第1387例会 伯耆大山

吉村克伸

平成16年12月31日(金)。男三人(下松八重、三田、吉村)は大休峠を目指し腰まで埋まるラッセルで進んでいた。勝田ヶ山の登りになると雪はとうとう頭の上まできた
。ピッケルで雪を落とし、一歩一歩登った。やっと勝田ヶ山の頂上に着いた。視界なく雪はドンドンと降ってくる。これ以上進むのは無理だ。来年またくるのだと思いながら引き返した。

平成17年10月8日)(土)船上山から勝田ヶ山、甲ヶ山、矢筈ヶ山、大休峠に男5人で赤布を結んだ。一日中雨だった。
平成17年12月30日(金)吹野さん夫婦の激励と見送りをうけ出発する。(写真1:さあ出発)
すぐにワッパを付ける。ガードレールは雪の下である。この先のことを思う。
船上山では赤布をみつける。何かしら勇気が出てくる。神社で休む。(写真2:船上神社)
吹野さんが握ってくれたあたたかいおにぎりにノリをまいて食べる。ありがとう。山の中へ入って行く。
ヒザ下までのラッセルである。(写真3:ラッセル1)
窪田時計係の合図で5分ごとに代わる。12月寒さがきびしく雪が多い。赤布がとうとう足元にきた。(写真:4積雪量)
尾根を外さずテープを見ながら進む。去年テントを張った所は10月赤布をたくさん付けていたのでわかる。
勝田ヶ山手前でテントを張る。風があるのでブロックを積む。各自のビールと団体用酒焼酎を飲んで飯を食べてねる。

写真1

写真2

写真3

写真4
12月31日(土)4時半起床。7時前に出発。(写真5:甲ヶ山)今日は3分交代だ。
勝田ヶ山(1149m)への登り、去年のようなラッセルもなく、5人なのでそれほどきつくもなく頂上に立つ。
一年がたっていた。今年はこれから先に進む。だれもふんでいない雪の上にワッパの跡をつけながら進んでいく。(写真6:ラッセル2)
尾根がやせてきて岩が出てくる。アイゼンに替え、ザイルを出し通過する。またワッパにかえる。
甲ヶ山(1338m)に着く。
10月のときは頂上から先は行かれなくて10歩もどって左側の斜面を下っていたが今は雪がたくさん積もっていてとても行けそうにない。また頂上から先は楽に行かれるのであれが甲ヶ山だ。わからない。
下松八重が行ったり下関山岳会にTELしたりする。稜線を行けるところまで行く。そこからは吉村が確保して下松八重が下っていってルートをひらく。(写真7:甲より下降)
やっと縦走路にもどる。約3時間がたっていた。また3分ごとのラッセルにもどる。
小矢筈ヶ山の下りでまたザイルを出す。矢筈ヶ山(1359m)に着く。10月のときは右に折れて下っていったが、そのまま尾根を下れば“あらし”のように甲川におりてしまうのだ。
視界悪く、地図とコンパスで尾根をさがす。あった。この尾根だ。大休峠へと下っていく。とうとう暗くなる。雪明りの中に小屋があらわれる。やっと着いた。
今回も我々だけである。テントを張り、各自のビール、酒、焼酎を飲んで紅白歌合戦を聞きながら2005年最後の夜ねる。

写真5

写真6

写真7
2006年1月1日(日)雑煮を食べて出発する。昨日の天気図から今日も悪い予報だったが完全にはずれ初日ノ出をおがむ。青い空、その青さが違う。白い雪。天気快晴。気持いい。
今日も3分交代。何回か先頭がまわってきて野田ヶ山(1344m)に着く。(写真8,9:勝田頂上)
船上山、勝田ヶ山、矢筈ヶ山、暗い中下っていった、大休峠へのトレースが見える。
しばらく行くとトレースがある。ラッキーでした。ワッパを外す。スピードが違う。4年前来たときのラッセルを思っていたのに楽である。(写真10・11:親指を行く)
アッという間に振子ヶ山(1452m)に着く。(写真12・13:振子頂上)
少し下って登ってユートピア小屋、吹野さんにTELすると今八合目を登っているとのこと。(写真14:ユートピア)
またワッパを付ける。勝間ケルンの雪をおとす。(写真15:勝間ケルン)
宝珠尾根をひたすら下り、ワッパを外し、シリセードを楽しみ大神山神社に着く。(写真16:大上山神社)
元旦なのでふんぱつする。山の情報館で吹野夫婦と合流しシャトルバスでオデッセイにもどり三年来の船上山〜矢筈ヶ山〜宝珠尾根の縦走を終る。
吹野さん、行き(12/29)帰り(1/1)泊めてもらって本当にありがとうございました。

