第1489例会 劒岳北方稜線

三田 徹

このルート、2006年夏、2007年春に続き3度目の挑戦である。
4/30(木) 窪田邸を夜7時50分出発。快調に車を走らせ富山市内で前日より待機していた田尻さんをピックアップし、馬場島に午前8時過ぎに到着、登山届を提出し身支度を整える。
 5/1(金) 快晴。駐車場には結構、車が停まっているがこの時間に出発するパーティは我々だけ。まだ、朝というのに日差しが強く、先が思いやられる。単調な道を歩き、ブナグラ谷堰堤で小休止。ここからしばらく夏道を辿るが、なかなか雪渓が出てこず、前回よりも夏道を長く歩いたような気がする。前回は赤谷山までショートカットしようとして逆に時間をロスしてしまったため、今回は、急がば回れでブナグラ谷を詰めることとする。
ブナグラ乗越まであと30分くらいのところで、やたらと県警のヘリが乗越と馬場島間を往復しており、訓練と思い我々も手を振る。やっと乗越に到着すると、そこには富山県警の山岳レスキュー隊員と登山者1人、少し離れたところに5人ほどのパーティが待機していた。話を聞けば、猫又山からブナグラ乗越までの下りで登山者が約100メートル滑落し、その収容作業ということで訓練ではなく本番だった。すでに怪我人は運ばれ、相方の登山者を下すためヘリが収容作業に飛んできていたのだ。ヘリはホバリングするものの、風の影響で安定せず、2回目のアプローチでようやく収容作業を完了した。その間、我々も待機していたが、それにしてもヘリのプロペラの風は凄かった。
 1日目の予定はここがテン場だったが、まだ早いのでもう少し先まで頑張ることとし、標高1950m地点でテントを張る。
今回の食当は下さん。本日のメニューはキャベツステーキとあめ色たまねぎスープなどなど。メイン料理にたどりつくまで各自持ってきた隠し玉、ビールで喉を潤す。テン場は風もなく、ぐっすり眠ることができた。
 5/2(土) 快晴。3時起床、5時05分出発。アイゼンを効かせ稜線を辿ると赤谷山山頂に6時10分着。昨日の馬場島から赤谷山までの実質歩行時間は約7時間30分。前回、ルートを短縮しようとして時間を食って赤谷山でテントを張った時が8時間40分。結局、今回が時間的に短くて済んだ。山頂でしばし写真タイム。
2年ぶりの劔の雄姿、360度のパノラマを堪能し先を急ぐ。白萩山は黒部側をトラバースし通過、赤ハゲ、白ハゲまでは前回はいやらしいと感じたが、今回は何なく通過。白ハゲから大窓への下りは、前回はザイルを使い懸垂下降したが、今回はトレースがばっちりあったので、ザイルを使うことなく降りることができ時間短縮できた。
 大窓から大窓の頭までは約350mの急登。荷物を担いでのこの登りは堪える。急な雪面ではピックを突き差しながら登り、1時間45分かけて頭に着く。前回は天候悪化の予報もありここで引き返した。今回は天気も良く、歩を先に進めると池平山手前の岩塔が現れる。
 ここは、インターネットでチェックしていた地点である。岩塔の黒部側に何とか雪が張り付いているが不安定なのでスノーバーを使いザイルをフィックスし通過する。やっと池平山北峰に登り上がると池平山南峰が現れ、目指す小窓はまだまだ先。アップダウンを繰り返し、木の根っこを掴みながらのクライムダウンする箇所を抜け、雪面に下りる際、口を空けた大ゴジラにはまり、ザックをはずしてようやく脱出する。私がもがいている時に、下さんも別のゴジラにはまり捻挫してしまう。少し登りあがると、小窓手前のピーク直下にテン場を作った跡がある。下さんの怪我の具合もあるので、本日はここまでとし、テン場をありがたく使わせてもらうこととする。
 本日のメニューは肉団子入り?春雨スープ。2日目なのでビールはないと思っていたが、出てきたのでビックリ。腹一杯となって翌日の行動を思案する。
 5/3(日) 曇時々晴れ。下さんの足の具合が良くないので、劔登頂を諦め、ルートを変更する。間近に迫った小窓から小窓の王までの雪壁の登りを目に焼き付ける。小窓へは、安全を期し、最初からザイルを使い3ピッチで下る。通常なら最後の1ピッチまでは這松を掴んでの下降は可能と思われる。
 小窓からは小窓雪渓を下る。地図にある「滝注意」は雪で埋まっており、いつの間にか通過してしまっている。約3時間かけ、つぼ足で腐れはじめた雪にはまりながら雪渓を下り近藤岩付近で休憩。真砂沢を目指し、最初は沢の左岸、鎖場を通過し、右岸に渡り、また左岸に戻る。ここら当たりから山スキーヤーがポツポツと現れる。行動時間も長くなり疲労もたまってきたが頑張って劔沢の登りを黙々と歩く。劔沢小屋でビールを調達し、劔沢のテン場に17:00着。本日のメニューは麩入りハヤシライス。腹一杯食った。3日間ともビールが飲めて満足。
 5/4(月) 曇時々晴れ。今日は、劔御前小屋まで登れば、後は下り。雷鳥沢は色とりどりのテントで一杯だった。途中、シリセードをしていた若い女性がいて、シリセード用の道具を使っていたので面白そうだった。ネットで調べたら「ヒップソリ」(400円)というらしい。軽いので便利かも。
 室堂ターミナルに着くと、連休とあって観光客でごった返している。我々も山ヤから観光客と化し、10時発の美女平行のシャトルバスに乗り「雪の大谷」を通り、ケーブルカーで立山駅へ、立山駅からは11:39発の富山地方鉄道で上市駅に12:40着。
下さんと窪田君は馬場島までタクシーで車を取りに行く。我々は今夜の宿探しを託され、上市タクシーの営業所のおばちゃんに頼みこみ、電話をかけまくってもらう。連休とあって宿はなかなか空いてなかったが、素泊まり5人で10000円で「大岩荘」と交渉が成立する。(実際は12500円だった。)宿も決まったので、湯神子(ゆのみこ)温泉で汗を流し、上市の「パル」で食材、アルコールを買い込み、16時から宴会をスタート、22時?くらいまでには皆爆睡する。
 5/5(火) 曇り。朝5時前に起き、大岩荘を後にする。宿のすぐそばには「大岩山日石寺」があり、行基が1日で岩に彫ったといわれる不動明王(映画「劒岳点の記」にも出ていました)を見学する。なかなか見ごたえのある寺だった。立山インターに6時に入り、途中、ETCの1000円効果で渋滞にいらいらしながらも、20時に無事窪田邸に到着する。なお、帰りの高速料金は1000円ではなく、大津から西宮北までの間が「休日特別割引でも大都市近郊区間最大3割引」の適用で1500円のため、合計2500円だった。山行費用は交通費、下山後の飲代・宿代含め約26000円でした。
 次回は、今回変更したルートを逆に辿り、小窓からの劔登頂を計画したい。


