第1524例会 船窪小屋に泊まって、針ノ木谷を下る

田尻 忍

 今回は個人の都合と県外会員の参加もあり、現地(松本)集合とする。

▼7月26日(日)  夕方松本駅で全員(5人)集合し大糸線で大町まで移動する、大町での宿は船窪小屋と縁の深い七倉荘に泊まる。
 

▼7月27日(月)


針ノ木雪渓
朝6時タクシーで扇沢まで行く、(5人乗り合わせればバス賃より安いのだ)
 扇沢の登山口では登山届けの受付が店開きしており、大勢の人がたむろしている、我々は登山計画書を出しサッサと通過する。大沢小屋までは関電の工事用道路を2〜3回横切りながら新緑の樹林帯を行く、途中湧き水の水場があり何はともあれ喉を潤す、大沢小屋はコジンマリした小屋で宿泊者も少ないかと余計な事を思うが、針ノ木小屋の混雑を避けてここで泊まる人も居るとの事、小屋より40分で針ノ木雪渓末端に取り付く。今年は残雪が多いと聞いていたがナルホド、見上げて途切れることが無い。天気良し、雪渓の中なので大汗をかく事無く順調に残雪の感触を楽しむ、大岩を目印に夏道に入り12時50分針ノ木小屋に着く、雪渓登りは1時間30分。
 2時より針ノ木岳の往復を予定していたが生憎の夕立で中止とする。
 
大町6:00発〜扇沢6:30着6:45発〜大沢小屋8:15着8:35発針ノ木小屋12:50着

▼7月27日(火)
 4時30分起床、絶好調とは行かないがマズマズの天気、風が強い。6時に小屋を発ちユックリとしたペースで蓮華岳へ登る、最初の休憩で後立山稜線の彼方に、思わず『ム』と唸るほどの剣岳の勇姿が見える、7時30分に蓮華岳頂上に着く。

コマクサ
途中コマクサの群生が砂礫の中にアチコチにあり、朝日を斜めに受けてピンクの花が浮かびあがる、この場に居なければ絶対感じ得ない情景である、頂上近くなるとますます風が強くコマクサの写真が中々撮れない。頂上で軽く食事を摂り、七倉岳の先に見える船窪小屋へ向かって蓮華の大くだりを下る、大くだりは最初コマクサを愛でながら砂礫地帯を半分下り、後の半分は岩稜地帯を慎重に下る。砂礫地帯の最後の方で以前見た白いコマクサを見つけ、久し振りと声を掛ける。北葛岳へは下った分だけ登り返し、更に北葛岳頂上より七倉岳への鞍部まで下る、今日3回目の登りを七倉岳稜線まで上がると、船窪小屋はすぐそこに見える。
 今例会のメインである船窪小屋では到着の歓迎に鐘を鳴らしてくれ、元気なアルバイトの女の子がお茶を持って出迎えてくれる。
 夕食は電気の無いランプの小屋で有りながら、心のこもった料理が並び「お母さん」の気持ちが伝わってくる。7時からこの小屋ならではのお茶会が始まり、お客13人と小屋の人(スタッフとは言わない)4人、「お父さん」の話から始まりお客13人全員の自己紹介がある、最初は面倒だなぁ〜と思っていたが夫々個性的な自己紹介を聞く内、情報の量と内容を聞けば中々有意義である。最後はネパールから毎年来ているペンバさんのレッソンピリリの歌を聞いてお開きとする、ランプの明かりだけ残し、小屋は静かに更けていく。
針ノ木小屋6:00発〜蓮華岳7:30着7:50発〜北葛岳10:55着11:25発〜七倉岳13:40着13:50発〜船窪小屋14:00着

▼7月28日(水)
 朝焼けは初めてそれらしく朝日が射し、剣や槍が鮮明且つ広角に見渡せる、ここから烏帽子〜雲の平〜太郎平へと向かう吹野さんと別れる、烏帽子までの10時間のアルバイトである、不動沢側の崩壊は凄まじく、船窪岳と不動岳の縦走路は道の際まで崩壊が進んだ所もあり充分注意が必要だ。
 我々4人は6時出発。最後の組となり、針ノ木谷を平の渡しまで下るルートをとる、このルートは30年位前までは良く使われた道であったが、黒部ダム建設に伴う登山ルートの変更で次第に使われなくなった様だ、船窪小屋の主人である松澤氏が、針ノ木谷古道の復興を手がけ2007年に一応の復興完成を見た、それまでは針ノ木谷を通る登山客は年間数人と言われていたが、今では100人位になったとの事、その内4人が我々である。小屋を発つ時、我々が針ノ木谷を下ることを知っている小屋主松澤氏(お父さん)は、自分の思いのルートであり、我々の無事を祈って鐘を鳴らし見えなくなるまで見送ってくれる。

針ノ木谷出合

渡渉

古道復活(高巻道)
烏帽子への縦走路を1時間程いくと船窪乗越に着く、これより縦走路を外れ針の木谷へ向かって下る、乗越より左手の尾根に取り付き尾根筋を下るが、この道は綺麗に踏まれ古道の名に相応しい道である。1時間20分で針ノ木谷の川原に降り立つ、ここは既に荒れた沢、しかし水は綺麗だ、尾根歩きの後では余計綺麗な水が際立ちゴクゴク飲んでしまう、これより沢下りが本番となるが、赤い布切れと岩角に印された赤い○印を根気良く探し、渡渉地点を見極める、右岸左岸の沢筋はかすかな踏み跡と、今年の夏草を払った跡を辿る、水量はさほど多くなく渡渉は踝から膝の間位だ、ただ渡渉毎に登山靴を脱いだり履いたり面倒なので靴のままジャブジャブ渡る、渡渉回数は大きな倒木(丸太)渡りを入れると10回位か、古道再開で苦労されたで有ろう高巻きルートを終わり河原で昼食とする。