写真8

写真9

写真10

写真11

写真12

写真13

写真14

写真15

写真16


冬山合宿の反省

下松八重清幸

年末年始の時期に、船上山から入山し、大山寺に下山する、念願の雪山縦走が達成できた。
このコースは、2001年の暮れに下関山岳会で計画したが、その時の積雪量やメンバー構成を勘案し、川床から入山し大山寺に下山した。
時の長崎山岳会メンバーは吉村、三田、窪田そして小生の4名だった。下関山岳会は9名だった。
昨年は同じコースで途中敗退した。
以来、一度は達成したかった今回のコース、天候とサポーターそしてメンバーに恵まれ、とうとう完走することが出来た。
以下今回の感想
1.3泊4日が短縮
予定では3泊4日だったけど、2泊3日で終わった。
昨年は勝田ヶ山で敗退、その反省から今回の計画を立案し、事前調査や合同トレーニングもやった。
結果的には、雪の状態や行動中の天候が支配的だったと思うけれど、事前準備とパーティーの意思がこれを勝ち取ったと考えたい。
無論、吹野御夫婦のサポートが有ったからこそのことである。
2.約3時間の彷徨
勝田ヶ山の下降ルートが判らずに、約3時間山頂付近を行ったり来たりした。
これは、下見が役立たなかったという見方と、役立ったという見方の2種類ある。小生は後者と考える。
下降点と思われる所は、次の何れかだと思ったがなかなか結論が出なかった。
@甲ケ山々頂の直ぐ手前の東斜面(10月に下った場所?)
Aそこから少し下ってそれ以上進めない所の東側ルンゼ
即ち、@は積雪が多く今にも雪崩が発生しそうな場所、Aは岩肌が見えており、先が行き止まりになっていそうに考えたことである。
結果的に、下関山岳会の細川さんに携帯電話で教えてもらいAを下ったが、そこに至るまで我々に焦りは無かった。何が危険で何が判らないかがはっきりしていたからである。
これは、これまでの準備があったからと思う。
3.読図
矢筈ケ山々頂で、夏道の感覚で先に進んだ。
しかし、5分も経たないうちに「なんか違う?」と思って、直ぐ引き返した。
北九州の「嵐」がここでルートを間違ったとの事前情報もあり、慎重になった。
時刻は17時ごろ、テントを張れる場所もあったので、ぎりぎりまで自信を持てる尾根を探した。
夕暮れ時で、視界も悪かったが、何とかそれらしい尾根を探すことが出来、それからは地図とにらめっこ、どんどん下って大休み小屋にヘッドランプを付けて到着した。
三田さん情報による「ここは間違いやすい」と言うインフォメイションの御陰である。
4.冬山
この時期の今回のルートはとても1人では出来ないと思う。(少なくても小生には無理だ)
パーティーの総合力で達成できた結果と思う。
小生はこれが山岳会の原点ではないかと、しみじみ思った次第である。


三田 徹

 昨シーズンこのコースを敗退した時に下さん、吉村さんとともに、来年もこのコースに挑戦しようと即決していた。メンバーに窪田君、橋口君を加え、昨年10月に下見をして雪で埋まるであろうルートに赤布で目印をつけ、ルートや地形を頭に入れた。(つもりだった。)
11月には雲仙でボッカトレ、甑岩でアイゼンワーク及び甲ヶ山からの下りを想定したロープワークを行い冬合宿に備えた。
 今年は数十年ぶりの寒冬で雪が多いのは間違いない。前回以上に苦労するかもしれないと思っていた。確かに雪は多かった。秋に2人がかりで木の枝を下に引っ張ってつけた赤布は足下にある。しかし、降雪から日が経っているのか、適度に締まった雪で快適にラッセルして順調にルートを進むことができた。
前回は激しい雪の中、勝田ヶ山の登りでは腰から胸まで雪に埋まってなかなか前に進むことができなかったことを考えると天国である。
 甲ヶ山からの下りは秋に行ったルートは雪崩の巣となっている。視界も悪く、下降点を見つけるのに時間を費やしたが下関山岳会のアドバイス(携帯電話)により何とか突破できた。ここでは甑岩で訓練したロープワークを活かすことができた。
また、矢筈ヶ山からの下りも視界がきかず方向がよくわからなかった。ここは視界が効かないと間違えやすいということは、他の山岳会の山行記録でチェックしていたので注意は払っていた。ここの尾根は違う、こっちも違うなど行きつ戻りつ慎重に行動、最後はリーダーの読図で正しいルートを探すことができた。
迷いが生じたのは秋のルート探索時に下った方向が頭に残っていたこともあったのかもしれない。雪がないのとあるのではルートも大違い、読図の大切さを改めて認識することができた。
 日も暮れてヘッドランプを着けてどんどん下ったところに、ばっちり大休小屋が姿を現し、頑張ったおかげで、翌日、新年元旦に大山は素晴らしい天気を用意してくれていた。   
 この山行がスムーズだったのは、地元の吹野さんのサポートによるところが大であり、この場を借りて改めて感謝したい。本当にありがとうございました。