山の友

田尻 忍

今回で3回目のトライであった剣岳 北方稜線も赤谷山〜赤ハゲ、白ハゲ〜大窓と順調に進んでいましたが、このルートについて 山の神は我々に、又も試練を与え、大窓の頭より小窓にいたる、急峻な山稜をアップ、ダウンする途中に、昼を過ぎて腐りだした雪に大きく足を取られてゴジラにはまってしまい、メンバーの一人が膝を捻挫したのです。ここで北方稜線の核心部登攀を諦めえず、小窓より小窓雪渓を下り室堂へのエスケープルートを取りました。
 私に一人の山の友がおりました。松村昭則さんです。彼とは、青春の一時期をザイル仲間として憑かれたように岩に冬山に登ったものです。
 特に大山、冬季北壁鏡ルートと昭和45年の春、冬の北岳第四尾根登攀は彼にとっても私にとっても青春のささやかな金字塔でした。
 その彼とも20代後半からそれぞれの人生を歩み現在に至っていました。今年の春山合宿前に事故で亡くなるとの訃報に接したのです。
 心中複雑なものが有ります。彼と山に登ったのはほんの3年程の短い期間でした、ザイル結び無条件に命を託した友でした。
 定年後、山に登りたいと心の底の熾火を燃やしたのは松村さんとの山行が原点の様な気がします。吉村、下松八重、三田、窪田各君の足を引張りながらも、気力が折れないのは彼と経験した、風雪の寒さ、更にここ一番を踏ん張る辛抱を思い起こすからでしょうか。
 4度目のトライになるであろう来年の剣岳 北方稜線は是非とも完結しなければ成らないのです。それは輝く青春に命をともにした松村さんへ、私に出来る鎮魂の山行だからです。



2009春山

吉村克伸

2年前は60Lのリュックだったので、今回も60Lで行く。行動食はいつも乾パン等菓子類だが、今度はアルファ米にする。それに羊羹、甘納豆、ソーセージ。足りない時にチキンラーメン。
 一日目の行動食はブナグラ谷を登るだけなので、家から持ってきたにぎり飯3ケだけ。何回か休んで腹が減ったのでにぎり飯を食べていると、田尻さんがきて、1個パクリと食べられる。あと1個しかない。
 二日目、朝食を食べたのに、歩きだしてすぐに腹が減る。甘納豆を食べ、アルファ米にお湯を入れて歩く。休憩の時、ソーセージと食べたらうまかった。後は羊羹を食べる。
 三日目、小窓を下って、二股。ここから剣沢〜室堂は夏歩いているので気分的に楽だった。真砂沢で二個目のチキンラーメンを食べ、お湯も少しとなる。長次郎、平蔵を過ぎ、剣沢に着いた時にはホッとした。
 四日目、行動食はアルファ米一袋だけ。雷鳥平の手前でお湯を入れる。食べたのは立山駅だった。
 行動食が足りないような山行きでした。次回は一日アルファ米2袋。そして、小窓〜三ノ窓〜剣岳と歩きたいものです。


