第1417例会 北アルプス・槍ヶ岳

三田 徹

冬季の北アルプスは、平成14年の冬の剣岳以来、4年振り、しかも、今回はリーダーである。新穂高から槍平を経て、南岳西尾根から槍を目指すハードなルートを計画する。
メンバーは、吉村さん、窪田君に加え、30年前の山道具におさらばし、最新の山道具を揃えた田尻さん、そして鹿児島から合流する伊達さんを加え5人となった。
冬山に備え、11月にボッカトレ(伊達さんは鹿児島で自主トレ)、田尻さんは最新の装備に慣れる訓練を権現岩でこなし、それぞれ万全の体調で年末を迎える。しかし、出発日が近まるにつれ、丁度、寒波が来る時期とぶつかりそうで、天気予報にやきもきする。
12月28日(木)田尻さんは、飛行機で名古屋経由で新平湯温泉入りし、現地の情報収集。マイレージが貯まってるので飛行機代はタダとのこと。
リーダーは仕事納め式もそこそこに家に戻る。窪田君から電話があり、寒波による悪天も想定されるので、場合によっては、中央アルプスや南アルプスへの変更も考えようということになり、その方面の地図を慌しく準備し、窪田邸に向かう。また、現地にいち早く入った田尻さんからも電話があり、やっと雪が降り始めたものの、積雪は全くないとの情報。
窪田邸を19時15分に出発、オデッセイを転がす。途中、鳥栖で高速を降り、伊達さんをピックアップするが、伊達さんはコンビニにヘルメットとワカンを忘れたといって取りに戻るが、鳥栖駅に遺失物として回されてしまったようで、30分のタイムロス(笑)。
天気予報どおり、北へ向かうにつれ、白いものが降ってきて、中国自動車道に入るとかなりの雪となる。山陽自動車道に入るとそうでもなくなったが、名神に入り、彦根の手前では吹雪状態で前が見えず怖かった。みるみるうちに雪がつもり、ノロノロ運転となる。
東海北陸自動車道に入るとチェーン規制、雪はどんどんひどくなり速度があがらない。高速を降り、一面銀世界となった高山市内を抜け、新平湯の田尻さんと合流したのは29日10時30分頃だった。
計画では遅くても8時には着くと踏んでいたが、寒波襲来の道路状況ではいたしかたない。
12月29日(金)雪。
新穂高には11時過ぎに到着、身支度を整え歩き出す。予定より3時間遅い出発だ。
槍平への登山道に入ると、トレースがなくなりいきなりのラッセル。これが続くのかと思っていたら、しばらくすると復活しホッとするが、どんどん降ってくる雪でトレースが埋まり歩きにくい。
穂高平小屋を通過し、白出沢出合に15時着。冬山では行動をやめる時間だが、道が平坦であることやトレースもあることから、頑張って滝谷避難小屋まで行くこととする。
雪崩に注意といわれるブドウ谷、チビ谷を通過し、滝谷避難小屋に着いたのは暗くなりかけた16時54分だった。
避難小屋には先着パーティがいたので入ることが出来ず、小屋の横にテン場を整地する。小屋はトイレ臭かったので、結果的にこっちの方が良かった。
レトルトカレーを食って、翌日の行動を話し合う。計画では30日の行動は槍平から南岳まで順調に行って8時間かかる。明日、ここから槍平まで2時間かかるとすると行動時間は10時間超となり、天気の状況ではさらに遅くなる可能性がある。
リーダーとしては、計画の代替案として考えていた中崎尾根から槍を目指すルートへの変更を提案し、メンバーも了解する。
12月30日(土)気温マイナス10℃。雪のち快晴。
雪は相変わらず降っており、トレースも埋まっている。いきなりワカンを着けてラッセルとなる。途中、ルートを間違えもたもたして後続のパーティに抜かれるが、このパーティがワカンも着けずに行くので進むのが遅く、途中で先頭を交替してもらう。
槍平小屋へ着くころには、雪も小降りになり、時折空の雲も切れてきた。南岳西尾根へのルートはよくわからなかったが、一度槍平小屋まで来てから南沢寄りをトラバースして取り付くのだろう。我々は昨日の打ち合わせどおり中崎尾根に取り付く。急坂を登るにつれて青空がどんどん広がってくる。

