第1352例会 伯耆大山
三田 徹
12月に入っても暖冬が続き、今年は雪があるのかな?水はどうしよう、などと心配していたが、クリスマス寒波がやって来てようやく大山にも雪が積もった。
12/29(水)下さんデリカ号で三田邸18:10発。
運転要員としては大山まで必要最小限の3人交代で高速を走る。途中、宮島SAで情報収集すると中国自動車道は雪のため交通規制をしているので、そのまま山陽自動車道を走り、岡山自動車道経由で米子自動車道へ入る。
米子自動車道は雪のためチェーン規制をしており、途中のトンネル内退避所でチェーンをつける。(トンネル内は明るくてチェーン脱着が楽です。)
大山の下山キャンプ場には30日(木)4:10着。朝7時にタクシーを予約していたが、天気が雪のため様子をみることとし、8時に予約を変更する。
この時のタクシーは女性の運転手で米子市内しか走らないらしく、下山キャンプ場に来るや、我々にチェーンを着けてくれと頼み込んできた。こんな運転手も珍しい。
タクシーは通行可能な今在家(いまざいけ)経由の道路を走り香取集落を越えて船上山の登山道に通じる道路入り口に9:10着。
計画では少年自然の家から船上山へ入る予定だったが、タクシーが入らないためここから先は歩きだ。
途中の鶯橋を渡ったところから9:55に尾根に取りつく。このルートは地図には載っていないが、SAC(下関山岳会)の山根さんが行ったことがあるルートとのこと。
なかなか取りつきがわからず手間取ったが、それらしきルートを探し強引に登り始める。しかし、このルートは急登が続き、また雪とヤブのため全くピッチが上がらない。
急登を終え少し平坦になったかなと思ったら、ますますヤブに積もった雪に腰まで埋もれ、例のゴジラ状態の連続でなかなか正規のルートと合流せずうんざりする。
降雪の中、時々みえる稜線の方向を確認しつつ進み、ようやく正規のルートと合流し15:20にテン場を決める。今日の晩飯は食当吉村さんの野菜スープ。キャベツをボッカしてきている。このキャベツの芯がまた美味しく、生でボリボリ食べる。
12/31(金)6:35テン場発。ここからはほぼ平坦だったのでラッセルも楽であったが、しばらく行くと登りにかかり雪も深くなり、遅々として進まなくなる。おまけに湿雪でワカンの抜き足に負担がかかる。
10分交代でラッセルするが急登では腰上の雪を掻きながらのラッセル、普通に歩くと1分もかからない距離である。
10:10降雪視界不良の中、ようやく勝田ヶ山と思われるピークに達する。これまでの進み具合では予定の大休峠までは無理。下さんは甲ヶ山まで進み昨日のテン場まで戻るつもりだったが、今後の気象条件等を考え撤退することにした。
ここで下れば今日のうちに下山キャンプ場まで戻れるのでゆっくりできる。下りはトレースがあるので暫くルンルンで下るが、テン場から先の船上山まではトレースもなく、結構長い。
13:15船上山神社着。いつも思うが昔の人はよくこんな山の上に社を作ったものだと感心する。
14:15県道出合いに降り、15:30に昨日タクシーを降りた地点まで戻る。送ってもらったタクシー会社に電話するが来られないとのことなので近くのタクシー会社(中央タクシー)を紹介してもらう。
この運転手がケッサクであった。昨日来た道は大雪のため峠を越えられないので国道9号まで下り、下山キャンプ場まで行ってくれるとのこと、それも料金は往きの料金見合い(4,600円)でいいと言ってくれる。
ばんばん走るが、喋り好きの運チャンは長崎からやってきた山ヤ3人組がめずらしいとあるらしく、乗客の我々を後ろ見しながらハンドルを握りヒヤヒヤ、思わず赤信号無視の交差点でぶつかりそうになった。
けど、この運チャンは往きの女性の運チャンと違い、手伝いましょうかと言うにもかかわらず、すぐ終わりますからと一人でテキパキとチェーンを巻く。そんな運チャンを尻目にこっちは今晩のビール・焼酎とキャベツを追加するべく酒屋とスーパーに寄ってもらう。
下山キャンプ場に着くと今日入山していた下関山岳会が待ってくれており、テント設営等手伝ってくれて助かった。その後は下関のテントで再会を祝し、飲み食べ歌う。
平成17年元旦。テントの外は大雪、デリカを雪の中から掘り起こす。
当初ユートピアまでテントを担いで上がる予定の下関山岳会も予定を変更し、宝珠尾根の偵察。再会を誓った後、我々は10:30に下山キャンプ場を後にする。
雪のため高速道路の交通規制等もあり、下関インターまで日本海沿岸の一般道を走りチェーンを脱着すること4回、14時間かけて日付が替わった1/2の0:30長崎に戻り正月山行を終える。
参加者:3名
勝田ヶ山に向けラッセル |
船上山に向け下る |
撤退の勝田ヶ山山頂 |