春の剱北方稜線 二度目の挑戦

窪田 紀幸

剱岳は北アルプスの中でもひと際存在感のある山である。山頂へ至る道はどの道も険しく容易に頂上を踏ませてはくれないがそこにたまらない魅力があり、頂上へたどり着いた時の感激は一入である。北方稜線は剱へ至る道の中でも困難さは極め付け。我々5人衆は北方稜線から頂上目指して一昨年に続き2度目の挑戦だったが、アクシデントで止む無く小窓から下山。来年頂上を踏むことを祈念し登攀記録をしたためることにしたい。

 北方稜線の道のりは長く険しい。今年も一昨年と同じく馬場島から赤谷山を登り剱山頂を目指す。山麓は早春の装いでカタクリの花が咲き乱れている。
 ブナグラ谷の登りは長いものの雪が詰まっているため夏よりも楽ではあるが、荷が重く運動不足の身に堪える。ブナグラ乗越直下は急傾斜であえぎながらようやく到着。富山県警ヘリ“つるぎ”の爆音がせわしなく続き何事かと思う。乗越に到着して合点がいく。登山者が猫又側斜面より滑落し骨折したための救助であった。先に負傷者はヘリに収容され、同伴者のヘリ搭乗を試みている最中であった。数十メートル上からの滑落で骨折程度とは奇跡的と、現場を見ていた別の登山者の話を聞くとゾッとする。(岩に激突寸前に足で岩を蹴ったおかげで直撃を免れたよう) 我々も気を引き締めて剱を目指すことにする。この日は、ブナグラ乗越でテントを張る予定であったが、時間が早いので距離を稼ぐことにする。なかなかピッチが上がらず日も傾きかけた頃、赤谷山ニセピーク下の窪地にテントを設営する。夜はビールで乾杯、豪華な夕食に舌鼓を打ち、夜は更けていく。

二日目、いきなりの急登を登り詰めると赤谷山に到着。天気は快晴、360度の展望を満喫する。ここからは小刻みのアップダウンが続き、第一関門「大窓」へと下る。一昨年はアップザイレンで大窓へ下ったが、今年はトレースがついていて稜線越しに下れることが判りロープを出さずに大窓へ下る。大窓には地蔵様が変わらず同じ場所に鎮座されており「またやってきました、一昨年はオシッコを掛けそうになりゴメンナサイ。今年も宜しく願います」と道程の無事を祈願。大窓のコルから大窓の頭へは330mの大登り(斜度:垂直距離330m/水平距離400m=約40度!)で、一昨年は空身だったが今年は大荷物を背負っての登攀のため途中で気が遠くなる。なんとか頭に上ってからもロープを出しながら(ロープワークではスノーバーが大活躍)更にアップダウンが続き北方稜線最高ピーク(2561m)へ到達、やっと目と鼻の先に池平山(2555m)が迫り来る!
 この頃になると疲れまくって写真どころではない。頭もボーッとして景色を楽しむ余裕がなくなっている。池平山への最後の登りを登り、池平小屋を俯瞰する。誰かのトレースがついているのみで見渡す限り人一人いない、長崎山岳会の5人のみで北方稜線を独占する。池平山からはゴジラが多く、下さんがついにゴジラの大口に噛まれて痛手を負う。ほどなくタイムアップのため今宵は、小窓下り手前のピークに我々のために用意されたかのような稜線上のテント場で一夜を過ごすことにした。

三日目、3ピッチ(約150m)のアップザイレンで小窓へ下る。下さんのゴジラに噛まれた右膝の調子が悪く、大事をとって小窓から真砂沢経由で室堂へ下ることにし、剱北方の核心部は来年に取っておくことにする。来年の核心となる小窓からの小窓ノ王・剱本峰の眺めには威圧される。先行パーティーのトレースがなければ「さてどこから登ろうか?」と見当がつきにくい雪と岩の壁である。ただただ自然の偉大さに圧倒され、登らせて頂いていますという敬虔な気持ちにさせられる。
 下りの小窓雪渓は日も高くなって雪も腐り、ゴジラだらけで歩きが辛い。田尻さんのハラヘッタ節を聞きながら北股、南股、剱沢雪渓とただボッカトレ状態でひたすら歩き続ける。(60過ぎると燃費が悪くなるのだろうか、不思議)17:00剱沢小屋テント場着。疲労した体に鞭打ってテントを設営、またまたビールで無事到着を祈念する。