中崎尾根を登る

ホテル中崎尾根
中崎尾根は樹林帯が続いており、風避けになりそうな木陰を選んでテン場を決める。
事前の情報では槍平小屋から中崎尾根のテント適地まで7時間とあったが、4時間ちょっとで着いてしまった。ラッセルの場合の時間かもしれない。
いまだ正午前、2日間お世話になるテン場なので、丁寧に整地し、風避けブロック、キジ場も大、小つくり、立派な「ホテル中崎尾根」が完成する。
テン場からは真っ白く輝いた穂高連峰、大キレット、南岳、中岳、大喰岳、そしてちょっと頭を出した槍ヶ岳と、正に冬山の見事な景観が一望にでき、見飽きることはない。
また、反対側は笠ヶ岳も見える。天気は快晴、しかし、稜線は風が強く南岳西尾根もすさまじい雪煙が舞っている。デルタ状岩壁はどれかな?とか2,631mピークはどれかな?とか本来のルートを眺める。
雪山ルート集によると西尾根の2,500m付近に幕営適地があるとのことだが、大きいテントや、今日のような強風ではかなり厳しいだろう。テントに入りうたた寝した後、アーベントロートに染まりつつある峰々にシャッターを切る。レトルト牛丼を食って18時就寝。風の音で途中何度か目を覚ます。
12月31日(日)気温マイナス10℃。晴れ。
稜線は風が強そうなので、最初からアイゼン、目出し帽を着け、ヘッドランプを点けて歩く。
千丈沢乗越へは左の急な岩稜帯のルートを取る。最後の雪稜では安全のためにザイルを出して通過する。眼下には、飛騨沢から登ってくる者や大喰岳西尾根に取り付いている者が見える。千丈沢乗越からは西鎌尾根を辿る。槍の肩手前の最後の登りでは雪が氷化している。
大槍への登りは少々渋滞しており、下ってくる者をやり過ごしながら登る。10時20分頂上着。
平成14年春以来の槍頂上、冬とは思えない穏やかな山頂だった。山また山、穂高、後立山、笠ヶ岳、遠く富士山、乗鞍岳、妙高方面も見渡せる。大槍の下りはノーザイルで大丈夫だった。
槍の肩では大槍をバックに「Gメン75」ならぬ「じじぃメン」5人が肩を組んで記念撮影後、槍の肩を後にする。
千丈沢乗越からは岩稜帯ではなく、飛騨沢をトラバースして中崎尾根に戻る。テン場までは結構長く、気温もグングン上がり火ダルマ状態となりカッパも脱いでしまう。まるで春山だ。
本日の夕食はレトルトハヤシライス。

隠し玉
今回の山行は珍しくアルコール抜きだったが、吉村さんが隠し玉のお屠蘇を持ってきており、1日早いが正月気分を味わう。
 1月1日(月)気温マイナス10℃。晴れ。
下りのトレースはしっかりしており、どんどん下る。槍平へは1時間15分で着く。
滝谷ドームは雪も寄せ付けず、黒々と鎮座していた。超特急で下り、新穂高にはテン場から4時間45分で着く。
新穂高バス停のところに無料温泉があり、5日分の汗を流す。ちょっとヌルめだがいい湯だった。
途中、高山で土産と夜の宴会セットを仕入れ、田尻さんの奥さんに手配してもらった高山の宿(久々野駅の近くの旅館元屋:素泊4000円)で無事山行を終えた祝杯を上げ、いつものように轟沈する。
1月2日(火)5時起床。ひと風呂浴びて元屋を7時出発、田尻さんをJR高山駅へ送り高速へ乗る。途中、宝塚付近で渋滞はあったものの、順調に走り、夜9時過ぎには自宅にも戻り、あっという間だった正月山行を終える。
感想:今回は寒波襲来のためやきもきしたが、山に入ると天候にも恵まれた。コース的には難易度は下がったが満足できた山行であった。南岳西尾根は、また別の機会に取っておこう。

