとあって、念入りに整地しテントを設営する。
隣には遅れてやってきた富山の単独行の兄ちゃんがテントを張っている。何でも今日富山を出てきたとのこと。地の利がうらやましいが、我々が長崎から来たと言うとびっくりしていた。
 早い時間なので、それぞれ担ぎあげてきたビールを取り出して喉を潤そうとするが、凍ってしまっている。おまけに私が持ってきた2本のうち1本はパッキングが悪かったのか缶が破裂して、ザックにはビールの霜が着いていた。
気を取り直して、ビールを湯煎して中身を溶かして飲もうとするが、今度は温めすぎて熱燗になってしまい、テントの外に出してようやく冷えたビールにありつけた(笑)。
そうこうするうちに、後続のパーティが次々とやってくるが、テントを張る場所探しに苦労している模様。遅くなると下の狭いテン場に張るしかなくなるので、早い時間に2400m地点に着くことが、翌日の行動を少しでも楽にすると思われた。
一息ついて、テントの外を見るといつの間にか青空が広がっており、これはもったいないということでテントから出てしばし写真撮影。
幕営地からは笠ヶ岳、弓折岳、双六岳方面が見渡せる。夕食後、空を見上げると満天の星が輝いており、明日の好天を約束してくれている。18:40就寝。

▼12月31日(土)4:00起床。快晴。
5:50にテン場を後にし、いきなりの急登が始まる。南稜と合流する地点で展望が開け、急峻なルンゼを登り、蒲田富士をやり過ごし雪庇のあるほぼ水平な痩せ尾根を進む。
しばし休憩し、朝日に照らされ始めた山々をレンズに収める。遠くには剱、笠ヶ岳、槍の穂先、眼前には涸沢岳、奥穂高岳が圧倒的な存在感で聳えている。
 F沢のコルに下るといよいよ涸沢岳への登りが始まる。右手の急峻なルンゼを登るがこのあたりから風が強くなってきて、だんだん手や足の指先がかじかんでくる。
おそらく体感温度はマイナス15度以下と思われる。我々が歩いていると、我々の横にテントを張っていた富山の兄ちゃんが降りてきた。4時半にテン場を出発し、奥穂高岳でご来光を見て下ってきたとのことで、これから下り、テントを撤収して富山に帰るとのことだった。余りのスピードにびっくりしてしまう。

涸沢岳頂上
 我々はマイペースで歩を進め、涸沢岳(3110m)には9:30着。風が強いので早々に山頂を後にして穂高岳山荘へ下る。
山荘は屋根まで雪に埋まっており、風の通り道とあって雪煙が舞っている。計画では奥穂へ足を伸ばすタイムリミットを小屋着午前11時としていたので、予定どおり奥穂へ向うこととする。
相変わらずの強風の中、鎖場、鉄梯子、急斜面のトラバースを経て、遂に厳冬期の奥穂高岳山頂(3190m)に立つ。風は強いが、快晴の中、360度の展望で遠く富士山まで見渡せる。この絶景はとても文字では表わすことができない。