黒部湖

平の渡し
 これから南沢出合いまでは渡渉地点を表す赤い布や岩の○マークが判り難く、沢歩きの山勘を働かす、南沢出合いを過ぎると河原の真ん中に木製丸太の橋が架かっている、左岸に移ると関電の見回り道?か、整備された山道となる、避難小屋では熊のマーキング跡と見られる爪の引っ掻き傷がある。平の渡し場に予定時間(14:20)より1時間40分も早く着き、平の小屋は目の前だが、ノンビリ待つことにする。渡し時間に桟橋の先端に居ないと客無し、と見て迎えに来ないらしい。2時になるとゆらり入り江の影から船影が現れユックリとこちらへ向かって来る、いや止まったか?動かない?少し動く、イヤイヤ来ているのか、釣りでもしているのか(後から聞いたら釣りをしていたらしい)それでも時間通りに渡し場に着き、平の小屋へ渡して貰う。

平の小屋
 平の小屋は9年程前に建て直したらしくまだまだ新しい、夕食後は小屋主の佐伯氏の話が弾み、佐伯氏のひっきりなしのワインとタバコの煙に巻かれてしまう。
船窪小屋6:00発〜船窪乗越7:00着〜針ノ木出合8:20分着8:30発〜平の渡し12:45分着14:20発〜平の小屋14:40分着
 

▼7月29日(木)
 朝の明るさが無い?慌てて外を見るとガスの中に小雨模様、まだ晴れが続くものと思い込みウソーと言いたいが、誰も悪くない、せめて昨日の針の谷の沢下りに降らなかっただけでも良しとしよう。
 今日は五色ヶ原山荘までなので7時の出発とする、刈安峠までは急坂であるが大きくジグザグの登り、良く踏まれた歩き易い道である、ブナの大木とその新緑は心と身体まで染める心地良さだ。刈安峠はこの辺りをテリトリーとする3匹の熊の境界辺りらしく標識は常に熊のマーキングで張り倒され壊れるらしい。(平の小屋 佐伯氏談)
 刈安峠からは霧と小雨の中 五色ヶ原台地まで緩やかな稜線を登る、台地に出るまで稜線上に現れる小さなコブが出ては今か今度かと惑わされる、ガスの切れ間に五色ヶ原山荘が見え、すぐ着くかと思いきや中々着かず、平原と言うのにガスで視界も利かず木道を黙々と歩く、小屋に着く頃は雨具を着なかった私はズブ濡れになる、乾燥室は大賑わい、交代で雨具を乾かす。
平の小屋7:00発〜刈安峠8:40着・発〜五色ヶ原山荘11:25着

 
▼7月30日(金)
 一晩中屋根を叩いていた雨も止み、ガスが五色ヶ原を覆う中、スパッツで足ごしらえをし、雨具の上着を着て出発する、草原にはチングルマとハクサンイチゲが多く咲きシナノキンバイやクルマユリが黄や赤の彩りを添えている。
 ガスと風の通り道であるザラ峠を足早に通りすぎ、獅子岳へは黙々と登る内に着き、行動食と水で一息入れる、五色ヶ原山荘で一緒だったツアー10名が先行するが雪渓で追いつく、見知らぬ同士が見知らぬリーダーに引率される山行も時代でしょう。
 ガスの中を歩き休憩する内、何時の間にか龍王岳の分岐に着いてしまう、一の越に着くや雄山参拝登山客がワンサカ、殆んどは小・中学生で夏休みの行事だろう、昨年小屋内で見た「先生方へ、生徒は置いていかないで下さい」の張り紙は無かった。
 一の越より室堂までは中世ヨーロッパ並みに整備された石畳歩く。その石畳を残雪が覆い少しの春山感触を楽しませてくれる。
 室堂は予想した通りの人波、旗持ちツアーに埋もれてしまう、今年の春山と同じである。
 室堂〜美女平〜立山駅〜富山まで富山地方鉄道株式会社のお世話になる。
 富山の宿は駅前の展望浴場付ビジネスホテル。5日間の汚れを落とす。夕食は居酒屋で白えびのさしみ、かき揚げ、ほたるいかの沖漬。

五色ヶ原山荘6:00発〜ザラ峠6:35着・発〜獅子岳8:05着8:15発〜龍王岳分岐9:50着10:05発一の越10:30着10:45発〜室堂11:30着〜富山15:15着

 
▼7月31日(土)
 富山から長崎まではJRを乗り継ぎひたすら帰るのみ。

富山8:18発〜新大阪11:15発〜博多15:01発〜長崎16:55着

 
【掛かった概算費用】
・旅館・ホテル(2泊) 11,000円
・山小屋(4泊)  36,000円
・運賃 (JR他) 50,000円
・食事、ビール他   8,000円
合計  105,000円
 
参加者:会員5名