じじぃメン
自称若いのも混じってるけど?
コースタイム
・12/28 7:15 窪田邸発
・12/29 11:00 新穂高着、11:48出発
 13:45 穂高平小屋通過
 15:00 白出沢出合通過
 16:54 滝谷避難小屋着、テント設営
 20:30 就寝
・12/30 3:30 起床、6:15 出発
 8:20 槍平小屋通過
 10:30 中崎尾根稜線
 11:30 テント設営(2400m付近)
 18:00 就寝
・12/31 3:30 起床、5:33 出発
 8:20 千丈沢乗越
 10:00 槍の肩
 10:20 槍ヶ岳頂上、10:45発
 11:15 槍の肩、11:38発
 12:23 千丈沢乗越
 13:45 テン場着
 18:10 就寝
・1/1 3:00 起床、5:15 出発
 6:28 槍平小屋、6:40発
 7:15 滝谷避難小屋
 8:22 白出沢出合
 8:58 穂高平小屋、9:10発
 10:00 新穂高着
参加者:会員 5名

2006年12月31日 槍ヶ岳にたつ

吉村 克伸


槍山頂にて(H18.12.31)
天気 快晴、無風。中崎尾根稜線上にテントを張る。槍ヶ岳(3180m)、大喰岳(3101m)、中岳(3084m)、南岳(3032m)、大切戸をはさんで北穂高岳(3106m)、涸沢岳(3103m)、奥穂高岳(3190m)、ジャンダルム、西穂高岳(2908m)が見え、後には弓折岳(2588m)、大ノマ乗越、抜戸岳(2812.8m)、笠ヶ岳(2897.5m)が見える。
すばらしい景色である。
南岳西尾根を登って槍ヶ岳まで縦走する予定だったのでアルコールは計画の時からなしと決めていた。時間はたっぷりあるが酒はない。こんな山を見ながら飲むのも山登りの楽しみであるがそのぶん重たくなる。
槍ヶ岳は楽に登らせてくれません。アイゼンを一歩一歩きかせ慎重に登りました。とうとう頂上に立ちました。だれもが知っている槍ヶ岳しかも冬の槍ヶ岳です。
嬉しかった。富士山をはじめ日本アルプスの山々が見え最高です。いつも下りが気になります。小屋に着いたときはホッとしました。ここから見る槍ヶ岳はすぐにわかるので撮ってもらう。小屋からの下りは思ったより楽でした。太陽がギラギラと反射してサングラスがほしかった。テントに戻ってくる。一日早い隠し玉のお屠蘇を飲み、2006年を終る。
登りと違い、新穂高温泉にあっという間に着きました。天気がよくて楽しい山行でした。
南岳西尾根にトライしてみたいものです。終り。

槍ヶ岳 感謝の冬山

田尻 忍

30数年振りの本格的山登り再開は、北アルプスの夏山に始まり、根子岳の岩登り、そして今回の冬山と続きます。
若いころ少し山に情熱を傾けていたとは言え、体力は隠しようも無く衰えています、山に対する情熱が熾き火の如く灰の下から燃え上がる今のうち、出来ることはスルこの一念で厚かましくも冬山のメンバーに加えてもらいました。
長崎から夜通し高速道をひた走り北アルプスの麓に着いたその足で歩き出すと言う、夏の山行に オジサンは恐れなし、今回は新穂高温泉郷の新平湯温泉に前泊し落ち合う事としました。
合流後、新穂高温泉より雪道トレースを歩きだすが、白い車道、赤いペナントに導かれる白い路、これはいつか見た路、いつか通った路、まさしく鹿島の部落より鹿島槍ヶ岳天狗尾根へむかう30数年前の姿を俯瞰するように見えるのです。
槍が岳を狙うベースとして中崎尾根の2388mピーク付近にテントを設けるが、テントサイトの展望は素晴らしく、快晴のした飛騨沢を挟んで槍が岳・南岳・大キレット・北穂高岳・奥穂高岳と遥かなる稜線が連なる、このスカイラインはカメラに入るべくも無く、首を180度回さなければなりません、青空をバックに稜線の雪煙が冬山の美しさと厳しさを教えてくれます、更に後を振り返れば純白の笠ヶ岳、何と贅沢な眺めか、何と至福の時か。
この時、この場所に居る事の不思議さ、継続した冬山の経験も途絶え、トーレニングも充分と言えない自分をメンバーの加えてくれた山仲間に感謝し、快晴で迎えてくれた山に荘厳な感謝をしました。