橋口晋

前年に吉村さん,下松八重さん,三田さんが敗退したコース,しかも,去年より雪が多いとの情報。ものすごく辛い山行になりそうで,行く前から気が重い。メンバーの中で,体力も,経験,技術も一番ないのは私。
だから,一番危ないのも私。天気が崩れるという予報もあって,気は沈むばかり。死ぬわけにはいけないから,行く前は,必要なときには「引き返しましょう」というつもりであった。
それが下山したときに,「少し歩き足りないなぁ」とさえ思ったのは,最高の天候と,吹野ご夫妻のサポートに恵まれたからである。
いつも冬山がこんなに天候に恵まれたり,途中にラッセル跡があったりするわけではないことを忘れず,トレーニングに励みます。3月の多良山系と4月のボッカトレには必ず参加します。


窪田紀幸

メンバー皆が一言づつ書くということになったので今回の山行を簡潔に報告。
12月に入ってからの豪雪で、1年前にチャレンジした3人(下、吉村、三田)は前回の経験から、初参加の2人(橋口、窪田)は経験談から、こりゃ手強いぞとそれぞれの思いで半ばおっかなびっくりの正月登山であったが、案ずるより産むが安しで雪が締まっており歩きやすくて助かった。
それにしても、本番に先立つ10月に下見に行って、枝を無理やり引きずりおろして結わえた赤布はなんと足元付近であり、今更ながら今年の豪雪に驚いた次第。
天気の方は、日本海気候で“晴れたらラッキー”と大した期待もしておらず、登山初日から天気予報どおりの“ヤッパリ”の天気であったが、明けて平成18年の元旦は天気予報が見事に外れ、見たこともない全天紺碧の快晴となった。
そして、我々5人は、はや正月で今年の運を全て使い切ると同時に、平成18年の幸先の良いスタートを切ったのでした。(なんか矛盾してますかね〜^^;)
なお、今回の良かった点、悪かった点を以下に記す。
*良かった点
橋口君は初めての冬山。内心不安だったに違いない。のっけから結構ハードな山行だったが良くついて来た。
慣れないワカン/アイゼン歩行・テント生活、何かに付け諸先輩からあーでもない、こーでもないとワイワイ言われていたが良い経験になったと思います。味をしめたと思うのでまた行きましょう。(装備もいっぱい買ったし元を取ろうね)
*反省すべき点
冬季の甲ヶ山の下降点の事前確認ミスが唯一反省すべき点。
冬季の下降点は夏道と違うことを研究していれば避けられたミスだが、現地で携帯で確認するまで誰も判っておらず、視界が利かないこと、雪で地形が変わっていること、思い込みとが重なり下降点を巡って甲頂上付近で2時間以上もタイムロスをしてしまった。
しかし、我々の名誉のために読図は完璧だったこと付け加えておきたい。
最後に、吹野さん御一家、何から何までありがとうございました。
私は吹野だんなさんと初めてお話しましたが、マシンガン2000発最高でした♪

コースタイム
12/29 矢上08:05→13:45庄原IC、夕刻 吹野邸着泊
12/30 船上山少年自然の家7:40→7:50ワカン装着→10:20船上神社10:40→13:05勝田ヶ山手前1000m付近テント泊、19:00就寝
12/31 4:30起床、テン場7:00→10:50甲ヶ山11:20・・下降点調査・・13:00下降セッティング開始→13:27セッティング終了下降開始→17:52大休小屋、21:00就寝
1/1 5:00起床、大休小屋7:20→野田ヶ山9:00→10:10振子ヶ山10:25→10:58ユートピア小屋11:15→(宝珠尾根)→13:40大神山神社
走行距離
長崎⇔大山:往復1355km(片道平均677.5km)
参加者:下松八重、三田(徹)、窪田、橋口、吉村
     吹野夫婦(大山往復)