奥穂高岳頂上
 しばらく留まりたい気持ちもあったが、風が痛いので、記念撮影もそこそこにして、山頂を後にし、穂高岳山荘で休憩ののち、涸沢岳を下る。
F沢のコルまでは登りと違い、ルンゼではなく岩稜帯を下る。個人的には今回の山行でここの下りが最もきつかった。
3ヶ月前から痛めていた左アキレス腱をカバーするために、脚全体のバランスが崩れてしまっていたと思われる。
14時過ぎに蒲田富士までの雪稜帯に至るとようやく風も弱くなり、陽も温かく感じて来た。穂高連峰をはじめとする今回の雪山も最後の見納めと、疲れもあって雪稜にどっかりと座り込み、目に焼き付ける。
 テン場に戻ると、翌日からは天気が下り坂とあって、入山者が少ないのか出発時の時よりテントの数が減っている。
ビールは前日にすべて飲み干してしまっていたので、最終日に残していた田尻さんの黒霧のワンカップと下さんのペットボトルの焼酎、そして私のウイスキーでちびりちびりやりながら、皆で登頂成功を祝う。
ラジオの紅白歌合戦が始まったのを聞いて、19:05就寝。夜半、風の音が聞こえてくる。
▼1月1日(日)4:00起床。曇り。朝食は食当の窪田君が餅入りの吸い物と黒豆で正月気分を演出してくれる。
テントを撤収し、下山。西尾根の取り付きまでは2回しか休まず、白出沢トイレ小屋で、初日にデポしていたゴミを回収し、ここからは休まず下る。
新穂高温泉の駐車場には9:22着。登りは2日がかりで8時間かかったが、下りは3時間10分で着いてしまった。
後は温泉ということで、駐車場のすぐ上にある昨年できたばかりの中崎山荘(入浴料800円)で汗を流し、長崎への帰路に着く。
帰りは珍しく渋滞にも会わず、5年ぶりの天候に恵まれ、これまで踏破することのできなかった涸沢岳西尾根、さらには奥穂高岳山頂まで踏むことができ、大満足の山行であった。
コースタイム
12/28(水) 20:05 窪田邸発
12/29(木) 7:00 ひるが野SAで朝食
     9:56新穂高温泉駐車場着、10:53発
    13:33白出沢トイレ小屋横テン場着
    18:30 就寝
12/30(金) 4:00 起床、6:20発
    11:43 標高2400m幕営地着
    18:40 就寝
12/31(土) 4:00 起床、5:50発
     9:30 涸沢岳着
     9:50 穂高岳山荘着、10:05発
    11:00 奥穂高岳着、11:00発
    11:47 穂高岳山荘着、12:15発
    15:07 標高2400m幕営地着
    19:05 就寝
1/ 1(日 )?4:00 起床、6:12発
     7:55 白出沢トイレ小屋着
     9:22 新穂高温泉駐車場着
    11:16 中崎山荘発
     13:38 飛騨清見IC通過
1/ 2(月 )?0:50 窪田邸着

食当 窪田 紀幸

久し振りに年末の3000m峰に登ることができました。
2006年年末の中崎尾根経由槍ヶ岳を終え、2007年年末から涸沢岳西尾根にチャレンジを開始して以来ですから5年ぶり、天候不順・メンバーの体調不良(私自身風邪を引いたり)等で、おあずけ続きでしたからとても長かった気がします。やっと区切りがつきました、万歳!今回の天気は冬の北アルプスには滅多にない快晴、皆、完全燃焼しました!!
 厳冬の白いベールと岩の鎧に包まれた涸沢岳・奥穂高、近くに見えるはジャンダルム・槍ヶ岳、遠くに見えるは富士山…、後ろ髪をひかれつつ下山しました。
今回のメンバーで、この天気でもう一度登りたい、そんな涸沢岳西尾根でした。
 ところで話は変わりますが、今回(も?)、私は食事を担当しました。いつもレトルトで味気ないので、豪華な食事を目指しました。簡単に紹介します。
▼基本的に毎朝
元旦の朝を除き朝は基本が御飯(アルファ米)とみそ汁です。豪華ではありませんね。シャーないですね。
▼12/29夜
野菜たっぷりのコンソメ風味ウインナースープ。具だくさん野菜のエキスがたっぷり入ったスープで腹いっぱい、翌日800mの登りのエネルギー源になりました。
▼12/30夜
牛丼(レトルト)+中華スープ+レタスの生ハムサラダ。レタスは表面1/3程が凍って変色しアウトでしたが、変色した表面をはいだら食えました。冬季の葉野菜は凍るので良くないですね。でもシャキシャキしてマヨネーズをかけて食べるのは好評でした。
▼12/31大みそか夜
カレーマルシェ+卵ホウレンソウスープ。安売りの(100円ぐらい)のレトルトカレーはまずいという話が出ましたが、カレーマルシェは値段も少し高いけどウマイ。さすが1983年からの長寿商品あなどれません。
年越し蕎麦ならぬ年越しどんべえ(うどん)も用意しましたが、焼酎・つまみ・カレーで腹いっぱいになり行きつきませんでした。残念。次回はインスタントそばがあれば試してみたいと思います。
▼1/1元旦の朝
お約束の雑煮です。永谷園の松茸のお吸い物にスライス切り餅を入れます。丸餅もありますが煮えるのに時間がかかるのでスライスを入れるのがコツです。
お湯に吸い物と切り餅を入れて一炊きすればすぐ食えます。これまた好評でした。正月らしく黒豆と、下さん供出の行動食の甘納豆を添え、さらに正月気分を醸し出しました。(^_^)Y
▼なお、厳冬期にビールは止めましょう。今回は凍ってお燗をつけました。
参加者:会員4名