中崎尾根2388m付近のテント設営地

テント地より槍ヶ岳を望む

テント地より夕暮れの笠ヶ岳
2006年12月31日、夜も明けやらぬ5時、満天の星の下、5つのヘッドランプがユラユラと揺れながら槍ヶ岳を目指します高低差790m、痩せ尾根、雪面、岩峰と中崎尾根のルートを忠実に刻む、前人のトレースは有り難いものです、ここでも感謝。
千丈沢乗越を過ぎる辺りから雪面がガチガチに絞まってき、アイゼンの食い込みとピッケルのバランスだけが身体支える手段となります、肩の小屋直下辺りでは更に斜面はきつくなり雪面は完全なアイスバーンとなっている、槍ヶ岳山荘に着いた時はホットする。
槍の頂上めがけては晴天のチャンスを逃すまいと多くの岳人が取り付いている、その数30〜40人位か、狭いルートの登り下りを互いに譲り合い又先行しながら行きかっている。
すれ違う人々は一様に少し汚れ、冬山に登ることの出来るプライドと、又出来た満足感が現れている、雰囲気として同じニオイがするのです。
頂上では快晴で少し霞んでいるが360度の展望を楽しみ記念写真に納まる、もう2度とこれほどの幸運に恵まれた冬山は無いのではないかと正直思う。

中崎尾根3000m付近より見る笠ヶ岳

肩の小屋より槍の穂先を望む

登頂を終えて
槍ヶ岳山荘を後にした下りは、一気に飛騨沢のカールが見える分、登りに増して緊張も高まり、アイゼンの一歩一歩を30数年前身体に覚えさせた技術で慎重に下る、此処でコケて皆に迷惑は掛けられない。
昼にはベースに戻るが大いなる充足感とまだ続く高揚感、快晴、無風、今日のアーベンロートも美しい薔薇色で稜線と山肌を染めてくれるでしょう。
2007年元旦をこの稜線上で迎えたいとの、三田リーダーの思いでテントを畳まず更に一泊する、夜は吉村君持参の屠蘇で早めの元旦儀式を終える、が、冷えた清酒は血液とリンパと神経に乗り身体の隅々まで沁み渡る、まさに沁みるのです。
今回の冬山は30数年間、山をズボラしていた私に何かが与えてくれた必然としてのメンバーと偶然の山の天気そして家族に支えられた感謝の山行でした。

正月山行「槍ヶ岳」

伊達 栄


今年こそ鹿児島の山行の企画を約束
昨年の八ヶ岳で骨折からの復活は果たしたが、本格的な冬山での完全復活を期して歩荷に励んでいた。そこに長崎山岳会から「正月は槍だぞ!」との誘いがかかった。コースは南岳西尾根と言う。気合を入れ直して事前準備に1ヵ月半を費やした。
12月28日社内の打上もそこそこに17時50分発“つばめ”に乗った。
気が逸っていたせいか鳥栖に19時48分には着いてしまった。コンビニで待っていたがドジってしまい落合うのに30分もロスしてしまった。
早速、高速で飛騨清見に向かう。関が原までは順調であったが、それから先は雪で思うように進めない。結局、新穂高着は10時30分になってしまった。
車中の“作戦会議”でコースを南岳西尾根から中崎尾根に変更する。60歳の田尻、58歳の小生の体力と新雪雪崩の危険を考慮しての決断だった。体力的に不安もあったので正直、ホッとする。


新穂高を出発
12月29日曇り空、11時30分新穂高出発。雪は30cm程で歩くのに殆ど支障ない。
穂高小屋を過ぎ白出沢出合は15時、「滝谷小屋まで行こう」のリーダーの声で先を急ぎ、小屋着は17時、辺りは薄暗くなっていた。小雪舞う中でテント設営、アルファ米と味噌汁で夕食。早々に寝る。