四日目、剱沢より3時間半で観光客がひしめく室堂へ到着。我々も観光客御一行様となり、黒部アルペンルート春の風物詩“雪の回廊”をバスの車窓から眺めつつ、新緑の眩しい立山駅へと下って行った


第1489例会 剱岳の記録

下松八重 清幸


北方稜線からの剱岳登頂はまたもや失敗に終わった。
 原因は小生のケガだった。池の平山から小窓に向かう稜線の下りで、左足が雪にはまってしまい(いわゆるゴジラ)右足の膝を捻り内側側副靭帯を損傷してしまった。
 幸い自力で下山できたが、パーティーの皆に大変迷惑をかけてしまった。改めてお詫び申し上げるしだいである。
 小生にとって剱岳は、結構印象の残っている山で、一番好きな山かもしれません。
 これまでの記録を辿ってみたところ、以下のような経過であり、春4回、夏4回、冬1回、登頂できなかった3回を含め9回臨んでいる。
 10回目に当たる次回こそは、必ず北方稜線からの登頂を達成したい。
 田尻会長他、この度同行頂いた諸氏、宜しくお願い致します。

【1回目】同行者:吉村、小笹、河原
1979年8月、長崎山岳会に入会したその年、室堂から入山
八つ峰六峰と剱岳南壁のクライミング、その後仙人池から阿曽原に下山。
この時、南壁から剱岳に登頂

【2回目】同行者:吉村
1980年8月馬場島から入山
三の窓をベースにチンネ及び八つ峰(Bフェース)登攀、その後、長次郎雪渓を下り、梯子段乗越しから黒四ダムに下山。
この時、池ノ谷乗越しから剱岳に登頂
【3回目】同行者:吉村
1990年7月室堂から入山
劔岳から薬師岳縦走、折立に下山。
この時、正面ルートから剱岳に登頂

【4回目】同行者:吉村、和泉
1991年5月室堂から入山
雷鳥沢をベースにし、正面ルートから剱岳を目指すも、悪天候の為断念、止む無く立山三山縦走

【5回目】同行者:吉村、一瀬、澤田(旧姓河原)、西田(後に下松八重)、早川(会員外)
1992年5月室堂から入山
雷鳥沢をベースにし、正面ルートから剱岳に登頂

【6回目】同行者:下関山岳会会員6名及び下松八重悦子、宏太
2002年8月馬場島から入山
早月尾根から剱岳に登頂、剱沢経由室堂に下山

【7回目】同行者:吉村、三田、窪田、濱口(下関山岳会)、稲田(下関山岳会、故人)
2002年12月馬場島から入山
早月尾根から剱岳に登頂、馬場島に下山

【8回目】同行者:田尻、吉村、三田、窪田
2007年5月馬場島から入山
北方稜線から剱岳を目指すも、悪天候の為断念、止む無く大窓雪渓から馬場島に下山

【9回目】同行者:吉村、田尻、三田、窪田
2009年5月馬場島から入山
北方稜線から剱岳を目指すも、池ノ平山と小窓の間の稜線で下松八重が右膝靭帯を負傷、止む無く小窓雪渓を下り剱沢経由室堂に下山


【10回目】予定同行者:田尻、吉村、三田、窪田
2010年5月
北方稜線から剱岳登頂・・予定


コースタイム

4/30(木) 19:50窪田邸発
5/ 1(金) 6:10小矢部川SAにて朝食
7:10富山市内で田尻さんをピックアップ
8:10馬場島着、8:50発
9:35堰堤着、9:45発
13:30ブナクラ乗越着、13:55発
15:30テン場着、16:30テント設営終了
21:30就寝
5/ 2(土) 3:00起床、5:05発
6:10赤谷山着、6:30発
7:30赤ハゲ通過
8:40白ハゲ着、9:10発
9:40大窓着
11:25大窓頭着
12:00池平山北峰手前の岩塔を巻くためにザイルフィックス
13:05池平山北峰着
14:10池平山南峰着、14:20発
15:20小窓への下降点前のテン場着
16:10テント設営終了
20:20就寝
5/ 3(日) 3:00起床、5:10発
小窓への下り(3P)
7:40小窓着
10:20三ノ窓雪渓合流地点
     10:43二股吊橋付近通過
11:03鎖場通過
12:35真砂沢テン場着、12:50発
13:50長次郎雪渓合流地点着、14:00発
17:00テン場着
18:10テント設営終了
21:30就寝
5/ 4(月) 4:00起床、5:50発
6:25劔御前小屋着、6:50発
9:20室堂ターミナル着


参加者:会員5名