2011年の冬山 体力と気力

田尻 忍


厳冬期の奥穂高岳に立つ
体力と気力は山登りに限らずスポーツ全般、はたまた人生に不可欠のものであるが、年齢がいくと体力・気力とも少しずつ削ぎ落ちて行く様だ。
 今年の冬山は涸沢岳の西尾根ルートである。西尾根ルートは昨年海抜2100m位まで偵察しており、このルートが如何なるものか充分承知している積もりである。即ち白出沢出合いの取り付きから緩急あるものの、ひたすら登りの連続で、2400mのテント場まで気を抜くことは出来ない。
 私にとって標高差1000mの急坂で尚且つ20kgの装備は躊躇するものがあり、登る途中バテてメンバーの足を引っ張らないか忸怩たるものがあった。
昨年夏でのスイスのガイド、トーマスからポリュクス登攀の折、体力の無さを思い切り知らしめされ、今回はその轍を踏まぬよう、気力だけでなく体力の裏づけをと思い慣れないスロージョギングに取り組む。
本来、持久走そのものが苦手であり、した事も無かったが、耐える事こそ試練とばかり大げさな思いで走り出す。ランニングをしている人から見ると中年親父のトボトボ走りは笑止千万であるが、本人は続ける事こそ大事と大真面目である。ジョギングの成果か事前ボッカもさほどの事も無かった、本番はアイゼンを着けての雪山であり、汗と気温と風がどれ程体力を奪うか本番でなければ判らない。
 新穂高温泉より白出沢出合いのテント場まで前年は3時間であったが今回は2時間40分とスピードアップしている、一歳年を取っているのに幸先良いとしよう。
 西尾根の登りをリーダーの目論見では5時間と予定している。最初の登りは昨年登った斜面であり何と無く見覚えのある風景も有り、少し余裕で100m又100mと高度を稼ぐ。
しかし昨年の到達点2100m付近まで登ると倒木跨ぎ又は潜り、さらに木登り状態が続き、体力を消耗しだす。2400m下では急な雪面が続きピッケルを刺しての両手登りとなる。
 2400mのテント場には5時間20分で着き、予定の5時間を少し上回ったが疲労困憊は無い。何よりメンバーに休もうとか、先に行ってくれとか、泣き言を言わなかった事が満足だった。
 計画ではこれからが本番で涸沢岳・奥穂高岳と厳しい風雪の峰が待っているが、私の心の内では西尾根1000m登りこそが半分以上達成された冬山であった。

下松八重 清幸

平成23年12月31日 午前11時、標高3190mの奥穂高岳の頂上に立つことができた。
 田尻 忍、三田 徹、窪田 紀幸、下松八重 清幸(自分)
 31日4:00起床、6:20に2400m地点のテン場を出発した。風は強かったけど快晴で又と無い天候に恵まれた。2600mの森林限界を抜けると、飛騨側からの風で右側半身が凍てつく。特に、ピッケルを持つ右手が凍てつき、指先が麻痺しそうになり、斜面に関係なく時々左手に持ち替える。
蒲田富士を左に見て、F沢のコルに下ると、そこから急登になりアイゼンを蹴込みながら登る。
涸沢岳(3110m)に到着、相変わらず風は強く、さっさと奥穂の小屋に向かった。冬季避難小屋は開いていたが、アイゼンを外す手間がかかるので、軒下で風を避け各自食事を取った。テルモスのお湯が温かく、ポットする。
そこからは、体力とピッケル、アイゼンワークが要求される、梯子有り、岩場有り、クラストした雪の急斜面有りの登りになる。風は相変わらず強かったが、無事、奥穂高岳の頂上に到着した。
 北は槍ヶ岳、東は蝶ケ岳、南は富士山、西は白山、360度の大パノラマだった。
自身、4回目の登頂である。最初は昭和58年5月、西穂からジャンダルムを越えて来た。(同行者:吉村、川原)
2回目は昭和61年7月、折立から黒部五郎を越え、東鎌を登り槍穂の縦走で上高地に下った(同行者:東、白石、吉村)
3回目は平成13年8月、涸沢を出発し前穂北尾根から北穂高岳を越えて来た。(同行者:下関山岳会3名)
 厳冬期の奥穂高は初めてだったが、ここに至るまで30年近くの歳月を経たことになる。
 田尻さん、三田さん、窪田さん、同行の3名に深く感謝します。
さて、次の正月合宿は何処にしましょうか?