12月30日昨日と同様薄曇。4時起床、6時出発。昨夜の雪で積雪は膝上までとなった。ワカンを着けて、右に滝谷の岩場を見ながら進む。南岳西尾根の取付きはよく判らない。およそ2時間で槍平に着く、小屋の屋根には1m50cmの積雪。ここから中崎尾根に取付く、約400mの急登である。トレースはくっきり付いている。一歩一歩喘ぎながら登る。向かいの南岳稜線は強風による雪煙が上がっている。
尾根に着くと絶景が迎えてくれる。明日目指す“槍の穂先”も見え、大喰岳・中岳も雪煙に煙っている。テント場を探しながら前進、最終のなだらかな地点をテント場とした。
それから先は尾根が痩せていて風も当りそうなのだ。まだ11時30分、テント設営ものんびり、トイレを作り、風除けのブロックも積上げた。雪が少ない上に新雪がしまっていなくて鋸を持った吉村も戸惑い気味だ。
あとは、全員で撮影大会。笠ケ岳見えて、最高の気分。カメラマンを自負する田尻さんは一眼レフを持って来なかった事をしきりに後悔している。
それは小生とて同じこと、加重とザックのスペースの関係で断念したのだ。この好天を観れば、同感ではあるが・・・。夕陽が差すと槍も大喰も穂高も焼けだして、雪山の夕焼けを堪能する。
12月31日5時15分、強風の中出発。天気は良さそうだ。8時頃、尾根はすぐに痩せてきて、間もなく千丈乗越へのリッジ帯に入る。時々、強風に体が揺れる。1ケ所だけはザイルを出し慎重に越える。
後ろの笠ケ岳も朝日が当り美しく輝く。岩場を越えると千丈乗越、大休止して絶景に見入る。北の後立山連峰や南の乗鞍も朝日に輝いている。風も収まってきた。

ザイルでリッジを越える
ここからは槍の肩への急登となる。アイゼンを効かし、一歩一歩慎重に歩を進める。アイゼンはよく効いて不安は無い。恐れていた高度障害もあまり感じずゆっくりと歩を進める。
急登の果てに、“槍の肩”の稜線に着いた。富士山も遠くに見えていて、「やってきたなあ」感慨ひとしお。見れば“槍の穂先”には結構人が取付いている。
一息入れて、“穂先”に向かう。鎖場では下降のパーティーがザイルを出してだんごになっている。しばし順番待ち。梯子の直下はクラストしていてピッケルもアイゼンもよく効いた。
慎重に梯子を超えればそこは山頂、痛々しいほど小さな祠が安置してあった。
時に10時30分、360度の展望である。狭い山頂は10人もいれば満員状態。写真撮影もまま成らない。
譲り合いながらの記念撮影。下山も込んでいることもあり、ザイル無し。梯子の下から後ろ向きでアイゼンも前爪を効かし、ピッケルのピックに縋って登攀者をかわしながら慎重に下る。
 記念撮影や腹拵えしながら肩の小屋前で大休止、30年ぶりの田尻さんは感慨深げな様子。
もと来た道を写真を撮りながら下る。相変わらずの絶景、太陽に正対した斜面は雪が解けてグサグサになっている。振り返ると槍の上空に綺麗な巻雲が出ていた。
飛騨沢を無謀にも登ってくる猛者?も居て驚かされる。積雪の少なさを読んでいるのだろうか。これでは遭難が何時起こっても不思議は無いと思いながら下る。
リーダーが「新年は稜線で迎えよう」と決め、まだ14時ではあるが中崎尾根に連泊となる。
テント内で寛いでいたら、吉村の隠し玉の御屠蘇セットが出て歓声を上げつつ感謝する。思えば4日ぶりの酒で胃の腑が驚いていることだろう。槍の登頂を果たし、みんな上機嫌で眠りに着いた。
1月1日 今日も3時半には起きて下山準備。5時半には出発。
小生のみは古い登山靴の底に雪が付いて横ブレするのでアイゼンを着けて下る。これが大正解で安心して急斜面を下れた。
槍平も瞬く間に過ぎて滝谷出合い通過が7時過ぎ、快調に下り長い林道歩きを経て10時には新穂高温泉に着いた。
バス停横の無料の温泉で汗を流し、今日の宿泊地高山へと車を飛ばす。宿泊は素泊り、高山で酒と食料の買出し、初詣渋滞に捲き込まれながら16時頃宿に着いた。
空腹での大酒と安堵で全員9時頃には轟沈、大鼾で退避者も出すほどの爆睡であった。
1月2日 気持ちのよい朝風呂に入り、田尻さんのバスに間に合せる為7時には高山駅に向かう。駅周辺には朝飯の店も無く、一路高速清見へと向かう。
高速道路は空いていて快調に飛ばし、名神の豊中付近の渋滞はあったものの18時半過ぎには鳥栖に着いた。“つばめ”に乗り継ぎ、21時頃長い山行は無事終了した。
久しぶりの長崎勢との山行であったが、三田さんのリーダーぶり、相変わらずの健脚の面々に敬意する次第である。今年こそ鹿児島の山行の企画を約束して筆をおく。

お疲れ様でした。カンパイ

槍ヶ岳の思い出など

窪田 紀幸

澄み切った青空、眼下に綿々と連なる山並みが360度広がっている。過ぎ行く平成18年を締めくくり、来る19年を迎えるのにふさわしい。それぞれの胸のうちに何か熱いものを抱き槍ヶ岳の山頂に立つ。
ここ数年、一年一年が走馬燈のように過ぎていく。思い起こせば平成18年は色々な出来事があった。
正月、快晴の大山に始まり、夏の嵐の赤谷、下界では連日いじめ問題や自殺問題のニュース、小泉政権から安倍政権へ交代等々、そして年末快晴の槍ヶ岳。終わり良ければ全てよしというが、総じてまずまずの年であった。来る平成19年もより良い年になるようにと槍ヶ岳山頂の祠に祈る。
私にとって見れば一年ぶりの雪山で2002年4月以来の槍ヶ岳山頂である。一昨年は5月に蝶ヶ岳から常念を越え、東鎌に至る前に目の前に見えていながら断念せざるを得なかった槍ヶ岳であったが、今回は行動時間などを考えて最終的には欲張らず、槍ヶ岳登頂に目標を据えたのが良かったように思う。
参加者心に抱く思いはそれぞれだが、私は聴きなれない「爆弾低気圧」というのに興味がわいた。下山して正月のニュースを賑わしていた「爆弾低気圧」について記録しておきたい。
H18.12.25、H18の暮れ押し迫ったころ沖縄付近に発生した小さな低気圧(1014hPa)は、12/26→12/27と急激に発達。12/28には986hPaまでになり、12/28午後に発生した994hPaの低気圧が二つ並んでH18〜H19の暮れ・正月を駆け抜けていった。
このおかげで、12/28〜29に掛け各地に大雪が降り、12/28夜に出発した我々は山口県下で吹雪に遭い、関ヶ原付近ではドライバーが冷や汗をかきつつ夏タイヤを滑らせ高速をひた走った。
しかし、ついに東海北陸自動車道の関SAにて止む無くチェーンを装着、田尻さんの待つ平湯温泉・終点の新穂高温泉までのろのろチェーンを付けっぱなしとなった。
我々の行く手を邪魔した「爆弾低気圧」一体如何なるものであったのだろうか?
[以下、天気図の出典:雲と自然現象http://www.geocities.jp/asagaocloud より]
写真は、田尻さん撮影の新平湯の状態です。

H18/12/25

H18/12/26

H18/12/27

H18/12/28

12/28
夕刻


H18/12/29

12/29
早朝

H18/12/30

H18/12/31

H19/1/1
爆弾低気圧とは?
 温帯低気圧のうち爆発的に発達する低気圧の名称である。主に冬期に発生し、わが国付近すなわち太平洋西端海域と、大西洋西端海域が主な発生地である。
 1978年9月にニューヨークにむけて超豪華客船クイーン・エリザベスU号が大西洋を横断中、予期しない暴風と高波に遭遇して、乗客と船体が損傷を負う事故を起こした。
 その後の調査により、この暴風は中心気圧が24時間に60hPaも降下した温帯低気圧によるものであることがわかり、この種の低気圧に関する関心と興味が高まって、爆弾低気圧という名称が生まれた。
 定義としては、緯度60度を基準にとり、緯度φの所で中心気圧が24時間に24(sinφ/sin60)hPa以上降下した温帯低気圧を爆弾低気圧とする。
 例えば、東京の緯度35度ならば、中心気圧が24時間に16hPa以上下がった低気圧は爆弾低気圧である。(気象科学事典より)
[以上『お天気歳時記 春夏秋冬』より。 http://gms5sn.at.infoseek.co.jp/saijiki23.html]
今回の低気圧は、北緯35度付近で発生しているので、「24×sin35°/sin60°=15.8hPa」より降下していると爆弾低気圧になる訳である。確かめてみよう。
 日付  気圧(hPa) 前日との
気圧差(hPa) 
 12/25 1,014   
12/26   1,006 -8  
 12/27 984  -22  
12/28  968   -16 
12/26から12/27にかけて爆弾低気圧になっているようである。ふーん、なるほどなるほど、今回の山行で勉強になりました。そして、こっちが新年早々にぎわった爆弾低気圧です。すごいですねえ、まさに冬の台風です。冬の爆弾低気圧、要注意ですぞ?

H19/1/6

H19/1/7

H19/1/8

おっ、気持ちいいねぇ♪